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霞草は置いてきた


まだ初夏だというのに、今日は結構暑くて。
水を張った桶に足を突っ込み、縁側に腰掛ける。

ここは木の陰になっているから、日向より幾分か涼しいし、たまに吹くそよ風が心地よい。そして何より、足が冷たくて気持ちいい。

しかし、そよ風だけじゃ物足りなくて、うちわで自分を扇いでいると、後ろから溜め息が降ってきた。
振り返れば、困った顔の杏寿郎さんが見下ろしてきていた。

「そんなに薄着で、足も出して。はしたないだろう」
「誰も見てないからいいじゃないですか」

へらっと笑って答えると、杏寿郎さんの眉間に皺が刻まれる。まずい。少し怒っちゃったかな。

杏寿郎さんは家柄が良いから、お育ちが良い。故に、淑女としての振る舞いが下手な私が、ちょっと信じられないのだろう。

私は浴衣を着ているが、暑いので襟は緩め。裾もたくしあげて、膝まで丸見えだ。これが年頃の娘として、どれだけはしたないことかはわかっている。わかっているけれども。
暑いの嫌いなんだもの。

風が止んだから余計暑くなって、裾を持ってぱたぱたと扇ぐと、杏寿郎さんの方から心底呆れたような溜め息が聞こえてきた。彼は私の隣に腰掛け、呆れたまま口を開く。

「君が暑いのが嫌いなのは知っているが、これはあんまりだろう」

そう言って、私の裾や襟を直そうとしてくるけど、もっと涼んでいたいのでご遠慮申し上げる。

杏寿郎さんが裾を戻せば、私がそれをたくしあげる。襟を直そうと掴んでくれば、やだやだと言って彼の手首を掴む。

そんなことを何分かやっている間に、体勢を崩した私の上半身が後ろに傾く。
杏寿郎さんが慌てて抱き締めてきて、私の頭を庇いながら一緒に倒れた。

倒れる時、私の足は桶の縁を蹴ってしまい、大きく揺れた桶の中身が、半分くらい飛び出す。それは、私達の下半身を盛大に濡らした。

べしょべしょして気持ち悪い。私が眉をひそめると、杏寿郎さんがふるふると震え始めた。
水が掛かって寒いのかな、なんて思って彼を見ると、にやにやしていた。どうやら、笑いを堪えているらしい。

「……笑ってくださって結構ですよ」

何がそんなにおかしいのかはわからなかったけど、私がそう言うと、杏寿郎さんはくつくつと笑い出した。豪快に笑わないあたり気を使ってるんだろうけど、笑ってる時点で意味がないのでは。

「何がそんなにおもしろいんですか?」
「相変わらずお転婆だと思って」

お転婆で悪うございましたね。でも、そのお転婆を選んだのは貴方ですからね。

でも、貴方に選んでもらって、貴方に相応しい女性になると決心したにも関わらず、未だにこんな感じなのは私の努力不足かもしれない。

ちょっと申し訳なくて、しかしやっぱり暑いのは嫌いで、複雑な気分になる。暑さと杏寿郎さんを天秤にかけるのが、そもそも間違いなのだろうか。
そんな複雑さが顔に出ていたのか、杏寿郎さんが優しく頭を撫でてくれる。

「君が元気ならそれでいい。まあ、はしたないのは困るが」

優しい声でそう言って、引き続き頭を撫でながら反対の腕をお腹に回して、強く抱き締めてくれる。
杏寿郎さんは、いつも私を甘やかしてくれる。そうやって甘やかすから、私がいつまでもお淑やかになれないとわかっているのだろうか。

でも、こんな風に甘やかしてくれるのは杏寿郎さんだけで、それが嬉しいから、私もついつい甘えてしまう。

「外ではちゃんとしますから、少しくらい見逃してくださいな」
「少しならな。今日のは少しじゃないから駄目だ」

駄目だった。そこは甘やかしてくれないんだ。
だったら仕方ない。下半身もべしょべしょで気持ち悪いし、涼むのは終わりにしよう。着替えなきゃいけないし。

そんなこと考えていると、お腹に回されていたはずの杏寿郎さんの腕が徐々に下に降りていく。
ちょっと嫌な予感がする。

「杏寿郎さん?」

声を掛けると、杏寿郎さんは上体を起こし、降ろした手で私の太腿を撫でる。
べしょべしょになった服越しでは、そんなに感覚がないけど、なんだか手の動きが厭らしいことはわかる。

「はしたない格好をしていたら、どうなるか教えてやろうか」

杏寿郎さんの声からは優しさが消えて、妙に色っぽい声音になっていた。

「服が貼り付いて、脚の形がよくわかるな」

恥ずかしいことを言わないでほしいし、見ないでほしい。
さっさと着替えてしまおうと思って、私も上体を起こしたのと同時に、彼の手が裾からするりと入ってきた。思わず悲鳴を上げるけど、彼はお構いなしだ。

彼の温かい手が、服の下を這い回る。直接触れられたところから熱を持って、心臓が早鐘を打つ。

「ほら。裾を上げているから、手を入れやすい」

いや、貴方は裾を上げてなかろうと、いつも遠慮なく割って入ってくるじゃないですか。

「こっちは緩いから見えそうだな」

杏寿郎さんは、空いている手の指を私の襟に引っ掛ける。
待って。そのまま手を引かれたらはだけちゃう。
杏寿郎の指が、襟に添って滑る。時折肌に触れて、それがくすぐったくて変な声が出る。

太腿を撫でる手。襟を滑る手。その両方とも恥ずかしいのに目を逸らせなくて、見入ってしまう。
視界に入っている私の胸元は真っ赤だ。きっと見えないだけで、顔も耳も首も真っ赤だろう。

恐る恐る顔を上げて杏寿郎さんを見ると、熱の籠った瞳と視線がかち合った。
その眼差しだけで、脳まで溶けそうになる。

「あの……」

何か言わねばと口を開くと、そのまま口を塞がれた。
触れるだけの口付けだったけど、心地好くて離れるのが名残惜しかった。
唇を離して、杏寿郎さんが妖しい笑みを浮かべる。

「着替えを手伝おう。君もそういう気分になっただろう?」

木漏れ日が杏寿郎さんの髪や瞳を照らす。
きらきらしたそれらに目が眩んで、私は何も考えられなくなって、こくりと頷く。

結局、目一杯熱くされて、今日は涼むどころじゃなくなった。







 




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