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第四章  二三


妙に胸騒ぎがして、心臓が嫌な感じに脈打つ。

深月は禰豆子に伸ばしていた手を引っ込め、立ち上がった。

鼓動が早くなって、息が乱れる。
先程の漠然とした不安も相俟って、足は自然と音がした方へ向く。

深月はゆるゆると歩き始める。
段々と早足になり、小走りになり、最後には走り出す。

身体はきついのに、杏寿郎の姿を見ないと安心できなかった。

しかし、途中で新たな怪我人を発見する。
放っておくわけにはいかないので、手早く止血し、また走り出す。

怪我人はまだ大勢いる。
汽車から脱出できていない人や、下敷きになっている人も居た。

彼らと杏寿郎を天秤に掛けたら、杏寿郎から叱られてしまう。失望されるかもしれない。

深月は何度も足を止め、乗客を救助しながら、音がした方へと向かった。


*****


深月は炭治郎と伊之助の後ろ姿を視界に捉える。
彼らも無事だったのだと安心したが、彼らの向こうに土煙が立ち込めていることに気付く。

(何あれ……)

深月は困惑する。

土煙なんて、もう立つ理由がないだろう。
汽車の横転は止まった。鬼も誰かが斬った。

何が起きているのかわからなかった。

やがて土煙が徐々に消えていく。

その中に、杏寿郎の頭部が見えた。
所々が赤い、炎を思わせる髪色だ。

彼は、刀を頭上に構えていた。

鬼はもういないはずなのに、何故刀を構えているのか。
深月の心臓が、また嫌な感じに脈打つ。

土煙がさらに晴れ、杏寿郎の目の前に別の影が見えた。
それは左の頭部が削れていて、左腕も千切れかけていた。

その状態で立っているということは、間違いなく鬼だろう。
深月はひゅっと息を詰まらせる。

その鬼の顔は左側しか見えないが、その瞳には『参』と刻まれていた。

『下参』ではなく、『参』。

それは、鬼が上弦の参であることを意味していた。

そして、土煙は彼らの腹部辺りまで晴れ、深月は両手で口元を覆った。

上弦の参の右腕が、杏寿郎の胸を貫通していた。

「ああ……ああああ!」

頭の中が真っ白になって、わけがわからなくなった。

杏寿郎が苦しそうに吐血する。

「死ぬ……!!死んでしまうぞ、杏寿郎!!鬼になれ!!」

上弦の参が、杏寿郎に向かって叫ぶ。

鬼になると言え。お前は選ばれし強きものなのだ。

そう、熱く語る鬼を見て、深月は目に涙を浮かべる。

何を言っているのかわからない。
杏寿郎が鬼になるわけがない。
胸を貫かれた人間が、死なないわけがない。

杏寿郎が死ぬ。

そう気付くと、世界が色を失ったような気がして、深月はぼろぼろと涙を溢れさせる。

しかし、杏寿郎は右手に力を込めた。
柄が軋むほど握り締めた刀を、上弦の参の頚に叩き込む。
上弦の参は、杏寿郎を鬼にすることを諦め、彼の頭を潰そうと再生した左腕を振るう。
杏寿郎はそれを左手で掴んで止めた。

その直後、深月の涙がピタッと止まる。

最期の最期まで、己の責務を全うしようとしている彼を、このまま死ぬまで見ているだけなのか。

そんなことでは、彼のような立派な剣士にはなれない。

深月は日輪刀を抜いて、跳躍した。
上弦の参の後ろに回り込み、杏寿郎とは逆方向から刀を鬼の頚に叩き付けようとする。

深月の気配と、東の空が明るくなっていることに気付いた上弦の参は、急いで右腕を引き抜こうとする。

しかし、それは微塵も動かなかった。

杏寿郎が筋肉だけで、上弦の参の右腕を止めていた。

深月の刀が、上弦の参の頚にめり込む。
それはとてつもなく硬かったが、深月は息を深く吸って力を込める。

東の空はますます明るくなってきて、上弦の参は焦る。

早くこの場を離れなければ、陽光が差してしまう。
だが、右腕は抜けないし、左腕も動かない。
女の剣士が増えて、両側からじわじわと頚に刀を押し込まれている。

そこで、炭治郎の叫び声が響いた。

「伊之助、動けーっ!!」

腹部を押さえて走りながら、杏寿郎のために動け、と伊之助に指示を出す。

伊之助はその声に反応し、上弦の参へ向かっていく。
上へと飛び、技を繰り出そうとした時。

上弦の参は体を後ろへ引いて、両腕を無理矢理引きちぎる。

鬼の後頭部で顔面を強打し、深月は呻き声を漏らす。
鼻血が出て、口も切れたが、それでも刀は離さない。

上弦の参の頚には、杏寿郎の折れた日輪刀が刺さったままだった。

深月の刀もまだ上弦の参の頚に刺さっている。
深月がまた腕に力を込めるが、その腕は上弦の参の肘で押し戻される。
それは凄まじい力で、あと少しで頚を斬れたのに、深月の刀は鬼の頚から離れてしまった。

上弦の参は横へ大きく跳躍し、素早く両腕を再生させて森へと走る。
既に朝日が差し込んできていて、皮膚をじりじりと焼いていた。

木々の間を走りながら、頚に刺さったままだった刀を抜いて、投げ捨てる。

「待て!!」

深月も跳躍し、上弦の参を追いかける。

逃がさない。逃がしてなるものか。
杏寿郎の──最愛の人の胸を貫いておきながら、逃げようというのか。

深月の顔にビキビキと血管が浮かび上がる。
怒りのあまり、どうにかなってしまいそうだった。

とっくに限界を超えていた身体を、呼吸法によってさらに酷使する。
木の枝が顔に、腕に、脚に当たる。顔や脚から血が出るが、気にならない。

そこで、上弦の参は背後に異様な気配を感じた。
女の剣士が追ってきているのはわかっていたが、それとはまた別の気配だ。

振り返ろうとして、胸部に衝撃が走った。
黒い刃が胸を貫いている。

上弦の参は両目を見開き、刀が飛んできた方向を見る。

そこに居たのは、炭治郎だった。

「逃げるなぁ!逃げるな卑怯者!!」

上弦の参にとって、炭治郎は杏寿郎に守られるだけの子どもだった。弱者だった。
そんな彼が、「逃げるな」と叫んでいる。

その言葉に、上弦の参は自身でも驚く程の怒りを感じた。
ビキ、と怒りのあまりに血管が浮かび上がる。

炭治郎が何を言っているのかわからなかった。
上弦の参は、鬼殺隊である彼らからではなく、太陽から逃げているのだ。

(それにもう勝負はついてるだろうが。アイツは間もなく力尽きて死ぬ!!)

胸の中でそう吐き捨てて、炭治郎への怒りを抱えたまま、上弦の参は森の奥へと急ぐ。

その脚が、一瞬傾く。

何事か、と上弦の参は自身の足元を見る。

左のふくらはぎに、何か刺さっていた。
簪のような、錐のような、鋭く細いそれは、刺さった周囲の皮膚を赤黒く染めていた。

それを抜いて、脚を回復させる。
どうやら、毒のようだったが、分解するのは一瞬もかからなかった。

しかし、その一瞬の間に、女の剣士が──深月がすぐ後ろまで迫っていた。

「逃げるな」

深月は冷ややかな声でそう言うと、すぐ側の木を薙ぎ倒した。





 




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