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生存if 弐 三二
「おめでとうございます。ご懐妊です。父親は……まあ、煉獄さんですよね」
「えっ……?」
しのぶの言葉が理解できず、深月は首を傾げる。
その様子を見て、しのぶは改めて告げる。
「深月さん、妊娠されてますよ」
言葉の意味はわかっているのだが、その言葉を受け入れられず、深月は曖昧な笑みを浮かべる。
(妊娠って……え、今?どうして?)
何故、よりによって今なのだろう。
杏寿郎は目覚めなくて、自分は彼の代わりで精一杯で。
妊娠している暇はない。
かといって、もし堕ろしたら、次はいつ妊娠できるかわからない。
杏寿郎がいつ目覚めるかもわからないし、もしかしたらもう二度と──
「あ、あの、私……」
笑顔をひきつらせ、どんどん青ざめていく深月を見て、しのぶは悲しそうに眉を下げる。
「とりあえず、今夜はうちに泊まってください。深月さんのお休みは頂いてますから」
そう伝えると、深月は焦った表情になる。
「私、休めない……休んだら杏寿郎さんが……!」
代わりをするから死なないでと彼に言ったのに、休んでしまったら約束を果たせない。
杏寿郎が死んでしまうような気がして、深月は任務に行かねば、と立ち上がる。
しのぶは慌てて彼女の腕を掴み、引き止める。
「行かせられません!深月さんは今、二人分の休養や食事が必要なのに、そのどちらも足りてないんですよ!」
少し声を荒げるしのぶに、深月はびくっと肩を跳ねさせる。こんな風に怒鳴られたのは、何年ぶりだろう。
しのぶは自嘲気味に溜め息を吐き、深月の腕を離す。
「大声を出してすみません。でも、私は深月さんが心配なんです」
きっと煉獄さんも心配されてますよ、と言って、しのぶは深月を椅子に座らせた。
それからアオイを呼んで、自身は柱としての任務に向かう。
真っ青なまま椅子に座って呆けている深月を見て、アオイは一瞬眉を下げる。
深月はここ数年、蝶屋敷に来る度にアオイ達のことを気に掛けてくれた。
仕事を手伝ってくれたり、お菓子を買ってきてくれたり、遊んでくれたり。
アオイも、深月のことをカナエの代わりのように思ったこともある。
アオイだけでない。すみも、なほも、きよも。
カナヲはどうかわからないが、蝶屋敷の少女にとって、深月は姉に近い存在だ。
姉と呼ぶには少々子供っぽくて、我儘で、気性が荒い深月。
しのぶの方が落ち着いているので、姉と呼ぶなら間違いなくしのぶに対してだが、それでも自分たちのことを気に掛けてくれる深月のことが好きなのだ。
その深月が、こんなに暗い顔をしている。
見ているだけで辛いが、今は仕事を全うすることが彼女のためになると思って、アオイはいつものように眉を吊り上げる。
「深月さん。お部屋にご案内します。お食事も用意しますね」
深月を抱え上げても、彼女はうんともすんとも言わなかった。
*****
アオイが気を使ってくれたのだろう。深月は杏寿郎の病室に通された。
今夜はここで休むように、と言われ、布団まで用意してもらった。
食事は普段より多い量を与えられた。
深月は普段から人並み以上に食べる。それは体作りのためでもあり、それだけ食べないと体が持たないからでもある。
ついこの間までその量の半分も食べられなかったのに、深月はそれをぺろりと平らげてしまった。
しのぶの言った通り、体は二人分の栄養を求めているのだろう。
最近太ったと思ったのも、今日異常に眠かったのも、妊娠のせい。月のものが不順すぎて、全然気付かなかった。
しかも、しのぶの説明によると、今六ヶ月といったところらしい。
つまりは、あの汽車の任務の時点で、既に妊娠していたのだ。
食欲が失せていた時期を考えると、悪阻らしい悪阻も無かったのだろう。あの時期は、ただ精神的なもので食欲不振に陥っていたようだ。
せめて、汽車の任務前に妊娠がわかっていたら、杏寿郎はこんなことにならなかっただろうか。
過ぎたことを考えても仕方ないが悲しくて、さらにはこんな時でも素直に腹を空かせている自分が情けなくて、深月はふて寝するかのように布団を被る。
しかし、やはりすぐに寂しくなって、杏寿郎の寝台にいそいそと潜り込んだ。
*****
深月の妊娠については、すぐに当主や煉獄家に伝えられ、当主からは『しばらく休んでいい』との連絡をもらった。
産むかどうかも決めかねているのに、急に休みをもらっても困る。
昨日よりは調子がいいのだから、早く任務に復帰せねば、と深月は一人で意気込んだ。
一旦帰って、風呂に入って、任務の準備をしよう。
そう考えていたが、深月が蝶屋敷を出るよりも前に、槇寿郎と千寿郎が杏寿郎の病室を訪ねてきた。
ここ数年にしては珍しく、というか数年ぶりに、槇寿郎はきちんと着物を着て、袴を履いている。
深月が槇寿郎をぽかんとした顔で見つめていると、千寿郎が泣きそうな笑顔で口を開いた。
「深月さん、おめでとうございます!」
「え、あ……うん……」
千寿郎は心から喜んでいるらしい。
深月はお礼を言うこともできず、かといって千寿郎を突き放すこともできず、無理矢理笑顔を浮かべる。
その笑顔がおかしいことに気付かないほど、槇寿郎も千寿郎も鈍感ではなかった。
槇寿郎は深月に歩み寄り、軽く頭を下げる。
「産んでくれ。その子は、杏寿郎が生きた証だ」
その言葉に、深月は胸が締め付けられるような感覚がした。
『生きた証』だなんて。そんな言い方、杏寿郎が死ぬみたいではないか。
何も言わない深月に、槇寿郎は顔を上げる。
彼女を見れば、今にも泣き出しそうな顔で杏寿郎を見つめていた。
「私……あ、そうだ。湯浴みしてきます……」
震える声でそう言って、深月はふらふらと病室を出て行った。
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