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第四章  二五


昔の夢を見て思い出した、歴代の炎柱の手記のこと。
千寿郎や槇寿郎、深月に伝えてほしいこと。

それらを炭治郎に伝え、杏寿郎は家族のことを胸に思い浮かべる。

弟の笑顔と、父の背中を。
そして、婚約者の幸せそうな姿を。

彼女と添い遂げることは叶わない。
遺して逝くことが不安だ。
約束を破ってしまうことが申し訳ない。

本当は、最期に一目逢いたい。

しかし、杏寿郎は今この場にいない彼女より、目の前の少年を優先する。

一呼吸置いて、それから、と続ける。

「俺は君の妹を信じる」

杏寿郎は、汽車の中で禰豆子が戦うのを見た。
命を懸けて鬼と戦い、人を守る彼女は、立派な鬼殺隊の一員だ。

そう伝えると、炭治郎が堪えきれずに嗚咽を漏らす。
伊之助は、何かを堪えるように肩を震わせている。

自分の最期を看取ってくれるのが、彼らで良かった、と杏寿郎は思う。
深月が居れば彼女の悲しむ顔を見なければいけなかったし、彼らに思いを託せることは幸せなことだ。

願わくは、彼らが力をつけ、悲しみの連鎖を止めてくれんことを──

「竈門少年、猪頭少年、黄色い少年、もっともっと成長しろ。そして、今度は君達が鬼殺隊を支える柱となるのだ。俺は信じる。君達を信じる」

これで伝えたい言葉は全て伝えた。
やはり、最期に深月に会えなかったのは心残りだが、こればかりはどうしようもない。

次第に意識が遠のいていく。
白くぼやけていく視界の中に人影が見えて、杏寿郎は目を見開いた。

幼い頃に亡くした母が、静かにこちらを見つめている。

杏寿郎は、胸の中で母に問う。

自分はちゃんとやれただろうか。やるべきこと果たすべきことを全うできただろうか、と。

『立派にできましたよ』

そう、母が微笑むのが見えて、杏寿郎も笑い返す。
その笑顔は、煉獄家の長男として、柱として浮かべてきたものとは違い、晴れやかな笑みだ。

杏寿郎の体から力が抜け、その生涯を終えようとした──その時。彼の耳を悲痛な叫び声が貫いた。

「いやああ!杏寿郎さん!」

杏寿郎は目線だけを叫び声の方に移す。
深月が大粒の涙を溢しながら、走ってきていた。

彼女は、握っていた日輪刀を投げ捨て、転がるように杏寿郎にすがり付いてくる。

「嫌!死なないで!杏寿郎さんがいない世界でなんて生きていけない!」

ともすれば脅しや呪いのような言葉を吐き、深月は自身の羽織を脱いで引き裂いた。それを杏寿郎の腹に巻き、傷を押さえつける。

「もう誰も救わなくていい……私が代わりにやるから!全部やるから、死なないで!お願い!」

そんなことを言われても、もうどうしようもない。
せっかく最期に会えたのだから、泣かないでほしい、笑顔を見せてほしいと思って、杏寿郎は眉を下げた。
しかし、それが無理な願いだとはわかっているので、力を振り絞り、炭治郎に伝えた最期の言葉を、深月にも伝えようと口を開く。

「すまん。最期に聞いてほしい……」
「そんなのいらないから死なないで!」

杏寿郎の言葉を遮り、深月は泣きじゃくりながら自分の懐を探る。

持ち合わせた医療道具は、ほぼ乗客の手当てに使ってしまった。
杏寿郎の傷を縫って止血したいのに、わずかな糸しか残っていない。
傷を焼いて塞ごうにも、火がない。今から火を起こしても間に合わない。もし火があったとしても、臓器が傷付いているから、下手に焼くわけにもいかない。

結局何もできずに、深月は杏寿郎の傷口を押さえつける。

「杏寿郎さん、居なくならないって約束したじゃない!私のことお嫁さんにしてくれるって言ったじゃない!嘘つき!嫌、死んだら嫌!絶対許さないから!」
「深月……」

杏寿郎の瞳に、消えかけていた炎が灯る。
目の前で泣きじゃくる最愛の人を置いては逝けない、と。

杏寿郎は深く息を吸う。体のあちこちが痛んだが、深月の涙を見ることに比べたら、そんなもの気にしていられなかった。

「ぐっ……うう……」

呻き声を上げながら、杏寿郎は呼吸での止血を試みる。
しかし、あともう少しのところで上手くいかない。充分に酸素を取り込めていないのか。
再度息を吸おう、と杏寿郎が少し息を吐いた瞬間、深月が杏寿郎の口を自身の口で塞いだ。

そして、深く深く息を吹き込む。
杏寿郎が自身で取り込めない酸素を補うために。

昔、杏寿郎に救ってもらったときと同じように。

命を分け与えられた杏寿郎は、渾身の力を込め、呼吸による止血を成功させる。

それを見た炭治郎達から歓声が上がる。

深月は再度杏寿郎に口付ける。彼の頬を両手で包み、目を閉じて、長く唇を合わせる。
それは人工呼吸のためではなく、愛を伝えるためのものだ。

人目も憚らず行われるそれに、炭治郎やいつの間にか駆け付けていた善逸は赤面しつつ目を逸らした。





 




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