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第四章 二六
止血を成功させた直後、杏寿郎は意識を失った。
深月や炭治郎達よりも先に蝶屋敷へ運び込まれて、早々に治療を受けた。
一命はとりとめたが、未だに目覚めていない。
*****
ガシャンと大きな音を立て、深月の顔のすぐ横で酒瓶が割れる。
その破片が彼女の頬を切り、器を失って飛び散った酒が彼女の着物を濡らす。
「だから剣士なんぞ辞めろと言ったんだ!杏寿郎も!お前も!どうせ大したものにはなれないんだ!!今すぐ辞めてしまえ!!」
槇寿郎の怒声が響く。
深月は先程から微塵も動かず、槇寿郎を見つめている。
眉一つ動かさない彼女の様子が癪に障り、槇寿郎は彼女の襟を乱暴に掴む。
襟がはだけ、襦袢が晒されるが、それでも深月は微動だにしない。
「なんだその目は!?言いたいことがあるなら言ってみろ!」
そこで、漸く深月が口を開いた。
「辞めません。私は、杏寿郎さんの代わりをすると決めたので。明日には任務に復帰する予定です」
槇寿郎はわなわなと震え、深月の横っ面に拳を叩き付けた。
深月の口の端から血が滴り落ちて、床を汚す。
やはり、深月は眉一つ動かさなかった。
槇寿郎は舌打ちをして、深月を投げ捨てるように解放する。
深月は何事もなかったかのように襟を整えながら、槇寿郎に非難するような視線を向ける。
もっと分かりやすく愛してやればよかったじゃないか。そうすれば、杏寿郎はあそこまで無茶をしなかったかもしれない。
そんなことを言い掛けて、口をつぐむ。
槇寿郎に責任転嫁したって仕方がない。
杏寿郎を守れなかったのも、上弦の参を斬れなかったのも、あの場に居た自分の責任だ。
そう思いながら、深月は槇寿郎の部屋を後にした。
彼女の視線に気付いたのか、槇寿郎は何事か言いたそうにしていたが、それを聞いてやる余裕は、今の彼女にはなかった。
明日からの任務の準備をしよう、と深月は自室に向かう。
その途中で、千寿郎と遭遇する。
千寿郎は深月の顔を見るなり、慌てて手を伸ばしてきた。
「深月さん!お怪我を……!」
そう言われて、深月は一瞬呆ける。
確かに、酒瓶で頬を切った。槇寿郎に殴られて、口から血が出たが、それがどうしたと言うのか。
杏寿郎の怪我に比べれば、こんなもの無傷も同然だ。
しかし、そんなことを言って千寿郎を傷付けるわけにはいかないので、深月は彼を安心させるように微笑む。
「痛くないから大丈夫だよ。ありがとう」
そう言って、頬に添えられた千寿郎の手を取って下ろす。
それを離そうとしたら、千寿郎が手を握り締めてきた。
「あ、あの、深月さんっ!大丈夫ですか!?」
「え?大丈夫だよ。今言ったじゃない。どうしたの?」
深月は困ったように笑い、千寿郎の頭を撫でる。
「いえ、そのお怪我じゃなくて……」
千寿郎は言い淀んで、それでも深月を心配そうな顔で見上げる。
汽車での任務以降、深月はずっと己のことを責めているのだ。
鬼を斬れず、杏寿郎も守れなかった、と。
怪我も癒えぬうちから、頻繁に杏寿郎の見舞いに行って、家事をこなして、鍛練も欠かさなかった。
怪我が治った今でも、表面上は明るく振る舞っているが、顔色は病人のそれだ。
きっと、まともに眠れず、一人で毎夜泣き明かしているせいだろう。
食事も喉を通らないようで、無理矢理飲み込んでいるのを何度も見た。それでも、以前の半分以下の量しか食べていない。
そんな彼女が、任務に復帰すると言う。
『杏寿郎の代わりを務める』と言う。
このままでは、深月も大怪我をするのではないか。
もしかしたら、任務で命を落としてしまうのではないか。
「まだお休みされていた方が……」
なんとか言葉を振り絞り、手に力を込める千寿郎。
「大丈夫だよ。怪我はもう治ってるんだから」
深月はにっこり笑って、やんわりと千寿郎の手を振り払った。
*****
黄昏時。
深月の肩に鎹烏が降り立つ。
彼女の鎹烏ではない。杏寿郎の鎹烏だ。
「よろしくね」
深月は杏寿郎の鎹烏──
要に微笑みかける。
今夜から、深月は杏寿郎の代わりに、彼の担当地区の警備にあたることのなったのだ。
彼女の鎹烏も付近で待機しているが、杏寿郎の仕事内容は要が教えてくれることになっている。
既にいろいろ教えてもらっているが、細かい部分は同行してもらいながら教わった方がわかりやすい。
要はどこか不安そうに、深月に頬擦りをする。
深月は要の頭を指先で撫で、前を向く。
「じゃあ、行こうか」
深月がそう言うと、要は飛び立つ。
それを追うように、深月も駆け出した。
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