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生存if 弐 五十
しのぶを含めた蝶屋敷の少女達と、冨岡。
先に都合がついたのは、冨岡の方だった。
杏寿郎も深月も彼の好物をよく知らないので、手頃な菓子を持って、彼の自宅へ伺う。
まあ、手頃と言っても、それは杏寿郎の感覚であって、一般的に見たらそこそこ高級な品だったが。
今は同僚とはいえ、水柱の家に伺うのだから、と深月も菓子の値段に文句を言うことはなかった。
事前に許可を貰っていたが、一応声を掛けてから門をくぐり、玄関に向かう。
そこで、杏寿郎が再度声を張り上げると同時に、遠慮なく玄関の戸を開ける。
「冨岡!邪魔するぞ!」
父親の大声に、息子は深月の腕の中で楽しそうにはしゃいでいる。
産んでおいてなんだが、随分変わった赤ん坊だなあ、と深月は苦笑する。
彼女の弟妹が赤ん坊の頃は、大声などの大きな音が聞こえたら泣いていたものだ。はしゃぐなんて、有り得なかった。
こういうところは、杏寿郎の血筋なのだろう、と結論付けて、深月は杏寿郎の背中を追う。
すると、冨岡が廊下の奥から音もなく現れた。
彼は、深月に抱かれている息子をじっと見つめてから、また音もなく廊下の奥へと消えていく。
「えっ、あれ?」
もしかして、歓迎されていないのだろうか。
深月が困惑していると、杏寿郎はふっと笑って、玄関に上がる。
「もてなしてくれるようだ!」
「え……?」
杏寿郎の言葉に、深月はさらに困惑する。
今の冨岡の動作の、どの辺りでそういった意図を汲み取れたのだろうか。
深月は、冨岡と数えるほどしか会ったことがない。
そのため、口数少ない彼が何を考えているのか、察することができない。
杏寿郎だって、会うのは柱合会議ぐらいだっただろうに、どうしてわかるのか。
都合よく解釈しているだけではないだろうか。
不安を抱えつつ、深月も玄関に上がり、杏寿郎と一緒に冨岡が消えた先へ向かう。
その先の部屋に用意された料理や茶菓子に、彼女の不安は消え去った。
どうやら、杏寿郎が言ったとおり、歓迎してくれているらしい。
実際、冨岡としては、初めて同僚が遊びに来てくれたことに喜んでいるのだが、それはなかなか深月には伝わらなかった。
*****
「食え」
「ありがとうございます。でも、この子はまだ無理ですので、私が頂きますね!」
冨岡が息子に差し出した最中を、深月は慌てて受け取る。
気持ちは嬉しいが、赤ん坊が固形物を食べられるわけがない。
深月が最中を頬張ると、冨岡は心なしか満足そうな表情になる。
(案外、抜けてて可愛らしいお人なのかしら)
ちょっと天然で可愛いところは、杏寿郎と似ているかもしれない。
そう思うと、冨岡に対する印象が、好意的なものになった。
深月の口角は自然と上がり、冨岡はさらに満足げになっていく。
二人の様子を見て、杏寿郎は少し嫉妬を覚えた。
しかしながら、冨岡と深月が仲良くなるというのは、同じ柱として良いことだ。
それに、元同僚と妻が良い関係を築くのは喜ばしい、という考えの方が勝って、嫉妬などすぐに忘れてしまった。
「冨岡、この子を抱いてやってくれ! みんなに頼んでいるんだ!」
杏寿郎が満面の笑みでそう言うと、冨岡は一瞬呆けてから、ほんの僅かだけ口角を上げた。
それは、今までの彼から受けた印象とは、随分異なる柔らかい笑みで、今度は杏寿郎が一瞬呆ける。
深月にとっても、那田蜘蛛山から柱合会議で受けた冷たい印象とは違うように見えて、冨岡に息子を渡しながら尋ねる。
「冨岡さん、何かありました?」
その漠然とした問いに、冨岡は首を傾げる。
杏寿郎達の息子を抱いて、その息子に髪を引っ張られながら、何も喋らなくなってしまう。
質問がいけなかったのか。
息子の態度がいけなかったのか。
固まった冨岡を前に、深月は困り果てて冷や汗を流す。
息子だけが、楽しそうに冨岡の髪を掴んで振り回している。
見兼ねた杏寿郎は、直様助け船を出した。
「冨岡は雰囲気が変わったように見える。深月も、そのことを聞きたかったのだろう!」
その助け船に、深月はこくこくと頷きながら、息子の手に指を差し入れて、冨岡の髪から手を離させる。
「人の髪を玩具にしてはいけませんよ」
息子に一言注意してから、冨岡に向き直る。
「失礼ながら、以前の冨岡さんは、とても冷たい印象でしたので。そのような笑顔を浮かべるとは、思いませんでした」
それこそ、最初は冬の冷たい水のような人だと思った。
炭治郎や禰豆子を助けていたとはいえ、彼の表情は微塵も変わらなかったからだ。
それが今は、春の小川のような、柔らかい印象を受ける。きっと触れても痛くないだろう、と思える程度には。
「炭治郎が……炭治郎が、錆兎のことを思い出させてくれた」
冨岡の短い返答に、杏寿郎と深月は困惑する。
炭治郎が関わっているのはわかった。
彼は心根の優しい少年だ。確か冨岡とは兄弟弟子だったし、きっと何か話でもしたのだろう。
しかし、錆兎というのが何なのかわからない。
人の名前か、別の何かか。まあ、冨岡にとって大切な何かではあるのだろうが。
深月は質問を重ねようとして、止めた。
冨岡にもきっといろいろ事情があるのだ。すごく親しい仲というわけでもないのに、深く追求するのは憚られた。
それに、そういった事情が気にならない程度には、今の彼の笑みは前向きに見えた。
「よかったな!」
「よかったですね」
杏寿郎と深月は、それぞれ冨岡の心の平穏を喜んだ。
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