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エーデルワイスをもう一輪


小さい頃、家が近所で、よく遊んでくれた杏ちゃん。
優しくて、強くて、いじめられていた私を何度も助けてくれた。

思えば、私の初恋は杏ちゃんだったのだろう。

いや、その言い方は語弊があるか。
私の初恋は杏ちゃんで、その恋は今も続いている。
私が親の仕事の都合で引っ越して、杏ちゃんと会えなくなってから、もう十年経つと言うのに。


*****


「え、それやばくない?」

恋バナを聞かせろと言うから答えたのに、友人の反応は芳しくなかった。

「だって、十年会ってないんでしょ? あんたの記憶の中じゃ、その『きょうちゃん』は七歳の子どもでしょ?」

子どもに恋してんのかあんたは、と容赦なく言い放つ友人の手からお菓子を奪う。そんなことを言う子には、お菓子なんて食べさせてあげません。

「杏ちゃんだって、もう高校生だもん!」

私はそう言って、奪ったお菓子を口に放り込む。友人の残念そうな悲鳴が聞こえるけど、無視して顔を背ける。

杏ちゃんと会えなくなってから十年。当時小学一年生だった私達は、高校二年生になった。

「でも、会ってないんでしょ? 接点ないんでしょ? さっさと忘れて、身近な男子と恋したら?」

なんでそんなに私の恋を終わらせようとしてくるんだ。友達なら応援してよ。
そう思いつつ、私はとある写真を友人に見せる。

「接点ならあるよ!」

スマホで撮影したその写真は、私の宝物だ。

「なにこれ?」
「杏ちゃんからもらったお手紙!」

写真には、古いお菓子の箱いっぱいに入った封筒の束が映っている。

私達は、会えなくなってからずっと文通しているのだ。週に一、二回のやり取りを、この十年間欠かしたことはない。

ちなみに、これは二年程前に撮った五百通記念の時の写真だ。

「なんで? メールすればいいじゃん」

友人の感想は素直だった。素直故に、冷たかった。情緒もへったくれもない。

でも、私達は──少なくとも私は、このアナログなやり取りを気に入っている。
文通を始めたときはお互いスマホなんか持ってなかったし、私は杏ちゃんの字が好きだから。

豪快で、大きくて、でも綺麗な字。杏ちゃんの強さと優しさを感じられる字。綺麗なのはきっと、お母さんが書道教室の先生だからだろう。

このやり取りで、私達はお互いの近況を報告し合っている。
私が手紙に書くのは、主に友人や家族のことだ。

杏ちゃんも似たようなもので、私との違いは、剣道の話題が多いところだろうか。
弟が産まれたこと。剣道の大会のこと。

弟くんのことは、心からお祝いした。
弟くんの写真が送られてきて、杏ちゃんの写真が一枚も送られてこないことはちょっと不満だったけど、『杏ちゃんの写真が欲しい』なんて恥ずかしくて言えない。

大会の時は、応援に行きたかった。応援に行ける彼の友人がすごく羨ましかった。

手紙を貰う度、送る度、杏ちゃんへの想いは募るばかりだった。

「このお手紙には、杏ちゃんとの思い出が詰まってるの」

友人はもはや呆れた顔になって、「へいへい」と気のない返事をしてくる。
くそう。君に好きな人ができても、応援してあげないからね。

机の上に広げていたお菓子を、私は一つ残らず口に放り込んだ。


*****


帰宅して、お母さんから私宛の手紙を受け取る。
もちろん、杏ちゃんからだ。
何百回貰っても、手紙を受け取った日は嬉しくて、なかなか寝付けなくなる。今日も寝不足決定だ。

早速自室に行って、着替えもせずに封を開ける。
一通り読んで、足をバタバタさせながら悶えて、もう一回噛み締めるように読む。

今回の杏ちゃんの手紙は、近況報告以外にも、質問が書かれていた。

『修学旅行でこっちに来るなら会えないか?』

その一文を、何度も何度も読み返した。

杏ちゃんがこんなことを言ってきたのは、前回送った私の手紙の内容のおかげだ。
前回の手紙に、私は『今度の修学旅行で東京に行く』と書いたのだ。

それに対するお返事が『会えないか?』だなんて。
信じられないほど嬉しくて、でも何度読んでも確かに同じ文章が書いてあって、私は早速便箋とボールペンを用意する。

返事はもちろん『会いたい』なのだけど、それを書くに至るまで、一時間も悩んでしまった。

なんとか手紙を書き終えて、可愛い封筒に入れて封をする。
ああ、出すのが待ち遠しい。杏ちゃんのお返事が待ち遠しい。

会ったら何を話そう。杏ちゃんは、どんな男の子になっているのだろう。手紙の内容からして、中身はあんまり変わってないとは思うけど、きっと背も伸びて、かっこよくなってるんだろうな。

彼女とか出来てたらどうしよう、と少し不安になる。

私は制服のままベッドに寝転がって、昔のことを思い浮かべた。


*****


杏ちゃんは、特徴的な髪の毛の男の子だった。
金髪で、でも毛先が所々赤くて、よく悪い子だなんだといじめられていた。先生も、彼の見た目をあまり快く思っていなかった。彼は気にしてなかったけど。

笑顔で『うちは代々こんな髪で、父上もこんな色だぞ!』と話していた杏ちゃんは、きっとお父さんとお揃いの髪が嬉しかったのだろう。
やだ、思い出すだけで可愛い。

それに、彼の人となりを見ていれば、彼がどんなに優しくて正しい人かわかったようで、いじめっ子も先生も、すぐに彼のことを好きになっていた。

私がいじめられるようになったのは、その後だ。

みんなに好かれていた杏ちゃんは、家が近所の私とよく遊んでくれていた。

みんなは、私が杏ちゃんを独り占めしていると思ってしまったのだ。
そんなつもりはなかったし、『みんなで遊ぼう』と言っても、私が居るなら嫌だと言ったのはみんなの方だった。

けれども、杏ちゃんは引き続き私と遊んでくれて、みんなの焼きもちは私に向けられて、私は自然と杏ちゃんと距離を置くようになった。

本当は、私もみんなと仲良くしたかったし、杏ちゃんともいっぱい遊びたかった。
杏ちゃんが一番大好きだった。

そんな私を妙だと思った杏ちゃんは、登下校の際に私を捕まえるようになった。
手を繋いで、一緒に帰って、いじめっ子達を追い返してくれた。
追い返したというより、杏ちゃんの純粋な疑問に耐えられなくなったいじめっ子達が、勝手に逃げただけだけど。

「どうしてみんなで仲良くできないんだ?」

そう言った杏ちゃんの顔は、本気で不思議そうだった。

それからも、いじめっ子が絡んでくる度に、杏ちゃんは『いじめはよくない!』と正論を叫んでいた。

結局、私に対するいじめは、私が転校するまでなくならなかったけど、杏ちゃんがずっと守ってくれていたから、全然苦じゃなかった。

剣道をやってて、けんかも強いはずなのに、自分がいじめられている時から、一度も手を出したことはなかった杏ちゃん。

彼の優しさと、正しい強さと、手の温かさを、私は今日まで忘れたことはない。


*****


待ちに待った修学旅行の日がやって来た。

みんなは東京観光にはしゃいでいるけど、私のメインは二日目の自由時間だ。
同じ班のみんなに口裏を合わせてもらって、一人だけ違う駅に向かう。

(東京は人がいっぱいだ……駅も複雑だ……)

私は、駅の出入口の前で冷や汗を流す。
平日で通勤通学のピークは終わっているはずなのに、びっくりするぐらいの人出。

高い位置に設置してある案内板にはいろいろ書かれすぎてて、どこに行けばいいか逆にわからない。
案内図を見ても、スマホの地図アプリを見ても、何が書いてあるのかいまいちわからない。

私も昔東京に住んでたとはいえ、小学生の頃は駅なんか使わなかったし、私は昔から方向音痴だった。

ちゃんと、杏ちゃんとの待ち合わせ場所に辿り着けるのだろうか。
不安になって、ポケットの中に入れている杏ちゃんの手紙を取り出す。

これは、私が『会いたい』と送った手紙のお返事。待ち合わせ場所や目印が書いてある。
そして、『俺も会って話をしたい』とも書いてある、今日のお守り。

一応、お互いの電話番号も知っているし、いざとなったら杏ちゃんに電話しよう。声、低くなってるのかな。なってるよね。どんな声だろう。
……だめだ。どきどきで死んじゃいそうだから、電話は最終手段。

よし、行くぞ──と思って、一歩前に踏み出した瞬間。
木枯らしが吹き荒んで、杏ちゃんの手紙を拐っていった。

「うそ!? 待って、お守りなのに!」

私は慌てて、宙を舞って行く手紙を追い掛ける。人が多いから、「すみません、すみません」と言いながら人混みを掻き分けていく。

周りの人は、私をちらちらと迷惑そうに見るだけで、誰も気にしてくれない。
都会の人は冷たいなあ、なんて偏見を拗らせていると、人混みから大きな手がにゅっと伸びて、手紙を掴んだ。

都会にも良い人が居た。冷たいなんて言ってごめんなさい。

あ、手が引っ込んだ。待って。交番とかに届けないで。すぐ側に持ち主居るんです。

「すみません、そのお手紙、私のです!」

私は精一杯手を伸ばして叫ぶ。
すると、気付いてくれたのか、また人混みから手が出てきた。

杏ちゃんの手紙をしっかり掴んで、ひらひらと振る。まるで『ここだよ』と言ってくれているみたいだ。

どうにかこうにか頑張って、その手の元へ向かう。
到着する頃には、息も絶え絶え、上を向く余裕なんてほとんどなくなっていた。

手の主は背が高くて、近くに行くと、私の視線の高さでは胸元しか見えない。

私が到着すると、その人は手を下ろして、手紙を差し出してくれた。
それを受け取って、胸に抱き締めてから、深々と頭を下げる。

「す、すみませ……ありがとう、ございま……げほっ、げほっ」

途中で噎せた。人混みの中を歩くのって体力いるのね。

「これ、大事なものなんです。本当に、ありが……」

顔を上げ、改めてこの良い人にお礼を言おうとして、私は言葉を失った。
金色で、毛先が所々赤い髪。
小さい頃と同じ、太陽のような笑顔。

「よもやよもやだ! こんなところで会えるとは!」

そのちょっと古風な口癖も、変わってない。

「きょうちゃん……?」
「久し振りだな! 最寄り駅が、君の解散場所と同じだったとは!」

そっか。杏ちゃんの最寄り駅ってここなんだ。
私が東京の地理をわかっていないばかりに、どこから電車に乗るか手紙に書けなかったから、杏ちゃんも私がどの駅を使うか知らなかったものね。
私も、ついさっき駅名を知ったばかりだし。

でも、今はそんなことより、会えたことが嬉しくて。

「杏ちゃん! 会いたかった!」

人混みの中だということも忘れて、私は杏ちゃんの胸に飛び込んだ。
杏ちゃんは嫌がりもせず、私のことを抱き締め返してくれた。

「俺も会いたかった」

顔を上げれば、杏ちゃんは柔らかく目尻を下げていて。そんな笑い方、昔はしていなくて。

高くなった身長。低くなった声。筋肉質になった身体。
彼は予想通り、いや、予想以上にかっこよくなっていて、今更抱き付いたことが恥ずかしくなる。

一歩後ろに下がると、杏ちゃんが私の両手を捕まえた。逃がさないと言わんばかりに、ぎゅっと握り締めてくる。

その手の温かさは昔のままなのに、私は安心するどころかどきどきが止まらなくなってしまった。







 




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