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第四章 二十
杏寿郎の言葉を聞いて、深月は飛び起きた。
体調が悪かったはずなのに、それはすっかり頭から抜け落ちて、杏寿郎の腕を掴む。
「鬼狩りを辞めるって……鬼殺隊を辞めるんですか?炎柱は!?煉獄家はどうするんですか!?」
責めるように尋ねると、杏寿郎は困ったように眉を下げた。
「この前も話しただろう。父上が復帰するし、千寿郎も居るから大丈夫だ」
深月は二の句が継げなくなる。
父が復帰するなら、一緒に戦おうと思わないのか。
剣の才が無いと落ち込んでいた弟に、責務を押し付けるのか。
深月の責める視線に気付いて、杏寿郎は宥めるように彼女の肩に手を置く。
「剣士を続ければ、いつ死ぬかわからない。俺は君とずっと一緒に居たいんだ。父上も、元々俺が剣士をすることには反対だったようだし……千寿郎も祝福してくれた」
深月は唇を噛み締める。
違う。こんなの杏寿郎じゃない。
自分が愛した人ではない。
そう考えると、激しい頭痛に襲われた。
また蹲る深月を見て、弟妹達は大人を呼びに行こうと部屋を出て行く。
杏寿郎は深月を落ち着かせるように背中を擦ってやる。
頭痛が治まった頃、もやがかかったように思い出せなかった記憶が次々と脳内に浮かんできて、深月は目を見開いた。
そして、全て思い出した。理解した。
家族は鬼に殺された。もうどこにもいない。
杏寿郎に救われて、自分も剣士になって、彼を愛した。彼と添い遂げると決めた。
目の前の、杏寿郎と家族が共に在る光景は幻だと気付き、深月はぽろぽろと涙を流し始める。
泣き出した深月に、杏寿郎は狼狽する。
「大丈夫か?何か気に障っただろうか?」
「杏寿郎さん……」
深月は涙に濡れた瞳で杏寿郎を見上げ、悲しそうに眉を下げた。
「貴方は、杏寿郎さんじゃない」
なんて残酷な幻なのだろう、と思った。
絶対に手に入らない、杏寿郎と家族が共に在るという幸せ。でも、もしそれを手に入れられても、杏寿郎は深月が愛した彼ではなくなる。
深月は杏寿郎の手を払いのけ、立ち上がる。
何歩か後退ってから、踵を返して部屋を飛び出す。
廊下から玄関に向かい、草履も履かずに外へ出る。
杏寿郎も、廊下ですれ違った家族も、女中も使用人も、皆困惑していたが、誰一人として追い掛けて来なかった。
涙を拭って、深月は前を向く。
どこに行けばいいかはわからなかったが、自分のやるべきことは思い出していた。
今は、汽車の中に居たはずだ。
本物の杏寿郎や炭治郎達と、任務に臨んでいた。
鬼を斬らなければいけない。
そう考えて鬼の気配を探るが、薄い気配があちこちにあった。
やはり幻術の類なのだろう。目覚めなければ、鬼と接触すらできないかもしれない。
隊服もないし、日輪刀だってない。
やるべきことはわかっているのに、その方法がわからない。
「ああ、もう!どうなってるの!」
苛立ちを抑えきれず、深月は立ち止まって悔しそうに叫ぶ。
その瞬間、視界の端でぎょっとしている人影を捉えた。
深月はそちらの方を向き、人影を確認する。
人影は若い男性で、深月と目が合うとまたぎょっとして逃げるように走り始めた。
「待ちなさい!」
怪しすぎる男性の行動に、深月は声を荒げて追い掛ける。
すぐに追い付き、男性の襟首を掴んで引き倒す。
裾も気にせず馬乗りになって、彼の胸ぐらを掴んで締め上げる。
「どうすれば目が覚めるの?」
「し、知らない!俺は何も知らない!」
「……そう」
深月は冷ややかな目で男性を見下ろす。
本当に何も知らない人は、『知らない』とは言わないだろう。『何を言っているんだ』とか『わけがわからない』とか言うはずだ。
この男性は、おそらく鬼を知っている。
こういう時にはどんな方法が効果的か、宇髄やしのぶに教わったことがあった。
杏寿郎には怒られそうな方法なので、彼の前で試したことないが。
深月は男性の手を取り、無言で指を一本折り曲げた。
本来、曲がってはいけない方向に折り曲げられた指に激痛が走り、男性は泣き叫ぶ。
「五月蝿い」
深月は男性の指をもう一本折る。
「貴方が本当のことを言うまで続けるから」
そして、次の指に手を掛ける。
「待って!本当に知らないんだ!俺は、精神の核を壊せと指示されただけで……」
男性の悲痛な叫びを聞いて、深月の手がピタッと止まる。
男性は訓練など受けていない一般人のようだし、嘘を吐いているようにも見えない。
本当に、現実に戻る方法を知らないのだろう。
深月は男性の上から退き、考えを巡らせる。
考えても考えても目覚める方法は思い浮かばず、どうしようどうしよう、と焦り始める。
汽車の乗客は二百人程居た。誰一人死なせるわけにはいかない。
きっと、杏寿郎達も同じように幻を見ている。彼らも危険かもしれない。
早く戻らねば。戦わなければ。鬼を斬らねば。
焦れば焦るほど、思考は鈍くなっていく。
深月は一旦思考を止め、深く息を吐いて、吸う。
深呼吸を何回か繰り返したとき、男性の悲鳴が聞こえてきた。
もう何もしてないのに一体何なんだ、と深月が男性を振り向くと、彼は深月の腰辺りを見て震えていた。
深月は自身の体を見下ろす。
左手首が燃えていた。
現実には存在しないような、少し桃色がかった炎が上がっている。
全然熱くないその炎に見覚えがあって、深月は呆ける。
これは那田蜘蛛山で見た、禰豆子が使っていた炎だ。
炎は瞬く間に広がり、深月の全身を包んだ。
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