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生存if 弐 三八
「では、行って参ります。後はお願いしますね」
久々の隊服に袖を通し、深月は杏寿郎に笑い掛ける。
彼の腕には、彼らの息子が抱かれている。
「うむ!気を付けて!」
「はい。ありがとうございます」
杏寿郎に応えてから、深月は杏寿郎に向けるのとは別の微笑みを浮かべ、息子の頬を指先で撫でる。
「母はお仕事に行ってきますね。今日も貴方が健やかでありますように」
深月の指が息子から離れる。
深月が玄関を出ていき、杏寿郎も門の外に出て彼女を見送る。
深月の背中が見えなくなって、杏寿郎が息子と一緒に家に入ろうとした瞬間。
息子の様子がおかしくなり、そのうち泣き始めた。
火が付いたようなその泣き声は家中に響き、杏寿郎は必死であやすが、なかなか泣き止んでくれない。
「元気があるのは良いことだが、どうしたものか」
杏寿郎は困ったように笑って、玄関に上がる。
千寿郎が赤ん坊のときは、こんなに激しく泣くことはあまりなかった。
出発前に深月が授乳して、おむつも変えていたので、腹が減っているわけでも、何かが不快なわけでもないだろう。
何故泣いているのか、よく分からない。
こういうとき、深月が抱けばすぐに泣き止むのだろうが、生憎彼女は仕事へ出発したばかりだ。
「深月は随分手慣れていたな……」
杏寿郎は、息子が産まれてから今日までの深月の様子を思い出す。
何年も前のこととはいえ、数人の弟妹の世話をしただけあって、彼女の育児はそつがなかった。
夜中だろうが寝ていようが、息子が少しでも泣いたら飛び起きて、授乳したりあやしたり。時には縁側に出て、槇寿郎や千寿郎を起こさないように気遣う。
しかも、縁側に出る際は、しっかり日輪刀を持って行き、何があっても対処できるようにしていた。
さらには、鬼殺隊の任務時よりも睡眠時間を削られているのに音を上げず、家事までこなし、出産から二日後には鍛錬を再開していた。さすがに鍛錬中は息子を見れないので、煉獄家の誰かか隠に預けていたが。
いや、あれらは剣士で母親だからこそ為せる技だろうか。
それに比べて、自分のなんと情けないことか。
息子が泣いている理由一つ察してやれず、泣き止ませてやることもできない。
とりあえず、泣き止むまで付き合うしかないだろう、と杏寿郎は自室に向かう。
彼の自室は、今は深月と息子と三人の部屋になっている。その方が、育児をしやすいからだ。
自室前の廊下に差し掛かると、険しい顔をした槇寿郎が居た。
「すみません、父上。お騒がせしております」
杏寿郎はいつもの明るい笑顔を浮かべ、頭を下げる。
しかし、槇寿郎は小さく溜め息を吐き、孫の頭を撫でた。
「赤ん坊は騒がしいものだろう。それより、深月が居なくて不安なんじゃないのか」
「そうですね……」
やはり、深月じゃないと駄目なのだ。
自分では、この子を安心させてやれないのだ。
杏寿郎の笑顔が陰る。
槇寿郎は再度溜め息を吐いて、今度は息子の頭を撫でた。
「深月の布団か着物でくるんでやれ。泣く理由はお前に似たようだ」
「えっ……」
槇寿郎は、硬直する杏寿郎の腕から孫を奪い取る。
部屋に入るように指示して、深月の道着を出してもらう。それで孫をくるめば、孫の泣き声は段々と小さくなっていき、最終的には落ち着いて泣き止んだ。
「すごいですね、父上!」
「お前も母が側に居ないとき、泣いていたからな。そういうときは、瑠火の着物でくるんでやっていた」
そう言って、懐かしむように目を細めた槇寿郎は、昔のように父親の顔をしているように見えて、杏寿郎はきゅっと唇を引き結ぶ。
目頭が熱くなるのを堪えて、息子の頬を指先で撫でながら笑う。
「ははっ。俺に似たのか」
息子はどう見ても、煉獄家の子供だ。
杏寿郎と深月の子供に違いないし、杏寿郎もそれを疑ったことなどない。
それでも、自分と同じ理由で泣くと聞いて、『この子は自分の子供だ』という感覚が強くなって、より愛しくなった。
「大丈夫だ。お前の母はすごく強い。それに、今日は任務に行ったんじゃない」
杏寿郎は息子を安心させるよう、優しい声音で言って、槇寿郎と一緒に息子が眠るまで見守っていた。
*****
深月は、鬼殺隊本部に呼び出されていた。
ここに来るのは二回目だ。一回目は那田蜘蛛山の任務で隊律違反をやらかした時だ。
(あの時の杏寿郎さん、怖かったなあ)
当時のことを思い出し、深月は乾いた笑みを浮かべる。
杏寿郎だけではない。不死川も怖かった。
我ながらよく反抗したものだ、と呆れてしまう。
「あっ、深月ちゃん!こっちよ!」
不意に名前を呼ばれ、深月は振り向く。
そこには、頭に包帯を巻いた蜜璃が居た。
彼女は先日、上弦と遭遇し、それを倒した。
同じ任務にあたっていたのは、霞柱の時透に、炭治郎、禰豆子、不死川の弟の玄弥だ。
また炭治郎が上弦、それも二体に遭遇したのも驚きだった。
そして、丈夫なはずの蜜璃がここまで怪我をしているのだ。
上弦との戦いは、さぞ過酷だったのだろう、と深月は眉を下げる。
「蜜璃ちゃん!大丈夫なの?」
「うん!全然平気!それより、深月ちゃん!」
蜜璃は頬を紅潮させ、深月に抱き着く。
「赤ちゃん、おめでとう……!」
背骨が軋むほど抱き締められ、深月は苦笑する。
蜜璃の気持ちは、文字通り痛いくらい嬉しい。
「ありがとう。うちの子、見に来てね」
「うん、行く!絶対行くわ!きっとかわいい……」
「オイ。そんなところで何してやがる」
蜜璃の言葉を遮るように、低い声が響いた。
深月と蜜璃が声のした方を振り向く。
「廊下の真ん中で、邪魔だろォ」
声の主は、不死川だった。
彼はどこか不満そうに、深月を見つめる。
深月と蜜璃が素直に頭を下げて端に避けると、不死川は舌打ちをして、廊下の先に進む。
動かない二人に気付き、肩越しに彼女達を振り返る。
「早くしろ。新米のくせに遅れる気かァ?」
「はい、すみません」
深月は困ったように笑って、不死川に着いていく。
蜜璃もそれに続き、歩きながら深月の手を握る。
「深月ちゃん。柱就任も、おめでとう」
「ありがとう」
深月の笑顔が嬉しそうなものに代わり、蜜璃の手を握り返した。
深月は今日、次の炎柱として任命されるのだ。
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