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第一章 十四
半年に一度の柱合会議にて、槇寿郎はお館様こと産屋敷耀哉に、思いがけないことを言われた。
「深月は、きっと強い剣士になるだろうから、面倒をみてあげてくれないか」
「深月」とは、杏寿郎が連れてきた娘のことだと理解するのに、槇寿郎は数秒かかった。
すぐ音を上げて出ていくと思っていたので、ろくに目を合わせたこともなかったからだ。もちろん、名前を呼んだことすらない。
「あの子はね、稀血の弟を食べた鬼を、鉈で斬ったんだよ」
耀哉は、鎹烏が見ていたという光景を、槇寿郎に伝える。
重傷を負いながら、鉈で鬼の顎と腕を斬ったこと。
それはもちろん致命傷にはならなかったが、その回復に体力を奪われ、鬼が弱ったこと。
その鬼を、杏寿郎が倒したこと。
「杏寿郎と出会ったのも、きっと何か理由があると思う。無理に剣を教えなくてもいいから、杏寿郎の側に置いてやってほしいんだ」
尊敬する耀哉のお願いに、槇寿郎は頷いた。
殴り飛ばしてきたばかりだが、家に置く分には問題ない。剣も杏寿郎が勝手に教えるだろう。
しかし、杏寿郎は深月のことを気に入っているようだし、千寿郎も彼女のことを姉のように慕っている。
もし、そんな深月が鬼に殺されでもしたら、自分の息子達は大層傷付くであろう。それに耐えられるのだろうかと思いながら、槇寿郎は帰路に着いた。
*****
杏寿郎の教えは、つらく、きつく、しんどく、苦しかった。
今までただの商家の娘だった深月は、人生で初めて吐くまで動いた。吐瀉物の処理もままならないまま、次の指示が出される。
せっかく道着を用意してもらったが、これでは何枚あっても足りないと、深月は洗濯と道着の枚数の計算をする。
全集中の呼吸と、剣の扱い、体の使い方。
やるべきことは山ほどあって、雑用もこなさなければならない。
休憩をもらい、口をゆすぎながら、深月は自分の掌を見つめる。元々あかぎれや擦り傷は多かったが、最近は血豆やそれが潰れた跡が増えた。
身体中痛いし、疲れも溜まっているが、少しずつ杏寿郎に近付いている気がして、なんだか嬉しくなった。
しかし、一番の問題は食事だった。
深月もやる気はあるのだが、未だ体がついていっていないので、毎日胃がひっくり返りそうになっていた。
その状態で、「人並み以上に食え」と指示される。
深月はもそもそと食事を口に運ぶが、如何せん、食欲は全くない。食べた側から戻しそうなくらいだ。
「きちんと食べねば、強くなれんぞ!」
「はい……」
きっと今食べている物も、そのうち反吐としてぶちまけるんだろうなあ、と思いながら、深月は食事を無理矢理飲み込んだ。
*****
食事後は、後片付けに、風呂の用意。
洗濯は明日するとしても、繕い物もあることを思い出す。
「うーん……今日は何時に寝れるかなあ……」
体を洗いながら、深月は呟く。
お湯はいつも一番最後に頂くことにしているため、その後も雑用をしていると、布団に入る頃には夜も更けている。
しかし、引き続き煉󠄁獄家に置いてもらえることになった以上、槇寿郎の指示に従うしかない。
先日は売り言葉に買い言葉で言い争ったが、逆らって良い事などあまりないだろう。
風呂から上がり、部屋に戻る途中、深月は杏寿郎が縁側で何かを見上げているのを見つけた。
近くに寄り、彼に声を掛ける。
「杏寿郎さん、何か見えるんですか?」
「ああ、月がな……」
深月を横目で確認してから、視線を上に戻す杏寿郎。
その隣で、深月も月を見上げる。少し雲に隠れているが、今日は満月らしいと気付く。
「綺麗ですね」
「そうだな……深月、疲れているだろう。もう寝なさい」
不意に笑いかけられ、深月の心臓は一瞬跳ね上がる。
深月は最近、どうにもおかしいと感じていた。普段は問題ないのだが、ふとした時、杏寿郎の仕草や言動に心奪われることがあるのだ。
それを誤魔化すように、深月も笑顔を返す。
「繕い物が終わったら寝ますね。おやすみなさい」
「おやすみ」
杏寿郎に軽く頭を下げ、深月は自室に戻っていった。
杏寿郎は、その背中をぼんやりと見つめる。
彼も、最近自分の心臓が言うことをきかないことに気付き始めていた。
杏寿郎は、自分のために、父に向かって叫んだ深月の凛とした背中を思い出す。
その時は、てっきり自分のことを嫌っているのだと思っていたが、そうではないとわかった時、妙に気分が高揚した。
そして、その直後に初めて見た、深月の笑顔。
その顔が、頭から離れない。もっと見たいと思ってしまう。
深月も杏寿郎も、自分の変化の正体には気付かないまま、夜はさらに更けていった。
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