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第一章  十五


二ヶ月経てば深月も修行に慣れて、一日の間に反吐をぶちまける回数も、五回から一回に減った。

また、寝付きも良くなった。
夢をほとんど見れないくらい疲れるので、悪夢に魘されることも減っていった。

決して、家族のことを忘れたわけではないが、過去ばかり振り返ることも少なくなった。



本日も、最初で最後の反吐をぶちまける深月。

「今日はここまでにしよう!大丈夫か?これで口をゆすぐといい!」

地面に両手をつく深月の隣に、杏寿郎も膝をつき、竹筒に入った水を手渡す。

深月はそれを受け取り、その場で口をゆすぐ。
その間、杏寿郎は深月の背中を優しくさする。

「今日の夕餉は千寿郎が作ってくれるから、湯浴みに行くといい!」
「いや、でも……」
「湯の準備もできている!」
「でしたら、槇寿郎様か杏寿郎さんがお先に」
「深月」

有無を言わせぬ声色だった。
深月はそれに逆らうことができず、煉󠄁獄家に来てから初めて一番風呂に入った。


*****


深月は風呂から上がると、急いで千寿郎の元へ向かった。夕餉の仕度を手伝おうと思ったのだ。
しかし、その行動は読まれていたようで、廊下の途中で杏寿郎に捕まる。

「少し付き合え」と言われ、半ば引き摺られるようにして、杏寿郎の部屋まで連れて行かれる。

杏寿郎の部屋に座らされ、深月はとても焦っていた。
槇寿郎からの言いつけで、雑用も手を抜くわけにはいかないのだ。千寿郎に任せたとあっては、今度こそ追い出されるかもしれない。

そんな深月の考えを察したようで、杏寿郎は深月を安心させるように微笑みかける。

「父上には、話をすると伝えてあるから、今夜は手を抜いても大丈夫だ」
「は、はあ……そうでしたか……」

そんなに態度に出ていただろうかと、深月は恥ずかしさで少し頬を赤らめる。そして、雑用を後回しにしてでも呼ばれたことには意味があるのだろうと、浮きかけていた腰を落ち着け、しっかり座ることにした。

それを確認して、杏寿郎は口を開く。

「深月。君は、家族が殺された夜を覚えているか?」

突然すぎる問いに、深月は言葉を詰まらせる。

覚えている。忘れることはできない。しかし何故、今になってそんなことを聞くのだろう。

深月は恐る恐る杏寿郎を見る。彼は、心配そうに深月を見つめていた。

深月は膝の上で、拳を握り締め、深呼吸をする。
杏寿郎が意味もなく、こんな質問をするわけがない。

「覚えています」
「そうか……すまない。辛かったら、これ以上思い出さなくていいのだが……俺達が到着する前の話だ」
「大丈夫です」

深月は真っ直ぐ、杏寿郎の目を見つめる。手は少し震えているが、取り乱す様子はない。
杏寿郎は質問を続けることにした。

「君の弟は稀血と呼ばれていたか?」
「……はい」
「鬼は、君の弟を喰ったか?」
「はい。杏寿郎さんもご覧になったと思いますが、胸から上を……」
「その後、君は鬼に何かしたか?」
「えっと、『何か』ですか?」

最後の質問だけ曖昧で、深月は少し困惑する。
杏寿郎は、槇寿郎から以前聞いた話を深月に伝える。

杏寿郎達が到着するより前、鎹烏が深月の家の様子を見ていたこと。
その際、深月が鉈で鬼の腕や顎を切ったこと。
それを聞いた鬼殺隊当主が、深月の面倒を煉󠄁獄家で見るよう指示したこと。

「……確かに、鉈で鬼を斬りました。でも、無我夢中で……日輪刀の存在など知らなかったので」
「深月も説明を聞いたと思うが、稀血の人間を喰った鬼はとても強くなる。稀血である君の弟を喰った鬼を、ただの少女が斬りつけるなど、考え難いことなんだ」

深月を疑っているわけではない。ましてや、鎹烏や鬼殺隊当主を疑っているわけでもない。

「深月は、きっと人より強く生まれたのだと思う」

杏寿郎は真剣な顔で告げた。

深月は、そんなことを人に言われたのは初めてだった。あんな風に動けたのもあの夜だけで、修行している今だって、あんなに速く動けない。深月自身、あの夜のことは火事場の馬鹿力程度に思っていた。

「人より強く生まれたのは、弱き人を助けるためだ」

深月は、杏寿郎の言葉にきょとんとする。

「……俺の、母上の言葉だ」

そう言って、亡き母との対話を懐かしむように目を細める杏寿郎。

そして、幼い頃に母から教わった、強き者の在り方や使命について、深月に伝えた。

深月は、その内容に心を打たれていた。
杏寿郎の強く正しい在り方は、彼の母親の言葉に大きく影響を受けて育まれたのだ。

「私は、お母様に感謝しなければいけませんね」

深月の言葉に、今度は杏寿郎がきょとんとする。

「お母様が、杏寿郎さんを正しく導いてくださったおかげで、私の命は救われ、今ここに在るのですから」

深月は自分の胸元に片手を添え、目を伏せて微笑む。

「私も、その言葉を胸に、強くなります。お母様の言葉に恥じないよう、正しく在ります」

杏寿郎はきっと、亡き母の言葉を伝えるために、話をする機会を設けたのだろう、と深月は思った。
そして、それに全力で応えなければならないとも思った。

杏寿郎のような、立派な剣士になるには、強さや技術だけでは足りない。常に正しく在り、責務を全うしなければ、杏寿郎のようにはなれない。

深月は目を開け、再び杏寿郎の目を真っ直ぐ見つめ、曇りなく笑う。自分の胸の前で、両手の拳を握り、少し前のめりになる。

「杏寿郎さん、私、頑張りますね!」

少し呆気に取られていた杏寿郎も、太陽のような笑顔を返す。

「期待しているぞ、深月!」

きっとあと半年と経たず、深月は最終選別に行き、それを突破するだろう。
だが、杏寿郎はその前に、強き者の在り方について、伝えておきたかったのだ。

正しく在れと伝えるつもりが、深月は杏寿郎の母の言葉を聞いただけで、強くなると、正しく在ると、誓ってくれた。

杏寿郎は、立派な剣士となった深月の姿を思い浮かべる。
それはきっと、清廉で美しいだろうと、期待に胸が膨らんだ。





 




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