表紙 目次
しおりを挟むしおり一覧  



(20/160)  


第一章  二十


深月が目を覚ましたのは、その日の夕方だった。

側にいる隠の女性に驚き、飛び起きる深月。
その際、後頭部と背中に痛みが走って、自分が怪我をしていることを思い出す。

「ああ、目を覚まされましたか。よかったです」

隠の女性は、頭巾の下で微笑む。
そして、きょろきょろと辺りを見回す深月に、「杏寿郎は任務に向かった」と伝える。

槇寿郎でもなく千寿郎でもなく、杏寿郎を探していたことがバレて、深月は赤面する。

隠の女性はそれを微笑ましく思いながらも、深月が眠ってからのことを説明した。

その中で、人質にされていた女の子も無事保護されたと聞き、深月は胸を撫で下ろす。

一通り説明し終えると、隠の女性は、懐から小さな薬箱を取り出した。

「こちらは、胡蝶様からお預かりした塗り薬です。これを傷に塗ってください。比較的浅い傷でしたので、これをこまめに塗れば跡が残りにくくなります」

そう言って、薬箱を深月に手渡す隠の女性。
深月はそれを受け取るが、こんなものをもらっていいのだろうか、という疑問が浮かんだ。

「これは、もっと使うべき方が、いらっしゃるのではないでしょうか……」
「『事情はお聞きました。糞野郎につけられた傷など、残すべきではありません』と、しのぶ様が仰ってました」

しのぶは深月が薬を使うことを躊躇うのではないか、と察していたらしい。彼女は今の深月を知らないので、きっと以前のように悪態を吐きながら治療を拒否したと思われていそうだ。
深月は薬箱をぎゅっと両手で握り締めて、今度胡蝶姉妹に手紙を書こうと考えながら、隠しの女性にお礼を言った。

隠の女性は、槇寿郎と千寿郎に深月が起きたことを伝えてくる、と部屋を出て行く。

程なくして、千寿郎が部屋に飛び込んできた。

「深月さん!」

千寿郎に思いっきり飛び付かれ、深月は受け止めきれずに布団の上に倒れる。背中や後頭部が少し痛んだが、千寿郎を責める気にはならなかった。
千寿郎は、深月の肩に顔を埋め、ぐすぐすと鼻をすすっている。

それを見て、深月は千寿郎を抱き締め、頭を撫でる。

「ご心配お掛けしました。すみません、千寿郎君」
「いえ、深月さんが帰って来てくれてよかったです……」

本当の姉弟のように心配され、深月は不謹慎だと思いながらも嬉しくなってしまい、思わず笑い声を漏らした。

それを聞いた千寿郎が体を起こし、涙に濡れた顔で不思議そうに深月を見つめる。

深月は布団に転がったまま、笑い続ける。

「ふふ、ごめんなさい。ちょっと、嬉しくて……ふふふ……弟が、心配してくれてるみたいで」

笑いながら、両腕で目元を覆う深月。その笑い声は、徐々に泣き声に変わっていった。
もう弟も家族も帰ってこない。あの夜も今日も、あんなに怖い思いをした。それでも嬉しくて、でも家族のことや今日のことを思い出して、感情がぐちゃぐちゃになる。

千寿郎は深月の横に寝転がり、彼女にぎゅうっとしがみついた。兄の留守中は自分が守ると誓った彼女が、これ以上怖くて悲しい思いなどしないように、と願いながら。


*****


深月が目覚めたとの報せを受けた槇寿郎は、隠の女性に元の任務へ戻るよう伝えた。傷の状態もひどくなかったので、悪化はしないだろうと判断したのだ。

もうそろそろ夜の警備に行かねばならない。今日、あんなことがあったばかりなので、さすがに千寿郎に声を掛けてから出発しようと、息子を探し始める。

しかし、千寿郎はどこにもいなかった。
千寿郎の部屋も、台所も、庭も、稽古場も、厠も、全て探した。

台所には作りかけの夕餉が放置されていたので、槇寿郎はまさかと思って深月の部屋へ向かう。

案の定、そこに千寿郎は居た。深月と並んで、仲良く眠っていた。
千寿郎はもちろん、深月もまともに布団を被っておらず、このままでは風邪を引くだろう。

槇寿郎は二人を起こさないよう布団を掛けてやり、任務へと向かった。


*****


翌朝、深月は大分回復していた。傷は痛むが、動けない程ではない。

後頭部の傷も、出血が多かっただけで、実際には大した傷ではなかった。こちらはしのぶ特製の薬が無くとも跡は残らないだろう、と言われている。

殴られた顔は、隠の女性が丁寧に手当てしてくれて、たった一晩で怪我をしているようには見えなくなった。痛みはあるが、それは口内が切れているからで、槇寿郎に殴られた時に比べれば、なんともなかった。

せっかく動けるのだからと家事をこなしていると、千寿郎から心配され止められたが、無理はしないと伝えて、なんとか納得してもらった。

修行はさすがにしっかり止められ、深月は一時的に、煉󠄁獄家に来たばかりの頃の生活に戻った。家事や雑用だけをこなす日々だ。今となっては、少し懐かしさすら感じられる。
とはいえ、数日程度で修行は再開できることだろう。

家事をこなしながら、深月はふと、目覚めてから杏寿郎と話せていないと考える。

千寿郎には当日中に、槇寿郎には今朝任務帰りの際に、礼や謝罪を伝えることが出来た。
槇寿郎に謝罪したとき、「酒はまた買えるので気にするな」と言われ、まさか槇寿郎から気遣われる日が来るとは思っていなかった深月は面食らった。

しかし、杏寿郎は任務で不在のため、まだ礼すら言えていない。
少し遠出すると聞いたが、いつ頃戻ってくるのだろうか、と深月は気になっているのだ。

早く会いたいが、少し気まずくも思っている。
上半身がほぼ裸の状態で抱き付いてしまったし、胸を見られた。どんな顔をして会えばいいのかわからない。
それでも、礼は言いたいし、杏寿郎が居ればきっと安心するだろう。

そこまで考えて、深月は自分の思考を不思議に思う。

男に酷い目に遭わされたのに、同じ男である杏寿郎を、ちっとも怖いとは思わなかった。
あの男どもと杏寿郎を性別という括りで纏めるのは失礼かと思ったが、普通ならあの状況で男にすがり付く女がいるだろうか。
普段の杏寿郎の行いによるところもあるだろうが、それだけではない気がした。

しかし、いつまで考えても答えは出そうにないので、深月は家事に集中することにした。





 




  表紙 目次

main  TOP