甘い謀り
深月は夜の煉󠄁獄家にて、上機嫌に笑う煉󠄁獄杏寿郎を眺めていた。
煉󠄁獄の周りには、そこそこの量の酒瓶が並んでいて、机の上にもまだ酒瓶はある。それをお猪口に手酌で注ぎ、ぐいっと飲んだり、ちびちび飲んだりを繰り返している。
「深月!こっちにおいで!」
太陽のような笑顔で手招きされ、深月はつい顔を背けて、自分の頬を両手で覆う。
深月にとって煉󠄁獄は尊敬する師範だ。
このまま逃げ出すわけにもいかず、かといって酒を飲む手を止めない彼の側に寄るのも不安である。
深月はちらりと煉󠄁獄の様子を見る。
目が合った煉󠄁獄は、あぐらをかいた自分の膝をぽんぽんと叩く。
そこに座れということか。深月は頬を赤くする。
「むう……」
いつまで待っても、深月がやって来ないので、煉󠄁獄は自分から近寄ることにした。
深月はそれに気付き逃げようとするが、あっさり捕まってしまう。
深月が「酔ってるくせに素早いじゃないか」と思っている間に、煉󠄁獄は満足そうに彼女を後ろから抱き締め、頭を撫で回す。
酔っているせいなのか、抱き締める力も撫で回す力も強く、深月は内臓が出そうになるし、頭をぐるんぐるん回されて吐き気を催す。
「ちょ、ちょっと師範……力強すぎます……吐きそう……」
「んんー?ふふ、すまんすまん!」
深月に指摘され、煉󠄁獄は力を緩めた。しかし、深月を手離す様子はない。
それどころか、深月を一旦持ち上げ、元の位置に座り直し、彼女を自分の膝の間に収めて、晩酌を再開する。
酒瓶を持って手酌しようとし、何かを思い付いた顔になる煉󠄁獄。深月を見下ろし、酒瓶を渡し、お猪口を差し出す。
深月が顔を赤くしながら煉󠄁獄を見上げると、上機嫌な彼はにこにこと深月を見下ろしていた。
注げということか、と深月はお猪口に酒を注ぐ。
注いだ端から煉󠄁獄が飲み干してしまうので、酒瓶はあっという間に空になった。
それに気付いた煉󠄁獄は、自分の周りの酒瓶の中から、中身が入った酒瓶を探す。
深月は煉󠄁獄の腕を掴んで慌ててそれを止める。
「師範、今夜はもうお終いにしましょう!」
これ以上酔いが回るのも、拘束されるのも、深月の心臓が持ちそうにない。
先程まで上機嫌だった煉󠄁獄は、一転して不満そうな顔になる。
不満そうでも綺麗なお顔だなあ、なんて深月は他人事のように考え、現実逃避をする。
きっと、酒を止められて不機嫌になってしまったのだろう。普段はこんな些細なことで機嫌を損ねるような人ではないが、酒が入っているので仕方がない。
深月は根気強く説得することにした。
「師範、お体に障りますので……」
「杏寿郎」
「えっ?」
煉󠄁獄が急に自身の名前を口にするものだから、間抜けな声で聞き返してしまう深月。
「『師範』ではなく、名前で読んでくれ」
不機嫌の理由は、どうやら酒を止められたからではないと気付いて、深月は狼狽える。名前で呼べなど、初めて言われた。
「で、ですが師範……」
それでも、尊敬する師範を名前で呼ぶなどおそれ多く、深月がやんわり断ろうとしたら、不意に煉󠄁獄は深月の耳に口を寄せてきた。
「きょ、う、じゅ、ろ、う」
言葉を教えるように、優しく甘い声で囁く煉󠄁獄。
その声と耳にかかる吐息によって、深月の背中にぞわぞわとした感覚が走る。
これはいけない。
深月は逃げようと考えるが、それは煉󠄁獄に読まれていたようだ。煉󠄁獄の大きな片手に両手首を掴まれ、深月は簡単に拘束されてしまった。
煉󠄁獄は元の体勢に戻り、深月の顔をじっと見つめる。名前で呼ばれるのを待っていると察し、深月は折れることにした。
「きょ、杏寿郎さん……」
「うむ!」
煉󠄁獄の顔が、上機嫌な笑顔に戻る。
それを見て、今度こそ晩酌を止めてもらうよう提案しよう、と深月は口を開く。
しかし、声を発する前に、彼女の視界がぐるっと回った。
痛くはないが、背中や頭を打った感覚もあった。
そして、今の深月の目に映るのは、煉󠄁獄と、その後ろの天井だ。
一瞬、天井が見えるのはおかしい、と思ったが、いつの間にか押し倒されていると気付く深月。
先程まで片手で拘束されていた手首は解放されていたが、深月は煉󠄁獄の顔に目を奪われ、動けずにいた。
煉󠄁獄の表情が、明らかに酔っている人間のものじゃない。素面だ。騙されていたのだ。
「任務外の深月は警戒心が弱いな!」
煉󠄁獄はいつもの調子で言い放ち、深月の隊服の釦に手を掛ける。一つ、二つと、釦を外していく。
「もう逃げようとしないのか?」
動かない深月に、煉󠄁獄が尋ねる。
深月は半ば呆けていたが、逃げるという発想はもうなかった。
確かに、尊敬する師範に騙されるなど、夢にも思っていなかった。それに驚きはしたものの、「悔しい」だの「ずるい」だの、煉󠄁獄を責める感情は湧いてこなかった。
きっと、彼に対して元々抱いていた、淡い恋心のせいだろう。
深月は赤みが引かない顔のまま、煉󠄁獄の目を見て答える。
「嫌じゃ……ないので」
「そうか!それは何よりだ!」
隊服の上着の釦も、その下のワイシャツの釦も、全て外し終えた煉󠄁獄は満足そうに笑い、深月の白い鎖骨に甘く噛み付いた。
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