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生存if 弐 四四
宇髄の稽古は一週間程で終わり、深月は霞柱邸へと向かう。
今回は『息子を見せに行く』という名目で、朝から杏寿郎も着いてきた。
稽古の前に、杏寿郎が抱いている息子を時透に見せる。
彼は、不思議そうな顔で息子をじっと見つめ、口を開く。
「この子が、煉獄さんと深月さんの赤ちゃん?」
「ああ!」
杏寿郎が笑顔で答えると、時透は「小さい……」と呟く。
時透の声は心なしか弾んでいて、頬はほんのり赤くなっている。赤ん坊を見る機会は少ないので、少々興奮しているようだ。
「抱っこしてみますか?」
深月が提案すると、時透はぶんぶんと首を横に振る。
「落とすのが怖いからいい」
「じゃあ、一緒に抱っこしましょう」
くすっと笑って、深月は時透の隣に移動し、彼の腕に手を添える。
目線だけで杏寿郎を促し、それに気付いた杏寿郎は時透の腕に息子を渡す。
時透の腕ごと息子を支えながら、深月はにっこりと笑う。その顔は、母の顔というより姉の顔に近かった。
時透も炭治郎達同様、深月の死んだ弟妹と年が近いのだ。
深月にとって、時透は柱としての先輩にあたる。だから、敬語も使う。
しかし、同時に弟妹のように可愛くも思っている。
「大丈夫かな……」
「大丈夫ですよ。ほら、赤ちゃん嫌がってませんから」
「うん」
時透は、嬉しそうにふわりと笑う。
二人の様子を見て、杏寿郎は複雑そうな笑みを浮かべる。
かつて、時透は記憶障害だった。昔のことは覚えておらず、新たな記憶も長持ちしない。
それでも、剣を持ってたった二ヶ月で柱になった優秀な人材だ。
同じ柱として、まだ若すぎる彼に声を掛けた時、彼は虚ろな目をしていたが、今はその瞳に確かな意思を宿している。
聞けば、記憶障害が改善されたとか。
それは喜ばしいことだし、深月が年下を可愛がるのは珍しくない。というより、いつものことだ。
どうやら、年下を甘やかすのも好きらしい。
彼女は、よく年下に弟妹の面影を重ねている。
死んでしまった弟妹の分、年下の彼らが長生きするよう願っている。
それは彼女の美徳であり、そんな彼女を杏寿郎も素敵だとは思っている──が、しかし。
(距離が近すぎないだろうか)
時透は年下とはいえ、立派な男子だ。
深月の自分への想いが揺らぐことはないと信じていても、妬かないかと言われればそうでもない。
時透は緊張し、頬を紅潮させながらも、杏寿郎達の息子を落とさないよう、不快な思いをさせないよう、丁寧に抱いている。
深月はそんな彼の腕に横から片腕を添え、空いている手は彼の肩に置いている。
上半身も頬も触れそうなくらいくっつけ、時透と一緒に息子を見下ろしている。
それは嬉しいし微笑ましい光景なのに、杏寿郎は嫉妬してしまい、素直に喜べないのだ。
複雑なまま彼らを見つめていると、ふと顔を上げた深月と目が合う。
深月は杏寿郎の表情に首を傾げ、数秒後に合点がいったように微笑んだ。
そして、時透に気付かれないよう声は出さず、口の動きだけで「やきもちですか?」と杏寿郎に尋ねる。
ちょっとからかうようなその笑顔や仕草が、ちょっと悔しいのに可愛らしくて、杏寿郎はぐっと息を詰まらせる。
しかし、すぐに気を取り直して息子に手を伸ばす。
「他の皆が待っているから、そろそろ稽古を始めた方がいいと思うぞ!」
時透に罪はないので、彼には優しく微笑みかける。
「時透、息子を抱いてくれてありがとう!また見せにくるから、次も抱いてやってくれ!今日から深月を頼む!」
「うん、こちらこそありがとう」
時透も明るい笑顔を返す。
年相応の、少年らしい笑顔だった。
息子を受け取り、杏寿郎は深月をちらりと見て、また時透に視線を戻す。
杏寿郎に一瞬見られた時の笑顔に、深月は若干不安を覚える。
その不安は直ぐに的中した。
「深月も新米だが柱だからな!先輩として、特別厳しくしてやってくれ!」
「え、ちょっと、何を仰って……!」
深月は慌てて杏寿郎の腕を掴む。
柱稽古はただでさえ地獄だというのに、更なる地獄に落とさないでもいいじゃないか、という思いを込めて。
まさか、先程ちょっとからかった仕返しだろうか。
あんなもの、悪戯にもならないじゃないか。仕返しにしては、きつすぎないか。
そんなことを考えながら杏寿郎を見上げれば、彼は時透に向けたのと同じ笑顔を浮かべていた。
しかし、目は時透に向けたものと違って、挑戦的に細められていた。
「君に死なれては困るからな。うんと強くなってくれ」
杏寿郎の言葉は嘘ではないが、仕返しや嫉妬から来るというのも理由の一つだ。
「は、はあ……そうですね、頑張ります……」
杏寿郎の心中を察していない状態で、そんな風に言われては反抗する気などなくなって、深月は大人しく頷く。
とんでもない地獄が待っていそうだったが、時透に深々と頭を下げる。
「時透さん、よろしくお願いいたします」
「そんな畏まった態度じゃなくていいよ。深月さんの方が年上だし」
時透は、深月にも明るい笑顔を向ける。
優しい年上の女性に、すっかり懐いてしまったようだ。
それが嬉しくて、深月も満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう、無一郎くん!よろしくお願いします!」
このやり取りのせいで、帰宅後杏寿郎に襲われるなんて、深月は微塵も想像していなかった。
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