表紙 目次
しおりを挟むしおり一覧  



(131/160)  


生存if 弐  三七


祝言を挙げてから早数ヶ月。

このかん、面識のある柱や隊士、隠がお祝いや見舞いに煉獄家を訪れた。
彼らの誰一人、深月が休暇を取ったことを責めず、ただただ杏寿郎と深月の結婚、妊娠を祝ってくれた。

そして、お祝いに来てくれた隠の一人から、上弦の陸を倒したとの報せを受けた。
その任務にあたっていたのは、宇髄と炭治郎、善逸、伊之助の四人。正しくは、宇髄の嫁三人と禰豆子含めた八人だ。

その任務で宇髄は片目と片腕を失い、彼も杏寿郎のように引退した。

臨月に差し掛かる手前に、回復した宇髄や彼の嫁三人が、深月の様子を見に来てくれた。

彼らはそれぞれ大きくなった深月の腹を撫で、心から祝福してくれて、深月は嬉しくてしょうがなくなった。

「産まれたら、赤ちゃん見に来ていいですか?」

笑顔で尋ねてきたのは、宇髄の嫁の一人、須磨だ。
深月は、時折彼女から妙に熱烈な視線を感じたことがあったのを思い出しながら、彼女の顔を見る。
彼女は自分のことのように、深月の出産を楽しみにしているように見えた。

深月は快く頷き、宇髄達に礼を言った。

その日、宇髄は杏寿郎に眼帯を渡した。
自分も必要になったから、と杏寿郎の分も拵えてくれたらしい。

それまで、杏寿郎は家に居る際は片目を閉じて過ごし、外出する際は包帯を巻いていたので、今後外出時の手間が省けるだろう。

「ありがとう!君の見立てか!」
「ああ。派手だろ?」

杏寿郎は早速眼帯を着ける。
それには、まるで炎柱の羽織のような意匠が入っていた。

「素敵ですけど、目立ちません?」

深月が恐る恐る尋ねると、宇髄は豪快に笑った。

「煉獄家の頭よりは地味だろ!」

それもそうか、と深月も笑顔を浮かべる。
ここ数年で、煉獄家の頭髪に関する感覚が麻痺していたらしい。

それから数週間後。
深月はいよいよ出産の日を迎えた。


*****


「痛い痛い痛い痛い!!」

煉獄家に、深月の悲鳴が響く。
それは別室にいる煉獄家の男性陣の耳にも届き、杏寿郎と千寿郎は顔を青くして、槇寿郎はそわそわしている。

「無理!絶対無理!!」
「無理じゃない!!しっかりしなさい!!それでも鬼狩り様ですか!?」

深月の悲鳴の次は、産婆の怒鳴り声が聞こえてくる。

煉獄家の三人とも、深月のこんな悲鳴は聞いたことがない。
煉獄家に来たばかりの時に槇寿郎に殴られても、任務で大怪我を負っても、杏寿郎と取っ組み合いの喧嘩をして投げられても、悲鳴を上げなかった彼女が、ここまで痛がっている。

「母上も、こんなに痛がっていたのですか?」

千寿郎は真っ青なまま、槇寿郎に尋ねる。

今、深月は出産の真っ最中だ。悲鳴は陣痛の時から響いていたが。
ちなみに、陣痛の途中で杏寿郎が気を利かせたつもりで話し掛けていたら、深月に怒鳴られて追い出されたので、煉獄家の男性陣はもう何時間も別室で過ごしている。

槇寿郎は、今は亡き妻が杏寿郎や千寿郎を産んだときのことを思い出す。

「いや、瑠火は……お前達の母は、静かなものだった」

続けて、杏寿郎も弟が産まれたときのことを思い出す。

「そうですね。千寿郎が産まれたとき、母上は一言も叫ばなかった」

物静かで感情が顔に出にくかった母と、気性が荒めで表情をころころ変える深月とでは、性格が違いすぎるというのもあるだろうが、それにしたって深月の悲鳴は聞いてるだけで痛々しかった。

このまま深月が死ぬんじゃないかと思って、千寿郎の顔からさらに血の気が引いていく。

「ち、父上、兄上……深月さんは大丈夫でしょうか……?」
「あれは殺しても死なん女だろう」

槇寿郎はさらっと言って、もう空っぽの湯飲みを啜る。
表面上は平静を装おうとしているが、動揺を隠せていない。

廊下からは、出産の手伝いに来た隠が何度も往復する足音が聞こえる。
湯を沸かし、清潔な布を用意し、万が一のときのために医療の心得がある者も待機している。

千寿郎もはじめはそれを手伝っていたが、気を使われて休んでいるように言われた。
槇寿郎と杏寿郎は、はじめから「元柱にそんなことをさせられない」と手伝うことすら許されなかった。

煉獄家の三人は、何もすることができず、深月の悲鳴を聞き続けるという地獄のような時間を味わう。

これがあと何時間続くのだろうか。
悲鳴を聞いているだけなのに、精神的にきつい。
深月は無事か。子供は無事か。

どうにも落ち着かなくて、少し様子を見に行こう、と杏寿郎が腰を上げた瞬間。

大きな産声が聞こえてきた。

杏寿郎は弾かれるように部屋を飛び出し、深月の元へ向かう。
障子を勢いよく開ければ、濡れた布が飛んできて、視界を塞がれた。

「後産がまだです!殿方は出ていてください!」
「も、申し訳ない……」

声からして、布を投げてきたのは産婆だろう。中々の速さだった。

杏寿郎はゆっくり障子を閉め、目元に張り付いた布を取る。
溜め息を吐いて、障子に背を向けて廊下に座り込む。

部屋の中から、赤ん坊の泣き声や産婆の叫び声は聞こえるが、深月の声が全く聞こえなくなった。

(後産も痛むと聞いていたが……)

つい先程まであんなに悲鳴を上げていた深月が、ぴたりと何も言わなくなったことが、不安になった。
もしかして、彼女の身に何かあったのではないだろうか。

そう思うと怖くて、部屋に入って確認したくなったが、障子に手を掛けただけで中から「まだです!」と産婆の怒鳴り声が飛んできたので、入ることは叶わなかった。

しばらくすると槇寿郎と千寿郎も様子を見に来て、廊下で三人並んで、入室の許可を待つ。

産声から数十分後、障子が中から静かに開けられた。

「どうぞ。深月さんもお子様も無事です」

障子を開けたのは出産を手伝っていた隠で、頭巾からのぞく彼女の目元は柔らかく弧を描いていた。

杏寿郎は深月や産婆を刺激しないよう、静かに部屋に入る。

部屋には血のにおいが充満していて、布団に寝かされている深月は汗まみれでぐったりしていた。
布団の横では、産婆が産湯を済ませた赤ん坊を抱いている。

「抱いてあげてください。お父様」

杏寿郎は、産婆に差し出された赤ん坊を受け取る。
腕に抱いた小さい命は温かくて、確かに生きていて、必死に泣き声を上げていた。
そして、髪色は燃えているようで、顔立ちは産まれたばかりの頃の千寿郎にそっくりで、杏寿郎は先程より鮮明に弟が産まれたときのことを思い出す。
この子は、紛うことなき煉獄家の男児だ。

「深月、深月。俺達の子だ……」

深月の手を取り話し掛けると、彼女は目を開けて、杏寿郎の方に首を動かす。

「側で見せてください」
「ああ。ほら、そっくりだ」

杏寿郎は、深月の顔の横に赤ん坊を寝かせる。

深月が赤ん坊の手のひらに指を置くと、赤ん坊は反射で彼女の指を掴む。

「本当だ。杏寿郎さん達そっくりですね」

ふふっと笑った深月の頬を、汗と一緒に涙が伝う。
つられて、杏寿郎の目にも涙が浮かぶ。

「深月。たくさん頑張ってくれて、ありがとう」

深月は一瞬きょとんとした後、優しい笑みを浮かべた。

「私、杏寿郎さんとこの子のためなら、何でもできますから」

数十分前まで、『痛い』『無理』と叫んでいたのに。

杏寿郎が愛おしそうに目を細めると、彼の目尻から涙が溢れた。





 




  表紙 目次

main  TOP