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第四章 十九
「姉様、きょーじゅろーって誰?」
「姉上の好きな人?」
弟妹達が、不安そうに尋ねてくる。
深月はそれを見て、彼らは杏寿郎を知らないのだと悟った。感覚としては、悟ったというより思い出したという方が近い。
「杏寿郎さんは、私の……」
言い掛けて、何だっただろうか、と深月は言葉に詰まる。
この世で一番愛しい人。それは間違いない。
でも、関係性がわからない。
彼と何処で出会って、どういう時を過ごして、何を想ったのか。
たくさん思い出があるはずなのに、頭にもやがかかったように思い出せない。
そこで、女中の一人が笑顔で声を上げた。
「杏寿郎様は、深月お嬢様の婚約者の方ですよ。将来、あなた方のお兄様になる方です」
深月は困惑しながらも立ち上がる。
婚約者。身に覚えがある。知っている気がする。
しかし、なんとなくだが、家族と杏寿郎はどちらかしか取れない気がした。どちらも揃って手に入れられるわけがない、と思った。
「あの、杏寿郎さんと私って……」
どうやって出会ったんでしたっけ。
深月がそう尋ねようとした瞬間、廊下に続く障子が開かれた。
深月も、弟妹も、女中も、そちらの方を見る。
そこには深月達の父が──雨宮家の当主が居て、女中達は頭を下げる。
不安そうな弟妹達と、冷や汗を流す深月を見て、父は心配そうに眉を下げる。
「どうした、お前達。具合でも悪いのか?」
「姉様が……」
妹が深月を見上げると、父も彼女を見やる。
一番上の娘は真っ青な顔をして、額に汗を浮かべていた。
「ひどい汗だな……少し休むか?」
父がそう言うと、彼の後ろから別の声が飛んできた。
「体調が優れないのか!それはいけない!」
その大きな声に、深月は目を見開く。
恐る恐る父の後ろを見れば、廊下に一人の青年が立っていた。
ところどころ赤い、燃えているような色の髪。
自分に向けられる優しい眼差し。
しかし彼は和装で、詰襟を着ていなければ腰に刀を差してもいない。
「杏寿郎さん……?」
深月は困惑する。
家族と杏寿郎。一緒に存在できないものが、同時に目の前に現れたような気分だ。
困惑しすぎたせいか、眩暈がしてきて足に力が入らなくなる。
ふらつく深月を抱き止めたのは、父でも女中でもなく、杏寿郎だった。
「大丈夫か?」
声量を抑えた優しい声が降ってくる。
深月は杏寿郎の腕を掴んで、彼を見上げる。
杏寿郎は、心配そうに眉を下げながらも、深月を安心させるように微笑んでいた。
「お兄さんがきょーじゅろー?」
「わあ、変な頭!」
「父様よりおっきい!」
弟妹達が、わらわらと杏寿郎に群がる。
初めて見る姉の婚約者。彼の上背や髪色が珍しいらしく、興味津々で声を掛ける。
「俺は煉獄杏寿郎だ!君達の姉上は体調が優れないようだ。部屋まで送りたいから、姉上の部屋を教えてくれるか?」
杏寿郎は太陽のような笑顔でそう返す。
弟妹達は快く頷き、「こっちこっち」と杏寿郎を案内しようと廊下を出ていく。
それに置いていかれないよう、杏寿郎は深月を抱き抱える。
深月の父が複雑そうに眉をしかめているのに気付き、困ったように笑う。
「お嬢さんは自分で歩けないようですので。お許しください」
「そうだな……いや、杏寿郎君に下心がないことはわかっている。失礼した」
父は眉をしかめたまま、杏寿郎を見送った。
深月は杏寿郎の腕の中で、吐き気を催していた。
このままでは彼の高そうな着物や羽織に反吐をぶちまけてしまうと思い、口を両手で押さえる。
「深月?戻しそうなのか?」
それに気付いた杏寿郎が尋ねると、深月はゆっくり頷いた。
「厠に行くか?間に合わないならそのまま戻すといい」
俺は気にしないから、と優しく微笑む杏寿郎。
その笑顔を見ていると、吐き気は治まってきた。
深月は口から手を離し、杏寿郎に預けるように頭を傾けた。
杏寿郎の匂いがして、体温や鼓動を感じて、安心する。
違和感は拭えないのに、これが求めていた幸せだと思えた。
いつの間にか、深月の部屋に到着していて、杏寿郎は彼女を布団に寝かせる。
布団は、弟妹達が敷いてくれていた。
深月に布団を掛ける杏寿郎に、一番上の妹が目を輝かせて尋ねる。
「姉様とどこで出会ったの?姉様のどこが好きなの?」
恋に憧れる年頃なのだろう。
姉のことも心配だが、彼らの馴れ初めも気になるらしい。
杏寿郎はふっと微笑んで答える。
「俺は鬼狩りの仕事をしていてな。深月と出会ったのは、夜の森だった」
その夜。深月は迷子になった末の弟を探していた。
末の弟を見つけたのは森の中だったが、その頃には日が落ちかけていて、深月は帰路を急いだ。
その途中、鬼に襲われたところを、杏寿郎が助けたのだ。
そう、説明する。
深月はそれを聞きながら、合っているような、間違っているような、不思議な感想を抱いた。
杏寿郎は続ける。
自分が助けに入った時には、深月は弟を庇って怪我をしていた。
鬼を倒し、彼女に駆け寄り、震えている彼女の手当てをした。
彼女は、弟が怖いものを見なくて済むように、弟の顔を隠すように抱き締めていた。
腕や背中から血を流し、それでも弟を離さなかった。
体は震えているのに、その瞳は燃え滾るような強さを宿していた。
「強くて優しい子なのだ、と思った。そういうところを、好きになった」
妹は、嬉しそうに顔を綻ばせる。
いつぞや大怪我をした姉は、もう嫁にはいけない、と嘆いていた。
そんな姉を好きだと言ってくれる人が居てくれることが、嬉しくて仕方がなかった。
深月はそうだったっけ、と思案する。
言われてみれば、そういう記憶はある。しかし、しっくり来ない。何かどうしようもない違和感がある。頭では理解できるのに、心がついていけていないようだ。
そして、杏寿郎が次に口にした言葉に、息を呑むことになる。
「深月とたくさん一緒に居たいから、鬼狩りを辞めることにしたんだ」
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