(128/160)
生存if 弐 三四
深月は子供を産むかどうか決めるまで、蝶屋敷に泊まるように指示された。
それには、勝手に任務に行かないよう、見張りの意味もあるのだろう。
しかし、そんなことをしなくとも、日輪刀も暗器も取り上げられているので、任務に行きたくても行けない。
しのぶやアオイの計らいで、深月は杏寿郎と同室になった。
隠達も手伝い、わざわざ杏寿郎の病室に別の寝台を運び込んでくれた。
ちなみに、昨日、布団のみの貸し出しだったのは、急な話で準備が間に合わなかったから、とのことだ。
また、着替えも和装のものをいくつか貸してもらった。
首回りに何か触れると呼吸がままならなくなるという深月の心的外傷は大分緩和したが、完治はしていない。そして、恐らくこれからも完治することはないだろう。
しかも、今の深月は妊娠や杏寿郎の事で不安定な状態だ。尚更、蝶屋敷で提供している洋装の寝間着を着せるわけにはいかず、わざわざ和装のものを用意してくれたようだった。
槇寿郎と千寿郎は暗くなる前に帰宅し、病室には杏寿郎と深月の二人だけが残された。
月明かりが差し込む病室で、深月は杏寿郎の寝台横の椅子に座り、彼の顔を右側から見つめる。
ずっと、槇寿郎の言葉が頭から離れなかった。
『俺に、お前の父親の真似事をさせてくれ』
優しい御仁だと思っていたが、こんなに優しくしてもらえるなんて思わなかった。
深月も、槇寿郎のことは父親のように思っていたので、あんな風に言ってもらえてとても嬉しかった。
だが、彼の愛情に応えられない自分が嫌で、情けなかった。
あそこまで言ってもらったのに、「産みます」と言えなかった。
深月は俯いて唇を噛み締める。
やはり、深月の中で一番大きな存在は杏寿郎なのだ。
「杏寿郎さん、起きて……」
震える声で、深月は杏寿郎に話し掛ける。
「私、貴方の為なら何でもできるの。でも、貴方が居ないと何にもできないの」
鬼は怖くない。誰かの悪意も怖くない。
柱は、中には怖い人もいる。
杏寿郎に嫌われるのは怖い。
でも、鬼殺隊に入ってから、杏寿郎が目覚めなくなるまで、今以上に怖いと思ったことはなかった。
「私なんかに、貴方の子供を産んで育てる資格があるのかな」
嬉しいのに、怖くて、不安だ。
槇寿郎と千寿郎に胸の内を聞いてもらって、幾分かましになったが、それでも産む決意をするには程遠い。
むしろ幾分かましになったせいで、押し寄せる不安や恐怖を心が処理するだけの余裕ができてしまった。
とうとう耐えきれなくなって、深月はぽろぽと泣き始める。
「私、不安なの……貴方が居ない世界が怖いの……お願い、起きて」
杏寿郎は大怪我をして昏睡状態なのに。こんなことを言って。結局、杏寿郎に頼って。すがりついて。
(我ながら、なんて弱い女なのかしら……)
杏寿郎が都合よく起きることを期待して、彼に話し掛けてしまった。
自己嫌悪に陥りつつも、今後のことは明日また考えよう、と袖で涙を拭く。
起きているからいろいろ考えてしまうのだ。
もう一度杏寿郎の顔を見て、今日は寝てしまおう。
そう思って、少し顔を上げて、深月は硬直した。
あるはずの場所に、杏寿郎の顔がない。
枕はあるし、頭が乗っていた跡もある。
「あれ?」
杏寿郎が居ない。自分は今、誰に話し掛けていたのだろう。実は、杏寿郎は既に死んでいて、幻覚でも見ていたのだろうか。
間抜けな声を出して、深月は動揺する。
そこで、ぎし、と寝台が軋む音が聞こえた。
深月は恐る恐る視線を斜め上にずらす。
「おはよう、深月」
そこには、起き上がった杏寿郎が居た。
「えっと……お、おはよう、ございます?」
状況が理解できず、深月は困惑する。
杏寿郎が起きているように見える。笑い掛けてくれたように見える。これこそ、幻覚ではないだろうか。
そう思って杏寿郎に手を伸ばすと、彼は深月の手をぎゅっと握った。
強めに握られた手が痛くて、杏寿郎の手が温かくて、拭ったはずの涙が深月の目から溢れ出す。
「本物だ……」
深月が思わずそう呟くと、杏寿郎は一瞬目を見開いてから、軽く吹き出した。
「ああ、本物だぞ!偽物に見えていたのか?」
変なことを言うんだな、と笑ってから、杏寿郎は深月の手を離した。
そして、両手を広げて、深月に微笑み掛ける。
「おいで」
優しい声音も、優しい笑顔も、大好きな杏寿郎のもので、深月は椅子を蹴り倒す勢いで、杏寿郎の胸に飛び込んだ。
「杏寿郎さん!杏寿郎さん!」
「心配掛けてすまない。深月、もう大丈夫だ」
杏寿郎はすがり付いてくる深月を抱き締めながら、彼女の頭をそっと撫でた。
表紙 目次
main TOP