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生存if 弐 五一
楽しそうにはしゃぐ少女達に囲まれ、杏寿郎は困惑していた。
少女達が囲んでいるのは、正しくは杏寿郎ではなく、彼の腕に抱かれている赤ん坊なのだが。
すみ、なほ、きよだけならまだしも、カナヲやアオイにまで囲まれているのだ。
下手に動けば誤解を生みかねない、と杏寿郎が微動だにしなくなってから二十分程が経った。
少女達は飽きる様子がない。
息子は息子で、大人数に囲まれ楽しそうにしている。
杏寿郎は深月に視線で助けを求めるが、彼女は少し離れたところでしのぶと茶を啜っていた。
「深月さんが母親になるとは……感慨深いですねぇ」
「しのぶさん、私より年下なのに、お母さんみたいなこと言いますよね」
精神年齢の問題だろうか。
さして気にせず、深月もしのぶもくすくすと笑う。
茶を啜り、茶菓子を口に運び、女同士の会話に花を咲かせる。
途中、深月がふと仕事の話題を振る。
「お忙しいところすみません。研究をされてるんですよね?」
「ええ、珠世さんと……今日は少し抜けると伝えているので大丈夫ですよ」
しのぶはいつも通り、にっこりと笑う。
深月も少しは、しのぶが何をしているのか聞いていた。
確か、無惨の支配から逃れた鬼が珠世という名前で、しのぶと彼女とで薬を作っているとか。
それが、鬼を人に戻す薬とやらで、以前内容を少し聞いただけで、深月は『自分には無理だ』と感じた。
やっていることが難しすぎて、役に立てそうもなかった。
故に、しのぶは一人、鬼と協力しているのだが、彼女にとって、鬼と協力せざるを得ないというのは、耐え難いことではないだろうか、と深月は少し不安になる。
まあ、しのぶの性格上、それを表に出すことも、それを理由に手を抜くこともないだろうが。
余程大変な仕事だろうに、こうして時間を作ってくれたことが嬉しくて、深月の口角は自然と上がる。
「しのぶさん、ありがとうございます。時間を作ってくださって」
「いえいえ。もう、最後かもしれませんから……」
「えっ……?」
深月は思わず聞き返すが、しのぶはいつも通り笑うだけだった。
もう一度聞き返そうと、深月が口を開いたところで、しのぶが杏寿郎に視線を向ける。
「あら。深月さん、旦那様が大変そうですよ」
「へっ?」
間抜けな声を出しつつしのぶの視線を辿れば、少女達に囲まれて硬直している杏寿郎が居て、深月は小さく吹き出した。
杏寿郎はいつもの笑顔だが、いつも以上に何もないところを見つめていて、楽しそうな少女達や息子と違い、少しも動いていなかった。
深月はそれを微笑ましいと思いつつ、杏寿郎が可哀想なので助けることにする。
「杏寿郎さん。代わりますね。お散歩でもしてきてください」
杏寿郎達に近寄り、彼の腕から息子を受け取る。
しのぶの元へ行き、少女達に一緒にお茶にしようと促す。
解放された杏寿郎は、固まった身体を解そうと立ち上がり、深月が言った通り散歩に出掛けることにする。
散歩と言っても、蝶屋敷の庭か周辺を回るだけだ。
引き続き、楽しそうにしている深月達を横目で確認してから、杏寿郎は玄関に向かった。
*****
蝶屋敷の周辺を散歩しながら、杏寿郎は昔のことを思い出す。
深月と出会って、そんなに経っていなかった頃のことを。
あの頃の彼女は、何もかもに苛ついている状態で、実を言うと、とても扱いづらかった。
何を言っても突っ掛かってくるし、鬼狩りになりたいと言うのも死に急いでいるようにしか思えなかった。実際、死に急いでいたのだが。
それでも、彼女を死なせたくなくて、どうにか幸せになってほしいとまで思って、やっとのことで父に彼女を引き取る許可を貰ったことを覚えている。
(当時は、嫌われていると思っていたが……)
杏寿郎に向かって子どもじみた暴言を吐いて、布団に丸まった深月を思い出し、杏寿郎はくすくすと笑う。
あの『嫌い』という言葉が嘘で良かったと、今でも心の底から思い、彼の笑みは深くなる。
そして、ふと立ち止まる。
そこは、かつで深月を探し回った場所だった。
あの時は、父から深月を引き取る許可を貰えたことが嬉しくて、彼女にも早く伝えてあげようと思って、蝶屋敷に出向いたのに、肝心の彼女が散歩からしばらく帰ってこないと聞いて肝が冷えた。
自分が鬼狩りを教えないと言ってしまったばかりに、彼女が痺れを切らして死に場所を探しに行ったかと思ったのだ。
まあ、当時の深月はただ迷子になっているだけだったが。
深月を見つけて、思わず掴んだ彼女の肩はすごく細くて、その後握った手は小さくて弱々しくて、異性として意識する前に、不安になった。
こんなに細い肩で、小さな手で、鬼狩りなど務まるだろうか、と。
よしんば剣士になれたとしても、いつまで生き延びれるのか、と。
この数年で、深月はとても強くなった。それこそ、杏寿郎の後釜として炎柱に就任するくらいに。
だが、杏寿郎は今でもたまに不安になる。
深月は帰ってくるだろうか。大きな怪我はしていないか。怖くて辛い思いはしていないか。
これらを口にすれば、気性の荒い妻から怒鳴られるのは分かっているので、決して口に出すことはない。
それでも、深月の無事を願わずにはいられない夜だってある。
杏寿郎が不安そうな顔で空を見上げると、不意に左手を誰かに掴まれた。
死角からの接触に、勢いよく振り向いて確認すれば、そこには深月が居た。
「お迎えに来ました。そろそろ蝶屋敷へ戻りましょう」
杏寿郎さんの分のおやつ、すみちゃん達に取られちゃいますよ、と彼女は柔らかい笑みを浮かべて言った。
ちなみに、息子は寝てしまったので、一旦蝶屋敷の少女達に預けてきた、とのことだった。
杏寿郎は一瞬ぽかんとした後、ふっと笑って深月の手を握り返す。
「ありがとう、迎えに来てくれて」
「いえいえ!」
そして、深月が蝶屋敷とは別の方向に進もうとしたので、杏寿郎は左手に力を込める。
「違うぞ! 蝶屋敷はこっちだ!」
そう声を掛けると、深月は照れたような、困ったような顔で笑う。
杏寿郎も釣られて微笑み、彼女の手を引いて歩き始める。
「君は、今でもこの辺で迷うのか」
「えっ……ああ、そうですね。だって、似たような木ばっかりなんですもの」
深月は一瞬戸惑ったが、杏寿郎の言葉が指している昔のことを思い出し、周囲を指差す。
それから、出会った当初の話になり、蝶屋敷までの道中、二人だけの思い出話が弾む。
話をしながら、杏寿郎は随分逞しくなった深月の手を愛おしく思って、目を細めた。
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