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第四章 十七
善逸は引き続き伊之助を引き戻そうとし、伊之助は外に出て汽車と競争すると言い出す。
汽車が初めてなのだろう。心の底からわくわくしているような声だった。
「馬鹿にも程があるだろ!!」
善逸は伊之助を怒鳴り付ける。
そこで、杏寿郎が口を開く。
「危険だぞ」
それは、伊之助の行動を指しての言葉ではない。
「いつ鬼が出てくるかわからないんだ」
杏寿郎がそう続けると、善逸が顔を青くして固まる。
伊之助のことは放っておいて、杏寿郎に向かって叫ぶように尋ねる。
「嘘でしょ!?鬼出るんですか、この汽車!」
「出る!」
杏寿郎が簡潔かつ快活に答えると、善逸は仰け反って泣き叫ぶ。
どうやら、この汽車で鬼の所に移動していると思っていたらしい。
鬼が出る汽車だなんて、少しも思っていなかったらしく、身悶えする。
そんな善逸を特に気にすることなく、杏寿郎は状況を説明する。
出発前に深月にした説明と同じ内容だ。
行方不明者が出ていることと、隊士も消息を絶ったこと。
簡潔な説明を聞いた後、善逸がまた泣き叫ぶ。
「はァーッ!なるほどね!降ります!!」
今更無理だろう。
深月は善逸に歩み寄り、彼の頭を撫でながらなんとか宥めようと考える。
「大丈夫だよ。善逸君も剣士なんだから、ちゃんと出来るよ」
昔、泣いている弟妹にしていたように、笑顔で優しく声を掛ける。
善逸は床に項垂れて、卑屈な叫び声を上げる。
「無理です!俺、弱いんです!!」
「落ち着いて。そんなことないよ」
深月は、炭治郎と善逸本人から、善逸は那田蜘蛛山で鬼を斬って、呼吸を駆使して生き残ったと聞いていた。
そんな彼が弱いとは思えなかったが、彼には自信がないのだろう。
泣き叫ぶ姿には少し困惑したが、引き続き彼を宥めて、任務に臨ませようと励ます。
「大丈夫。杏寿郎さんも私もいるから。ね?」
「深月さんも?」
漸く善逸が叫ぶのを止め、深月を見上げる。
深月がこくこくと頷くと、善逸が首を傾げた。
「深月さんの階級って……?」
「あれ、言ってなかったっけ。甲だよ」
こう見えても結構強いんです、と深月は笑って胸を張る。
善逸と炭治郎は一瞬呆けて、伊之助はわなわなと震える。
「甲って、柱のすぐ下ですよね。え、深月さん甲?」
善逸は目を丸くし、深月を指差す。
深月はそれを失礼と思うこともなく、善逸の前に膝をついて答える。
「うん。杏寿郎さん達のすぐ下」
それを聞いて、善逸が目を輝かせる。
「深月さん、綺麗で優しい上に強いんですね!」
「お前、そんなに強かったのか!俺と勝負しろ!」
善逸がすがり付いてきて、伊之助が飛び掛かってくる。
深月は困ったように笑いながらも二人を受け止め、それぞれ落ち着かせようと宥める。
そこで、杏寿郎が深月の襟首を掴んで引き上げた。
深月は勢い余って立ち上がり、善逸と伊之助から離される。そのまま、一歩二歩と下がってしまう。
体勢を崩しかけたところで、襟首を掴んでいたはずの杏寿郎の腕が腹に回された。
抱き寄せられ、肘掛けにぶつかる。
「きゃあ!」
杏寿郎の膝の上に座る直前で、なんとか踏ん張って止まった。
その結果、杏寿郎に対して横向きで、通路の方を向いているものの、上半身は後ろに傾いてしまい、片手は杏寿郎の左肩に置いてしまう。
深月の胸元に触れそうな程顔を傾け、杏寿郎はふっと笑う。
「すまないが、この子にあまり触れないでくれ」
その光景に、炭治郎と善逸は頬を赤く染め、伊之助は杏寿郎から発せられる重圧に身震いした。
深月はというと、耳まで真っ赤にして硬直していた。
動かない彼女を見上げ、杏寿郎はにっこり笑う。
「君も不用意に男に近付くんじゃない」
深月は恐る恐る杏寿郎を見下ろす。
離してほしくて見下ろしたのに、彼はぐっと腕に力をこめた。
「聞いているのか?」
深月は正気に戻り、慌てて杏寿郎の腕から抜け出そうと腹や脚に力を入れる。
「聞いてますすみませんでした私が悪かったです反省してますから離してください!」
こんな恥辱は耐えられない。
息継ぎ無し。早口で捲し立てて、なんとか起き上がる。
杏寿郎も公衆の面前で、これ以上深月を抱いているわけにもいかず、彼女を解放する。
解放された深月は、別の座席に移動してしまおうと方向転換するが、それは杏寿郎に読まれていたようだった。
「戻りなさい」
一歩も踏み出さないうちに、有無を言わせぬ声色で言われ、深月は渋々元の座席へ戻る。
なんとなく気まずい空気が流れ、深月は何も話さなくなった。
深月や炭治郎、善逸の顔の赤みが引いた頃に、後方の戸が静かに開いた。
「切符……拝見……致します……」
ボソボソと呟きながら、車掌の男がやってくる。
何故か、他の乗客には目もくれない。
炭治郎も汽車は初めてのようで、何かと首を傾げる。
車掌が切符を確認し、切り込みを入れてくれるのだと答えながら、杏寿郎が自身の切符を車掌に渡す。
深月もそれに続き、伊之助、善逸も切符を差し出す。
車掌はそれぞれの切符を、改札鋏でパチンパチンと切っていく。
最後に、炭治郎が席を立って車掌に歩み寄り、切符を差し出す。
車掌がそれを受け取ると、天井の灯りが点滅した。
車掌は他と同じように、切符に切り込みを入れる。
パチンという音と同時に、一瞬だけ車内が真っ暗になった。
「拝見……しました……」
車掌の呟きは、妙に陰気だった。
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