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生存if 弐 三五
杏寿郎の胸でひとしきり泣いた後、深月は慌てて立ち上がった。
「すみません!今すぐ誰か呼んできますね!」
杏寿郎が目覚めたことが嬉しすぎて、彼の身体のことを気遣ってなかった。
アオイ達を呼んできて、異常がないか診てもらわなければいけない。
夜中だが、彼女達はまだ起きているだろうか。
そう考えながら、深月は足に力を込める。
杏寿郎は、走り出そうする深月の腕を咄嗟に掴み、彼女を引き止める。
「腹に子がいるんだろう。走っては駄目だ」
「えっ……」
深月の足は、踏み出すことなく硬直する。
先程目覚めたばかりの杏寿郎が、何故妊娠のことを知っているのか。
「なんで、知って……」
「なんでも何も、君がさっき話していたじゃないか」
杏寿郎は不思議そうな顔になった後、少し笑ってから深月の腕を引く。
深月は彼の腕に従い、寝台にすとんと座る。
『さっき話していた』と言っているのだから、杏寿郎は自分が俯いて話している間のどこかで起きていたのだろう。
「どこから起きてたんですか?」
「『杏寿郎さん、起きて』からだな。起きたとき、君は俯いていた!」
「最初からですね……」
杏寿郎の返答に、深月は小さく溜め息を吐く。
起きていたなら声を掛けてくれればよかったのに。
最初からなら、結構長いこと醜態を晒してしまった。杏寿郎にすがろうとする、弱い自分を見られてしまった。
いや、汽車での任務の夜も、泣きじゃくる姿を見せてしまったし今更か。
そんなことを思って、深月は自嘲気味に微笑む。
杏寿郎は深月の肩を抱き寄せ、彼女の腹を撫でる。
「うむ。確かに、少し腹が出てるな。今、何ヵ月だ?」
妊娠のこととはいえ、はっきり『腹が出てる』と言われるのは、なかなか心に突き刺さった。
深月は少し複雑そうな顔になりつつも、杏寿郎の質問に答える。
「しのぶさんから、六ヶ月くらいと言われました」
「そうか。では、これ以上腹が出る前に祝言を挙げよう!休暇も申請せねばな!」
「えっ?」
杏寿郎がにこにこしながら言った言葉を理解できず、深月は首を傾げる。
祝言。休暇。
単語の意味はわかるが、状況についていけない。
「ん?君のことだ。鬼殺隊を辞める気はないのだろう?」
「え、あ、はい……辞めませんけど」
「だったら、休暇だな!」
杏寿郎は太陽のような笑顔を浮かべ、深月を抱き締めて、彼女の額に口付ける。
「花嫁衣装だが、うちは代々白無垢だ。しかし、黒引き振袖でも洋装でもいいぞ。君はきっと何でも似合う」
久々の接吻に頬を染めながら、深月は杏寿郎を見上げる。
話が早すぎて、ついていけない。
深月が杏寿郎の代わりにこなしていた柱の業務はどうするのか。
今は他の隊士がまかなってくれているが、彼らも本来は別の任務があったはずだ。
考えたくはないが、杏寿郎が復帰できるとも思えない。
「杏寿郎さん。柱の業務はどうされるんですか?」
「うむ。俺は引退になるだろうが……今まではどうしていたんだ?」
あっさり引退宣言するものだから、少し泣きそうになったが、深月はなんとか今までのことを説明する。
自分が代わりに業務をこなしていたこと。
妊娠が発覚してからは、他の隊士が分担してくれていること。
それらを聞くと、杏寿郎は不安そうに眉を下げた。
「深月、任務を継続するつもりではあるまいな?」
「え、だって……」
こう言ってはなんだが、杏寿郎の代わりは、一般隊士には荷が重いだろう。
いつまでも分担してもらっていたら、他の任務に支障が出るかもしれない。
深月の困惑する顔を見て、杏寿郎は彼女の頬に手を添えた。
「責務も大事だが、君と腹の子も同じくらい大切だ」
眉を下げたまま微笑み、手を深月の腹に移動させ、そこをそっと撫でる。
「俺のためなら何でもできるんだろう?だったら、俺のために休暇を取って、元気なやや子を産んでくれ」
「ず、ずるい……!」
深月は悔しそうな顔になる。
そんな優しい顔と声で、そんなことを言われたら、休むしかなくなるではないか。
杏寿郎が目覚めたなら、子供を産むことに躊躇いはなくなる。ただ、産むにしても、ぎりぎりまで任務を継続しようと思ったのに。
「ずるくて結構だ。それで、深月と俺達の子が無事で済むならな」
杏寿郎がにっこりと笑うので、深月は観念して溜め息を吐く。
「わかりました。休むのは気が引けますけど……」
「うむ。ありがとう、深月」
杏寿郎は深月を抱き締めて、そのまま寝台にゆっくりと倒れ込んだ。
一緒に布団を被って、彼女の背中をとんとんと叩く。
「今夜はこのまま寝ようか」
「いや、アオイちゃん達に診てもらわないと!それに、槇寿郎様と千寿郎君にも知らせましょう!」
深月は慌てて杏寿郎の腕から抜け出そうとするが、杏寿郎は腕に力を込めてそれを阻止する。
「久々なのだから、今夜くらい、二人きりでもいいだろう」
蝶屋敷の少女達はもう眠っているだろうから、起こすのは悪い。
心配してくれる家族にも悪いが、連絡は朝一で鎹烏を飛ばせばいい。
杏寿郎の言葉に、深月は唸る。
無理矢理抜け出せないこともないが、杏寿郎の身体のことを思うと暴れるわけにはいかない。
それに、久々に二人きりというのも、魅力的だった。
暫し悩んだ末、深月は脱力して杏寿郎の腕の中で大人しくなる。
「でも、あんまり眠くないんですよね」
「俺も起きたばかりだから、そんなに眠くはないな」
杏寿郎はふっと笑って、深月と目が合うように、自分は下を向き、彼女の顔は上に向けさせる。
「そうだな……では、話でもしようか」
「はい。是非」
深月は微笑んで頷いた。
深月は、主に杏寿郎が眠っていた間のことについて話した。
任務のことから、炭治郎が煉獄家を訪ねてきたこと、宇髄や蜜璃が心配してくれたこと。
槇寿郎の心変わりや、千寿郎が作ってくれた食事のことまで。
杏寿郎は、まず観篝という煉獄家のしきたりについて話をした。
千寿郎がまだ母の腹にいた頃や、彼が産まれたときのことを思い出して、懐かしむように目を細めた。
そこから、深月も弟妹達が赤ん坊だった頃の話を始めて、最終的にお互いの弟妹自慢で盛り上がった。
それから、東の空が白む頃まで、他愛もない話をした。
ただ夜更かししてお喋りしただけのことだが、二人にとって、それはとても幸せな時間だった。
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