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第四章  八


煉獄家に帰るなり、深月は庭に転がされた。
一応着地して、その場に正座してみるが、状況は変わらない。

怒った様子の杏寿郎に見下ろされる。

「立ちなさい」

できれば立ちたくない。立てば地獄の鍛錬が始まる。
しかし、杏寿郎の命令を無視するわけにもいかず、深月はゆるゆると立ち上がる。

杏寿郎の顔を見る勇気はないので、深月は俯いて地面を見つめる。

「鬼を助けた上、柱達に逆らうなど呆れたぞ。何か言いたいことはあるか?」

杏寿郎が静かに尋ねるが、これに対する返答は「いいえ」しか有り得ない。
広い庭の空気が一気に重苦しくなる。

深月は鬼殺隊本部に到着したときからずっと、杏寿郎の重圧に耐えていた。途中、感情的になって重圧を忘れていた瞬間もあったが、今、遂に耐えられなくなった。
恐怖や申し訳なさが込み上げて、泣き始めてしまう。

「す、すみませんでした……もうしません……」

子供のようなことを言って、溢れた涙で地面を濡らす。

深月は鬼殺隊に入り、段々と鬼との戦闘すら恐れなくなったが、それと反比例するかのように、杏寿郎に怒られることへの恐怖は増していった。

杏寿郎の怒気が凄まじいということもあるが、怒るということは自分に何か原因があるということだ。
今回はどう考えても、隊律違反と鬼殺隊本部での態度が原因だろう。

嫌われたらどうしよう、と考えながら、深月は鼻をすする。

その姿が可哀想になってきて、杏寿郎は溜め息を吐いた。

「泣かないでくれ。もう怒らないから」

そう言って、困ったような笑顔で深月の顔をのぞきこむ。
深月は恐る恐る杏寿郎と目を合わせる。彼女は不安そうに眉を下げ、きゅっと唇を引き結んでいた。
まだ涙は止まっておらず、溢れたそれが杏寿郎の頬を濡らす。

「あっ、すみませ……」

杏寿郎の頬を濡らしてしまったことに気付き、深月は一歩下がる。
懐を探って、手拭いで彼の頬を拭こうとしたが、この手拭いは炭治郎の汗を拭ったものだと気付いて止める。

杏寿郎は自身の袖で、自身と深月の顔を拭う。
隊服が濡れてしまう、と深月は逃げようとするが、杏寿郎は彼女を捕まえて拭い続ける。

深月の涙が止まった頃、杏寿郎は彼女を縁側まで連れて行き、そこに座らせた。
その前の地面に膝をついて、彼女の両手を包むように握る。

「すまん。話は本部で終わっていたな」

深月はふるふると首を横に振る。
自分が悪いのだから、杏寿郎に謝らせるなど申し訳なかった。

「私が悪いんですから、謝らないでください。お叱りも罰もちゃんと受けます。泣いたりしてすみません」

深月は眉を下げたままではあるが、小さく微笑んだ。
地獄の鍛錬は嫌だが、なんとか覚悟は決まった。

杏寿郎も眉を下げて笑う。
杏寿郎が柱になってから、そして婚約してからというもの、深月は随分素直というか、従順になった。

それは杏寿郎が深月を自身の継子として任命したからでもあり、深月が杏寿郎に相応しい振る舞いをしようと考えたからでもある。

未だにいじけもするし、怒りもする。拗ねたり、泣いたり、杏寿郎を困らせることもたまにある。
それでも、炎柱の継子として、煉獄杏寿郎の婚約者として、深月は努力を怠らなかった。昔に比べれば、かなり感情の制御ができるようになっていた。

だからこそ、今回のように泣かれると、杏寿郎は早い段階で根負けしてしまうことが増えた。

「そうだな。怒りはしないが、罰は受けてもらわねばならない。腹はもう大丈夫か?」
「……はい。よろしくお願いいたします」

深月は深々と頭を下げた。


*****


「深月、頑張れ!あと百回だ!」

杏寿郎の励ましを聞いて、死んじゃう、と深月は思った。

彼女は今、鍛錬という名の罰を受けている。
かれこれ三時間休み無し。夜には任務も控えているのに。

今回の罰は重めだった。杏寿郎とひたすら手合わせだ。
これでも、腹の傷を考慮してもらっているし、当主の進言で減刑された方なのだが、杏寿郎が相手では充分重めの罰となる。

木刀を支えにしてふるふると立ち上がる深月。
一方、杏寿郎は涼しい顔で深月が打ち込んでくるのを待っている。

もともと、杏寿郎程の膂力を持ち合わせていないから暗器を使うようになったのに、木刀一本で杏寿郎に敵うわけがない。
しかも、手を抜いたらすぐにバレるので、本気で倒しにかかるしかない。

深月は泣きそうになりながら、木刀を構える。

この三時間で既に百回負けていて、六回反吐をぶちまけていて、二回気絶して水をぶっかけられた。

これが婚約者にする仕打ちか。
三時間前の自分は、どうして『お叱りも罰もちゃんと受けます』などと言ってしまったのだろう。

そうやって、深月は心の中で杏寿郎や三時間前の自分を責める。

それでも、任務までに、いや、任務よりもかなり前に罰を終わらせなければ、任務に行けない。

深月は木刀を握り締め、杏寿郎に向かって跳躍した。





 




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