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生存if 弐 四六
「炎の呼吸をまともに使いこなせないのに炎柱になるとは、逆にすごいんじゃないか?暗器に塗っている毒も、聞けば胡蝶に教わったものだとか。他人の力で登り詰めて、恥ずかしげもなく往来を出歩けるその根性は見上げたものだ。誉めてやる」
伊黒の言葉に、深月は苦笑する。
「はあ……ど、どうも」
誉めてやると言われても、嫌味にしか聞こえないし、きっと誉められていない。
杏寿郎が席を外した途端にこれだ。
彼とは割と普通に話していたのに、随分と嫌われているらしい、と深月は溜め息を吐く。
それでも、伊黒は柱で先輩で年上だ。いつぞやの柱合会議のように、目の前で失礼な態度を取るわけにはいかない。
深月は外面用の笑みを浮かべて、抱いている息子を伊黒に向かって差し出す。
「杏寿郎さんそっくりで可愛いでしょう?抱いてくださいますか?」
伊黒は少しだけ目を見開いて、深月と息子を交互に見てから、「遠慮しておく」と短く答えた。
「子どもはお嫌いでしたか?だったら、連れてきてしまって申し訳ありません……」
「いや、別に嫌いではない。汚したくないだけだ」
そう言って、伊黒が眉をひそめるので、深月はわけがわからず首を傾げる。
汚すとはどういう意味だろうか。
深月に対して当たりが強い部分もあるが、伊黒は人々を救う鬼殺隊の柱だ。しかも、本人は知らないだろうが、蜜璃の想い人だ。
そんな彼に抱かれて、強さにあやかることはあっても、汚されるわけがない。
「どうして、そう思われるんですか?」
「それは……俺の一族が……」
それっきり、伊黒は喋らなくなって、表情も暗くなる。
深月はどうしたものか、と彼に釣られて眉を下げる。
きっと、あまり深入りしていい話ではないのだろう。
鬼殺隊に所属している以上、殆どの人が大なり小なり事情を抱えている。
それを無闇矢鱈と聞くべきではない。深月だって、過去のことを聞かれても、ごく一部の親しい相手以外には話したくない。
「杏寿郎さんは出発前に伊黒さんにこの子を見せるのを楽しみにされてましたよ」
深入りはしないが、深月もほんの少し事情を聞いていた。
伊黒は子どもの頃、槇寿郎に救われて、杏寿郎とも面識がある、と。
どれだけ一緒に過ごしたのかはわからないが、幼馴染みのようなものなのだろう。
思えば、あれだけ嫌味な伊黒が、杏寿郎に強く当たっているところは見たことがない。
杏寿郎も、『伊黒も可愛がってくれるだろうか!』と本当に楽しみにしていた。
きょとんとする伊黒に、深月は再度息子を差し出す。
「抱くのが怖いなら、撫でてあげてください。柱の皆様に触れてもらって、ご利益をもらってるんです」
そう言ってにっこり笑うと、今度は伊黒が苦笑する。
「ご利益か……そんなものなくても、お前達の子供なんだから、強く育つだろう」
眉を下げたまま困ったような笑顔で、それでも杏寿郎達の息子に手を伸ばす。
触れようとして、一瞬躊躇って、恐る恐る小さな頭を撫でる。
息子はむにゃむにゃと口を動かし、伊黒を見上げて小さく微笑んだ。
「ああ、煉獄そっくりだな」
「そうでしょう!」
「なんでお前が誇らしげなんだ」
深月が胸を張ると、伊黒が呆れた顔になる。
「だって、私が産んだんですもの」
深月が明るい笑顔を浮かべると、伊黒は「そうだったな」と言いながらそっぽを向いた。息子からも手を離す。
笑顔は深月にも似ている、と思ったが、なんだか悔しかったので口に出さなかった。
そこで、杏寿郎が戻ってきて、三人でしばらく息子を愛でた。
*****
杏寿郎と息子は帰宅し、いよいよ伊黒の稽古に参加しようとして、深月は顔を青ざめさせた。
「ここは処刑場ですね。稽古場と間違えたみたいです」
早口で言って、逃げようと踵を返したら、顔の横を木刀が飛んで行って壁に突き刺さった。
しっかりと切っ先を向けて投げられたので、頬が切れて血が流れる。
「ここが稽古場だ。さっさと木刀を取れ」
杏寿郎や息子の前で見せた穏やかな顔は幻だったのだろうか。伊黒は冷酷な顔で、冷たい声で告げた。
深月は震える声で返事をしつつ木刀を抜き、改めて処刑場──否、稽古場の惨状を視界に入れる。
至るところに、いろんな方向の柱が立っていて、その全てに隊士が縛り付けられている。
ここで伊黒と稽古しろとは、深月にとっても隊士達にとっても拷問だ。
「あの、本当にこんなところで……がっ!」
どうやら、伊黒はこれ以上会話をする気がないようで、深月が話している最中に、彼女の顎を木刀で思いっきり弾いた。
完全に油断していた深月は口の中を切り、彼女の口の端から血が流れる。
(これは油断したら顔の形を変えられる……)
そんな無様な姿で、杏寿郎の元へ戻るわけにはいかない。
深月は意を決して、木刀を強く握り締める。
伊黒の稽古で成長してみせようという気概と、容赦なく婦女子の顔面を狙ってきた伊黒への怒りを込めて、足に力を込めた。
床や壁を何ヵ所か破壊し、伊黒に説教されるのは半日後のことだ。
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