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生存if 弐  四八


滝に打たれる。丸太を持ち上げる。岩を動かす。

以上が、悲鳴嶼が告げた稽古の内容だった。

「本当に人間用の稽古ですか?」

深月は純粋な疑問を口にするが、悲鳴嶼は「安心しろ。火では炙らない」とだけ返す。

その会話が成立しない感じに、深月は杏寿郎を思い出して顔を青ざめさせる。
これは、本当に滝に打たされて、丸太を持たされて、岩を動かすまでやらされる、と。

しかし、意外にも、悲鳴嶼の稽古は強制ではなかった。やめたいときは、いつでも下山していいらしい。

それを聞いたからには、やり遂げるしかない、と深月は気合いを入れる。

ちなみに、ここは山奥すぎるので、杏寿郎と息子は留守番だ。
杏寿郎は問題ないだろうが、息子をこんなところまで連れてくるのは、深月が許さなかったのだ。

実は少し喧嘩して、初めて杏寿郎から一本取った──というか、投げ飛ばした。

勝利した深月の提案により、悲鳴嶼に息子を見せるのは後日、昼間に煉獄家に招いてから、ということになった。

そのため、深月はいつも以上に稽古に集中する。

その結果、滝に打たれて、丸太を持ち上げるところまでは割となんとかなった。
悲鳴嶼の稽古は足腰を鍛えることが主な目的で、炎の呼吸も下半身が重要だ。
深月の足腰は結構丈夫で、これも杏寿郎の教えと彼女の努力の賜物だ。

ただ、岩はなかなか思うようにいかず、悲鳴嶼の稽古に通い始めて三日程、進展がなかった。

「んぐぁああ〜!!」

すごい声を出しながら、大きな岩を必死で押す深月。
目標は一町なのに、どんなに頑張っても十間程で力尽きてしまう。

それを見た他の隊士は、「やっぱりあの人も化物だ」「俺らは微塵も動かないのに」と改めて彼女の人外っぷりに恐怖する。

まあ、深月にとっては、杏寿郎や悲鳴嶼こそ人外の強さを誇る化物で、自分などまだまだだと思っているのだが。


*****


深月は他の隊士達と違い、毎日下山している。
夜は柱としての見廻りがあるし、家の事も息子の世話もあるからだ。

本日も帰宅し、湯浴みもそこそこ、昼餉の支度をする。

まだ少し濡れた髪のまま台所に立つ彼女を見た槇寿郎はぎょっとする。

「何をしている!?休んでいればいいだろう!」
「お昼の支度を……あ、お漬物と梅干し、どちらがいいですか?どっちとも出しましょうか?」

深月はきょとんとした顔で答えたあと、質問を返す。
すると、槇寿郎は深い溜め息を吐いた。

「そうじゃない。昼飯ぐらい買ってくるから、寝てなさい」
「でも、もうすぐ出来ますし……お漬物と梅干し、どちらになさいます?」

深月はにっこり笑いながら、同じ質問を繰り返す。
どうやら、譲る気はないらしい。

こうなった彼女を説き伏せられる男など、この家にはいない。
槇寿郎は再度溜め息を吐いて、「漬物」と答えた。

「はい、かしこまりました!もう少しお待ちくださいね!」

深月は満足そうに返事をして、支度を再開した。


*****


食事終え、片付けも終え、深月は杏寿郎と一緒に息子の様子を見ていた。
息子も食事を終えているので、今はぐっすり眠っている。

すやすやと眠っている息子を見ていると、安心したのか深月も眠気に襲われてきて、うとうとと船を漕ぐ。

そんな彼女を見て、杏寿郎は眉を下げて笑う。

「少し休んだらどうだ。今日も悲鳴嶼さんのところに行くのだろう?」
「はい……でも、もうちょっとこの子を見ていたくて……」

深月はそう答えて、眠そうに目を擦る。
その仕草は以前と同じで、母親らしさなんて微塵も感じられなかった。

それが愛しくて、杏寿郎は幸せそうに目を細める。

「だったら、今度この子の写真を撮ろう。それを持ち歩くといい。とりあえず、今日は寝なさい」

写真という言葉に反応して、深月は勢いよく顔を上げる。
ついさっきまでの眠そうな様子が嘘のようだ。

「しゃ、写真!欲しいです!杏寿郎さんのと、槇寿郎様と千寿郎君のも!」

急にはしゃぎ出した妻に吃驚した杏寿郎は、一瞬目を見開いたが、また先程のように目を細めた。

「わかった。近いうちに、皆で撮りに行こう。良い写真館を探しておく」

すると、深月がより一層はしゃぎ出したので、杏寿郎はなんとか彼女を宥めて寝かし付けた。


*****


息子と並んで静かな寝息を立てている深月に布団を掛け、杏寿郎は息子を挟んだ反対側に寝転がる。

畳に肘をついて自身の頭を支え、二人の寝顔を見下ろす。
息子の容姿は煉獄家の男児の血が色濃く出ているが、寝顔は深月に似ていた。

そんなことを思っていると、二人が同時にむにゃむにゃと言葉にならない寝言を言うので、吹き出しそうになるのをなんとか堪える。

今、深月を起こすわけにはいかないし、息子が起きれば彼女も起きてしまう。

「ああ……本当に、君達は愛いなあ」

掠れそうななくらいの小声で呟いて、杏寿郎は息子の腹に手を置く。

そこには、既に深月の手が乗っていて、彼女の手ごと息子の腹を優しく叩いた。





 




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