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第一章  十三


庭で稽古をしている千寿郎を見つけ、深月は杏寿郎の怪我について尋ねた。

「お父様と喧嘩したって言ってましたけど、なんだか様子がおかしくて」
「えっと、深月さんが気絶した後のことなんですけど……」

千寿郎は一昨日のことを思い出すように、縁側を見つめる。そこは、深月が槇寿郎に食って掛かり、殴られた場所でもある。


*****


杏寿郎は、深月の世話を千寿郎に頼み、槇寿郎に向かっていった。

そして、珍しく父に向かって大声を上げた。

少女を殴り飛ばすとは何事か、と。
深月は弱くない。剣士に向いてる。きっと立派な剣士になって、たくさんの人々を救うだろう、と。

それが癇に障ったのだろう、槇寿郎は杏寿郎も殴り飛ばそうとした。

しかし、杏寿郎はそれを避け、槇寿郎に掴みかかった。
取っ組み合いのようになったが、杏寿郎は結局殴り飛ばされ、槇寿郎はそのまま柱合会議に向かった。

殴り飛ばされた杏寿郎は、壁に背中を強打し、その衝撃で吐いていたが、そのまま任務に向かった。


*****


千寿郎の説明を聞いた深月は、杏寿郎の怪我について納得する。自分の頬の腫れだって完全には引いていないので、手当てもせず任務に向かったのであれば、尚更腫れは引かないだろう。

千寿郎にお礼を言い、深月は裁縫道具を持って、杏寿郎の部屋へ向かう。

「杏寿郎さん、今よろしいですか?」

部屋の前で声を掛けると、中からばさばさと慌ただしい物音が聞こえてきた。
深月が心配そうに待っていると、返事が返ってくる。

「大丈夫だ!」

本当に大丈夫だろうか、と思いつつ、深月は障子を開ける。そして、ぎょっとする。
杏寿郎のワイシャツが、脱ぎかけだったからだ。釦は全て開けられていて、鍛えられた胸や腹が見えている。

「全然大丈夫じゃない!」
「す、すまん!」

杏寿郎は慌てて釦を閉める。
視線を逸らした深月は、杏寿郎の側に布や湿布薬があることに気付く。そして、杏寿郎が背中を強打していたと聞いたことを思い出す。

もしかして、背中に湿布薬を貼ろうとしていたのではないだろうか。そこに自分が来たものだから、慌ててワイシャツを着たのではないだろうか。
そうであれば、先ほどの物音は、ワイシャツを着ている音だったのだろう、と深月は考える。

「背中、痛むんですか?」
「いや、大丈夫だ」

深月が尋ねると、杏寿郎の釦を閉める手が遅くなる。

深月は部屋に入り、障子を閉める。
槇寿郎に何か勘繰られては困るので、中が伺える程度の隙間は開けておく。

そして、持ってきた裁縫道具を脇に置き、杏寿郎の後ろに座る。

「湿布薬を貼りますから、脱いでください」
「しかし……」
「いいから!」

怒鳴るように叫ぶ深月。杏寿郎はゆるゆると釦を開け、ワイシャツの袖から腕を抜く。
彼の屈強な背中がさらけ出され、そこには痛々しい痣ができていた。
それだけではない。今までの修行や任務で負ったのか、古い傷跡もいくつかあった。

深月は無言で湿布薬を手に取り、布に塗ってから痣に貼る。
その際、杏寿郎の肩がびくっと震える。

「痛かったですか?」
「いいや、急に貼るから驚いただけだ」
「ごめんなさい。包帯を巻きますね」
「ああ」

深月はできるだけ優しく、杏寿郎の体に包帯を巻いていく。
終わったと声を掛ければ、杏寿郎はワイシャツに袖を通す。

「ありがとう」
「どういたしまして。では、予備の釦を下さい」

深月が杏寿郎の前に移動し、手を差し出すと、元々用意していたようで、釦はすぐに手渡された。

深月はそれを受け取り、その場で釦をつけ始める。杏寿郎のワイシャツが全開のままなのは、もう気にならなくなったらしい。

二つ目の釦をつけ始めた頃、深月は杏寿郎に話し掛ける。

「千寿郎君から聞きました。どうして、怪我の理由を言ってくれなかったんですか?」

話している間も、深月の手は止まらない。あっという間に釦をつけ終わり、深月は詰襟を杏寿郎に返す。

それを受け取りながら、杏寿郎は答える。その表情は、どこか複雑そうだった。

「わざわざ言うのは、恩着せがましいと思ったのだ。それに、情けないだろう?殴り飛ばされた上に、吐いてしまったのだから」
「そんなことないです。私は嬉しかったですよ」

その言葉に驚く杏寿郎に気付かないまま、深月は裁縫道具をしまい、軽く頭を下げる。

「ありがとうございます。私のために怒ってくれたんですね」
「君の方こそ、俺のために怒ってくれただろう。俺のことを嫌っているだろうに」
「えっ?なんで?」

深月は思わず顔を上げ、首を傾げる。
確かに、杏寿郎を侮辱されて怒った。それは間違いない。しかし、杏寿郎のことを嫌ってなどいない。一体、何故そんなことを言うのだろうか。

疑問が顔に出ていたのだろう、杏寿郎が困ったように笑いながら言う。

「蝶屋敷で、言っていたではないか」

その言葉で、深月は思い出す。『嫌い!最初から嫌いだった!』と、言った。しかし、あれは本心ではなかった。

「違う!ごめんなさい、違うの!あれは八つ当たりで、本当に嫌ってるわけじゃないの」
「そうなのか?」
「そうです!嫌いだったら、手当てなんかしない……」

深月はなんだか泣きそうな顔で、杏寿郎を見上げる。
その様子に杏寿郎は一瞬言葉を詰まらせ、深月の側に寄って、彼女の腫れている頬に手を添えた。

腫れは大分引いたとはいえ、まだ少し痛む頬に触れられ、深月は一瞬顔をしかめる。
それを見て、杏寿郎は深月の頬を優しく撫でる。

自分のために怒ったせいで負わせてしまった怪我だ。それでも、今はこの怪我さえ、深月の優しさの証に思えて、杏寿郎の口角は自然と上がる。

「嫌われていないならよかった!」

至近距離で太陽のように笑う杏寿郎に、深月はどきりとする。それを悟られないように顔を背けると、杏寿郎は少し離れていった。

上機嫌になった杏寿郎は、開けっ放しだった釦を閉めながら、深月に笑いかける。

「深月、ありがとう!君が生きてくれて、誰かを救うと言ってくれて、俺は嬉しいぞ!」

急にそんなことを言われ、深月は驚くが、居住まいを正して杏寿郎に深々と頭を下げる。

「こちらこそ、ありがとうございます。あの夜、助けてくれて。面倒も見てくれて」

そう言って、顔を上げる。その顔は、とても晴れやかな笑顔だった。

「私もきっと、たくさんの人を救ってみせますね」

家族と一緒に死にたいと思っていた少女は、もうどこにも居なかった。







 




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