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第一章 十九
杏寿郎は、部屋の中を確認する。
散乱している深月の着物や帯はぐしゃぐしゃで、あまり着れそうではない。
襦袢だって切り裂かれているし、包帯も切られているようだ。
このまま帰るわけにはいかず、杏寿郎は自分の隊服を深月に着せようと考える。
「深月、もう大丈夫だ。俺の隊服を着るといい。少し離れてもらえるか?」
声を掛けるが、深月は離れてくれない。
それどころか、杏寿郎の背中に腕を回し、抱き付いてきた──否、すがり付いてきた。
羽織が深月の肩から落ちそうになり、杏寿郎は慌ててそれを掛け直す。
深月の腕に力が入り、彼女の乳房が杏寿郎のみぞおちあたりに遠慮なく押し付けられる。
隊服越しに柔らかい感触がして、杏寿郎は一瞬狼狽えるが、深月を安心させようとゆっくり背中をさすってやる。
しばらくさすっていると、今度は手にぬるっとした感触がして、杏寿郎は自分の手を見る。すると、彼の手には赤い液体が付着していた。深月の背中を確認すると、羽織に血が滲んでいる。
「怪我をしているのか!?」
杏寿郎は、思わず深月の両肩を掴んで、彼女を引き剥がして尋ねる。次の瞬間、しまった、と思った。
体を離したせいで、深月の胸が視界に入ったのだ。
羽織は肩に掛けているだけなので、今彼女の乳房を隠す物は何もない。
同時に深月の目いっぱいに溜まった涙も見えて、杏寿郎は顔を背ける。
深月の顔は恐怖に染まり、辛そうで、とても見ていられなかった。
誤魔化すように、杏寿郎は口を開く。
「傷を見せてくれ。手当しなければ」
「いい……大丈夫です……」
深月が弱々しく拒否してきたので、杏寿郎は深月の顔を見る。もちろん、胸は視界に入らないように気を付けながら。
深月は俯いてしまっていて、表情は伺えなかったが、全く大丈夫ではないだろう。
杏寿郎は、どうして、と尋ねようとして、親戚の男の言葉を思い出す。深月の傷を「汚い」と言ったことを。
「深月」
杏寿郎は、深月の頬を両手で挟んで上を向かせ、真っ直ぐ目を合わせる。
深月は顔を殴られているようなので、できるだけ優しく触るように気を付けた。
「君の傷は……君は、汚くなどない。君を拐かし、辱しめようとした男の言った事など気にするな。君の傷は、弟を守ろうとした証だ。深月の強さと優しさの証だ。だから、決して汚くなどない!俺が保証する!」
杏寿郎の言葉を聞いた深月は、杏寿郎の羽織を握り締める。
「ありがとうございます」
彼女が小さく微笑むと、目尻から涙が一粒零れた。
杏寿郎は、手を離し、再度深月にお願いする。
「傷を見せてくれ。手当をしたい」
深月はゆるゆると羽織を胸元に引き寄せ、背中を露にした。
杏寿郎は彼女の背後に回る。
あの夜の傷跡は、深月の背中に大きく残っていた。
杏寿郎は、指先でそっと傷跡に触れる。その際、傷がない背中にも同時に触れた。
傷がない肌は、肌理細かで柔らかく女性らしいものだった。それと違って、傷跡は肌理細かさなど無く硬い感触ではあった。
しかし、やはりそれを汚いなどとは微塵も思えなかった。
「やはり汚くなどない!あの男は見る目が無いな!」
そう言って、杏寿郎は新しい傷を確認する。
切り傷が縦に一本増えていた。また、うなじにも血が垂れてきているので、後頭部からも出血しているようだ。
これだけの傷を覆う包帯や布は持ち合わせていなかった。
「深月、すまんが君の着物を使うぞ」
杏寿郎は深月の着物を手に取り、使いやすい大きさに引き裂く。
自分の羽織でもよかったが、これは深月の下半身を覆うのに使おうと思っていたので止めておいた。
出来上がった布で、深月の傷を押さえ、残りの布や帯を巻いていく。
応急措置を終えると、杏寿郎は隊服の上着を脱いで深月に着せた。開かれた襦袢の裾も閉じてやり、下半身には羽織を巻く。
不恰好だが、これで深月の肌が晒されることはなくなった。
杏寿郎は深月を抱えあげる。いつぞやのように拒否はされなかった。
帰り道の途中、深月は杏寿郎の腕の中で眠ってしまい、杏寿郎は彼女を起こさないよう、彼女のこんな姿が誰かに見られることがないよう、静かな道を選んで帰った。
*****
杏寿郎が深月を抱えて帰宅すると、何故か隠の女性が居た。
用事があるのかと尋ねれば、隠の女性は槇寿郎に呼ばれたとのことだった。
本当は胡蝶姉妹のどちらかを呼んだが、手が空いていなかったので、手当てが得意だという彼女が代わりに来たとのこと。
医者を呼べば事情を説明するのが面倒だし、きっと槇寿郎が気を利かせてくれたのだろう、と杏寿郎は思った。
あんなに邪険に深月を突き放していた槇寿郎が、彼女のために何かしてくれたことが、杏寿郎はとても嬉しかった。
杏寿郎は深月を隠の女性に預け、千寿郎に深月を連れ帰ったと教えに行く。
千寿郎は喜んでいたが、怪我をしている旨を伝えると、真っ青な顔になってしまった。
「今、隠が手当てしてくれてるから大丈夫だ!俺も確認したが、傷もそんなに深くなかった!」
杏寿郎がそう言うと、千寿郎の顔色は幾分か良くなったが、杏寿郎には気掛かりがあった。
これから、少し遠方の任務に出向くのだ。数日間、帰ることはできないだろう。
槇寿郎も毎夜、担当地区の警備などの任務がある。
千寿郎と怪我をしている深月の二人だけで家に居なければいけない。頼めば、隠が面倒を見てくれるだろうが、彼らには彼らの任務がある。
その気掛かりを顔に出したつもりはなかったが、気付けば千寿郎が心配そうに杏寿郎を見上げていた。
「兄上……?」
「……千寿郎。俺はこれから少し遠方の任務に行かねばならない。深月のことを頼むぞ」
「はいっ!兄上の留守中は、俺が深月さんを守ります!お任せください!」
千寿郎はきりっと眉を上げて、拳を握り締める。
杏寿郎は弟の頭を撫でてから、任務の準備を始めた。
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