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第一章  十八


「深月さん、遅いですね……」

木刀を振る手を止め、千寿郎が呟いた。

杏寿郎は「そうだな」と答え、口元に手を当て思案する。
確かに遅すぎる。深月が、自分で言った戻り時間から大幅に遅れたことは、今まで一度もない。

どうにも胸騒ぎがして、杏寿郎は鍛錬を中断することにした。

「深月を探しに行ってくる」
「僕も行きます!」

千寿郎が駆け寄ってくるが、杏寿郎は首を横に振った。入れ違いになったときのために、留守番を頼むことにしたのだ。

杏寿郎は羽織を着て、念のために背中に日輪刀を隠す。昼間でも、暗がりなど日が射さない場所であれば鬼が出る可能性はあるからだ。

深月には、日頃暗がりなどには近付かないように伝えてあるので、大丈夫だとは思いたいが、万が一ということもある。

杏寿郎が出発しようとしたとき、庭に面した障子が荒々しく開かれた。そこには、珍しく酒瓶を持っていない槇寿郎が居た。

そういえば、酒を買ってくると深月が言っていた気がする、と杏寿郎は彼女と千寿郎の会話を思い出す。

「あの娘、拐われたようだぞ」

淡々と告げられた内容に、杏寿郎は目を見開く。
言葉の意味は分かっても、何が起こっているのか理解が追い付かない。出発前の深月は、にこにこと笑っていたのに。

「そんなに心配なら、外に出すときは鎹烏でもつけてやれ」

槇寿郎がそう言うと、頭上で烏の鳴き声が聞こえ、杏寿郎と千寿郎は上を見る。そこには、旋回している槇寿郎の鎹烏がいた。深月の帰りが遅いので、鎹烏を飛ばして探させていたらしい。

「父上……」

千寿郎が、真っ青な顔で槇寿郎を見上げる。
槇寿郎は一瞬だけ千寿郎を見て、すぐに目を逸らした。

「遣いもまともにできんのか、あの娘は」

そう言いつつ、槇寿郎は門へと向かう。
その途中で、呆気に取られている杏寿郎を振り返り、声を掛ける。

「行くぞ」
「……はい!」

正気に戻った杏寿郎も、父に続いて門へと向かった。
一刻も早く深月を助け出さねば、と思いながら。


*****


槇寿郎と杏寿郎は、人通りの少ない道で、地面に放置された酒瓶を見つけた。
中身も入っているし、きっと深月が買った物だ。それは置いたままにして、二人は鎹烏を追う。

深月は今、どんな目に遭っているのか。
想像もできないが、杏寿郎は未だ見ぬ誘拐犯に、この上ない怒りを覚えていた。

道を進むに従い、杏寿郎は景色に見覚えがあることに気付く。
この道は、深月の家へ続く道だ。あの夜も、同じ道を通った記憶がある。

鎹烏が最後の角を案内し、そこを曲がった途端、とある家の門扉から、幼い女の子が飛び出してきた。女の子は泣きながら、槇寿郎と杏寿郎を見つけて駆け寄ってくる。

二人とも思わず足を止め、女の子は杏寿郎の腰あたりにすがり付く。

「おねえちゃんを助けて!私の代わりに売られちゃう!」

その言葉を聞いて、杏寿郎は腸が煮えくり返るのを感じながらも、女の子の手を優しく取り、自身から離れてもらう。
そして、背中の日輪刀を腰に差し、女の子が出てきた家──深月の家に駆け込む。

もちろん、人間相手に日輪刀を抜くつもりはないが、背中に隠したままでは若干動きづらいし、女の子や深月を売り飛ばそうとする下衆への威嚇には丁度いいと思ったのだ。

槇寿郎は女の子を道の端に移動させ、息子の後を追う。

杏寿郎の足は、自然とあの夜の庭に向かっていた。根拠はないが、そちらが気になったのだ。

槇寿郎は、杏寿郎とは別に玄関から入り、物音がする方へ足を進める。

杏寿郎が庭に足を踏み入れた瞬間、すぐ側の部屋から、彼を呼ぶ声が聞こえた。
杏寿郎の記憶が正しければ、そこは深月の家族が惨殺されていた部屋だった。

「杏寿郎さん!!」

杏寿郎は呼び声に反応して跳躍し、その勢いのまま障子戸を蹴破った。
その際、激しい破壊音が響く。

部屋の中には、深月と四人の男が居た。

深月の着物は脱がされ、襦袢は引き裂かれ、傷隠しの包帯まで剥ぎ取られている。
男四人がかりで押さえ込まれ、その中の一人は彼女の乳房を鷲掴みにしていた。
他の男の中には、白い太腿に手を這わせている者もいた。

瞬時に血が沸騰して、考えるよりも先に体が動いた。

深月の上に跨がっている男を一番に殴り飛ばし、他の三人も次々に殴るか投げるかする。

その後、杏寿郎は羽織を脱ぎ、深月の体をできるだけ見ないようにしながら抱き起こす。その際、深月に脱いだ羽織を掛けてやり、深月の手首に巻かれた縄も日輪刀で切ってやる。

深月は、解放されたが震えている手で、杏寿郎の羽織を握り締めた。その手首にはくっきりと縄の跡が残っていて、きつく縛られていたことがわかった。

「深月。遅れてすまない」

杏寿郎は日輪刀を鞘に収めてから、あの夜のように深月に声を掛ける。
羽織を握っていた深月の手は、杏寿郎の胸元に移動し、隊服をすがるように握り締める。

杏寿郎は片手を深月の手に添え、空いている手を深月の背中に回し、優しく抱き寄せた。
杏寿郎の腕の中の深月は、手だけでなく全身震えていて、杏寿郎は先程飛ばした男どもを睨みつける。

どうやら、無意識に手加減していたようで、男どもは全員部屋の端で転がっていた。手加減していなければ、男どもは壁をぶち破っていたことだろう。
その中で、手首に包帯を巻いている男だけがなんとか意識を保っていて、こちらを見ていた。
先日、深月が手首を折ったという彼女の親戚だろう、と杏寿郎は察する。

そして、深月がただされるがままだった理由が気になった。今の深月の実力であれば、男四人くらい倒すか逃げるかはできるはずだ。

杏寿郎はふと、外にいた女の子を思い出す。あの言い方だと、その子も売られかけていたはずだ。

「女の子を人質にでもしたのか?」

血管が焼き切れそうなほど怒っているのに冷静な声が出て、杏寿郎は自分でも少し驚く。

親戚の男は、ゆっくりと頷いた。

やはり、と杏寿郎は思う。人質が居たから、深月は抵抗できなかったのだ。女の子が赤の他人でも、深月はそれを見捨てるような人間ではない。

「なるほど。最低だな」

もう、あまりの怒りにどうにかなってしまいそうだった。しかし、人間相手にこれ以上力を振るうわけにはいかない。
杏寿郎は、男どもを殴りたい気持ちを押さえ、深月の親戚に向かって言う。

「今後、深月に近付くな。次は無い」

親戚の男は、へへっと乾いた笑いを溢す。

「そんな汚え傷の女なんか、もう要らねえよ!金にもなら……」

親戚の男は、途中で言葉を止める。
杏寿郎から凄まじい怒気が溢れ、部屋の空気に押し潰されそうになったからだ。

それだけではない。背後にも威圧感があることに気付き、男は恐る恐る後ろを振り返る。そこには、日輪刀を抜いた槇寿郎が立っていた。親戚の男は、視界に入った鋭い刀に息を呑む。

「あまりにも醜いから鬼かと思ったが、ただの下衆か」

槇寿郎はそう言って、日輪刀を鞘に収めた。
そして、男が隠し持っていた縄を奪い、四人とも縛り上げる。親戚の男の手首の包帯にも気付いたが、構わずその上からきつく縛り上げた。

そして、杏寿郎に指示を出す。

「邏卒に引き渡してくる。お前は娘と帰れ」

槇寿郎は男四人を引き摺りながら出て行き、部屋には杏寿郎と深月だけが残された。





 




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