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第一章 十
その日の真夜中、深月は悪夢に魘され飛び起きた。
荒い息で部屋を見渡して、煉󠄁獄家に居ることを思い出す。
悪夢の内容は、毎回決まっている。あの夜の惨状だ。
蝶屋敷でも、毎日同じ悪夢を見ていた。最初の方はよく叫んだりしていたが、段々と魘されるだけになってきた。
今日もどうやら叫んだりはしていないようなので、誰にも迷惑を掛けていないことに安心する深月。
しかし、汗で寝間着と包帯がべっとりと肌に貼りつき、不快でしょうがない。
深月はできるだけ音を立てないように、手拭いを持って湯殿へ向かう。湯殿に残っている水で、包帯を洗って体を拭こうと考えたのだ。
部屋を出て少し歩いたところで、後ろから声を掛けられる。
「深月?」
「きゃあ!」
まさかこんな真夜中に誰か起きているとは思わず、深月は心臓が口から飛び出そうになるくらい驚き、短い悲鳴を上げる。
しかし、声は聞き覚えがあったので、振り返る。
そこには、寝間着姿の杏寿郎が居た。
「驚かせてしまったようだな!すまない!しかし、どうした?眠れないのか?」
「ええ、夢見が悪くて……ちょっとお水を頂こうかと」
「そうだったのか!そういう時は、遠慮せず起こしてくれていいぞ!」
仕事柄、夜には強いからな、と杏寿郎は深月に笑いかける。
その親切心は有り難いが、深月が向かおうとしているのは湯殿だ。さすがに着いてきてもらうわけにはいかず、深月はやんわりと杏寿郎を部屋に帰そうとする。
「汗を拭こうと思っただけですので、大丈夫です。杏寿郎さんはお休みになってください」
「いや、心配だから着いていこう!廊下で待っているから大丈夫だ!」
「いえ、そういうわけには……」
「暗いから気を付けろ!」
杏寿郎は深月の話を聞かず、彼女の手を引いてずんずん廊下を進む。
昼間であればここで言い争うが、真夜中にそんなことをしては千寿郎まで起こしてしまうし、近所迷惑になる。深月は諦めて、杏寿郎に着いていった。
深月が湯殿に入る際、杏寿郎は先ほど言った通り、「ここで待っている!」と廊下に座り込んだ。
深月が風邪を引くからと再度断っても、全く動こうとしなかった。
深月は湯殿の戸を閉め、寝間着の上だけ脱ぐ。帯のところで寝間着が垂れ、深月の上半身と巻かれた包帯が晒される。本当は下半身も拭きたかったが、杏寿郎が待っているのに長い時間をかけるわけにはいかなかった。
浴槽に残っている水を桶にとり、手拭いを濡らしてきつく絞る。
そして、傷隠しに使っている包帯もとらず、首や腕などを拭いていく。これも杏寿郎を長いこと待たせないためだ。
拭き終わったら手拭いを軽く洗って寝間着に袖を通し、廊下に出る。
「お待たせしました」
「やけに早かったな!もっとゆっくりしてもいいぞ!」
「いえ、大丈夫です」
杏寿郎は納得いかなそうな顔で立ち上がり、深月の方を見たかと思うと、目を反らした。
深月は寝間着がはだけていたのかと思ったが、特にそういうわけではなく、首を傾げた。
「傷は、完治したのではなかっただろうか」
寝間着ははだけていなかったが、緩めに着ていた為、包帯が見えたらしい。深月は寝間着の前をぴったりと整えながら答える。
「傷自体は治ってます。ただ、傷跡を隠したいので包帯を巻いているだけですよ」
「そうか……しかし、本当にもういいのか?包帯も洗いたいのではないか?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
深月は軽く頭を下げてから、部屋へ戻ろうと促した。
*****
深月を部屋まで送り届けた杏寿郎は、何故か深月の部屋にまで入ってきた。
困惑する深月を寝かせ、布団を掛け、その横に座ってぽんぽんと頭を優しく撫でる。
「千寿郎が小さい頃、よくこうして寝かし付けていた!」
「いや、私、貴方と同い年なんですけど」
幼い頃の千寿郎と同じ扱いを受け、深月はさらに困惑する。
杏寿郎は、深月を安心させるかのように笑う。
「あの夜の夢を見てしまうのだろう?」
「まあ、そうですけど……でも、大丈夫です」
杏寿郎には、是非とも自室に戻って寝てほしい深月。
しかし、そんな彼女の心中を察することができない杏寿郎は、規則的に深月の頭を撫で続ける。
「夢見が悪いときは、寝付くまで誰かが側に居てやると、少しはましになるそうだ!」
「それは誰からの情報でしょうか」
「千寿郎だ!」
それは、千寿郎と杏寿郎が兄弟だからだろう。深月は小さく溜め息を吐く。
お互い何とも思ってない節はあるが、年頃の男女が真夜中に同じ部屋に居るのはどうだろう。そもそも今さらだが、同じ屋根の下という時点で世間体は悪いかもしれない。
しかし、杏寿郎の行動に下心が存在していたことは無く、全ては彼の思いやりから来る行動なのだ。
しかも今は真夜中ということもあり、深月は強く言えずにいた。
結局、そのうち深月はうとうとし始めてしまい、杏寿郎の手に余程安心させられたのか、すぐ眠りについてしまった。
杏寿郎は、しばらく深月の寝顔を見守っていた。
先ほど、杏寿郎は深月が魘される声で目を覚ましたのだ。随分長いこと魘されていて、その声はとても苦しそうだった。
寝言で何度か謝っているのも聞こえた。
きっと家族に謝っていたのだろう。自分だけが助かったと、家族を守れなかったと、自分を責めているのだろう。彼女は何も悪くないのに。
しばらくすると、苦しそうな声が止まり、障子を開閉する音と、小さな足音が聞こえてきた。
どこへ行くのか心配になった。もしかしたら、家族の元へ行きたくなってしまったのではないかと、不安になり、杏寿郎はその足音を追い掛けたのだった。
今、深月は穏やかな顔で寝ている。
それを起こさないよう、杏寿郎は音も立てずに自分の部屋へ戻っていった。
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