表紙 目次
しおりを挟むしおり一覧  



(24/160)  


第一章  二四


深月は杏寿郎の考えが理解できず、困惑していた。

先日、杏寿郎から接吻をされて押し倒された。
その翌日、また接吻をされた。

それからというもの、時々杏寿郎に接吻されるようになった。

それは、物陰だったり、どちらかの私室だったり、周囲に誰も居なければ庭の真ん中だったり、場所も時間も様々だった。
槇寿郎と千寿郎に見つからないことだけを、気を付けているようだった。

しかも、触れるだけの接吻のときもあれば、深月が腰を抜かすまで激しく口を吸われることもある。
そして、それが終わった後、杏寿郎は決まって優しく微笑むのだ。

しかし、別に深月と杏寿郎は恋仲になったわけではない。杏寿郎に「好き」と言われた覚えもない。
深月は杏寿郎に対して恋心を抱いているが、それを杏寿郎に伝えたこともない。これだけ接吻を拒否しないでいるので、もしかしたらバレているかもしれないが、杏寿郎はその気持ちを利用するような人間とは思えない。

それに、もし仮に深月の気持ちを利用して欲を満たしたいのであれば、毎回接吻だけで終わらせるというのも不思議な話だ。
深月だって、その先の行為があることくらい、なんとなくわかっている。しかし、杏寿郎は初めに押し倒してきて以来、深月の体に触れようとはしない。抱き締められたりすることはあるが、それだけだ。

今だって、深月は台所で、激しい口吸いの快感と酸欠に耐えている。
杏寿郎の片手で後頭部を固定され、もう片方の腕を背中から腰に回され、逃げられないよう捕まえられている。
その上、持ち前の肺活量で容赦なく長く吸われるものだから、杏寿郎と比べて肺活量が圧倒的に少ない深月の頭はぼうっとする。

しばらく耐えていると、杏寿郎の唇が名残惜しそうに離れ、深月は荒く呼吸しながら杏寿郎にしがみつく。軽く腰が抜けて上手く立っていられないのだ。
杏寿郎はそんな深月の腰を両腕で抱き、倒れないように支えてやる。

深月がぼんやりしながらも杏寿郎を見上げると、彼はいつものように優しく微笑んでいた。

ちゃんと回らない思考回路で、深月は思ったことをそのまま口に出す。

「どうして……」

杏寿郎は、何も答えずにっこりと笑う。以前は太陽のような笑顔だったのに、今は妙に色っぽく見えて、深月はつい目を逸らしてしまう。

杏寿郎は深月を板の間に座らせ、その前に立って、彼女の頭を優しく撫でる。

「嫌ではないのだろう?」

頭上から降ってきた杏寿郎の言葉に、深月は耳まで真っ赤にする。それは、上から見ていた杏寿郎にも確認でき、肯定と捉えて問題ないと思えた。

「嫌になったら言ってくれ」

そう言って、杏寿郎は今日も去っていった。

深月はゆっくり顔を上げ、杏寿郎が去っていった方を見つめる。
最後の声がなんとなく悲しそうで、寂しそうで、杏寿郎らしくないと思った。

彼は、一体どうしてしまったのだろう。
意味無くこんなことをする人ではなかったと思うが、思い違いだったのだろうか。

そんなことを考えながら、深月は口の端から溢れた唾液を拭う。長いこと口を吸われていたため、これがどちらのものかはわからない。

きっと、次に会うときは、お互い何事も無かったかのように振る舞うのだろう。
杏寿郎は初めからそうだったし、深月も段々と慣れてきて、表面上は普段通り振る舞うことができるようになっていた。

考えても仕方がないことは、一旦考えるのを止めるに限る。

深月は杏寿郎の行為を全く嫌だとは思っていない。それどころか、はしたないことに嬉しくも思っている。
杏寿郎が自分の気持ちを利用しているならそれでいい。利害の一致というやつだ。

深月は無理矢理結論付けて、昼餉の準備に取り掛かった。


*****


深月と別れた後、杏寿郎は手近な壁に凭れ掛かって長い溜め息を吐いた。

初めて口付けて以降、深月が拒否をしないものだから、ついつい調子に乗って、隙を見つけては彼女を捕まえてしまう。

恐らく、深月は自分に好意を抱いている。
自分も、深月に心を寄せているのだろう。

それでも、お互い想いを伝えたわけではないし、恋仲でもない。何だったら、口付けることについて、深月に許可を取っているわけでもない。

しかし、深月に口付ける際の、得も言われぬ満足感というか、快感というか……そういった感覚が癖になっていた。

終わった後の深月の顔を見るほんの少しの時間も、杏寿郎は気に入っている。
短く口付けた時は、遠慮がちに見上げてくるのが可愛らしい。
長く口を吸った時は、息を切らして艶かしい表情で見上げてくる。

どちらにしろ、必ず見上げてくるのが愛しくて、杏寿郎の口角は自然と上がるのだ。

そして、深月と別れた後、毎回後悔に苛まれている。
深月の唇を一方的に奪ったことによって、自慰に耽った後のような虚無感に襲われるのだ。

「修行が足りんな」

杏寿郎は一人呟く。

深月の気持ちを察して、自分も同じ気持ちであるはずなのに、それが勘違いだった時のことが怖くて、想いを告げられずにいる。

それだけではなく、想いを告げることが、深月にとって重荷になる気がした。
彼女のことだ。『二度も助けてくれた恩人が、自分に好意を寄せている』と知り、その後に『自分の恋心は勘違いだった』と気付いた場合、深月は杏寿郎から逃げられなくなるだろう。恩を返すために、杏寿郎に一生を捧げるだろう。それはとてもよくないことだ。

しかしそれでも、深月にもっと触れたくて、杏寿郎は父や弟から隠れて彼女に口付ける。
だが、それ以上の行為には進めない。もし、深月が自分への感謝の意を恋情と勘違いしていた場合、取り返しがつかないことになるからだ。

そんな風にいろいろ考えていたせいか、先程、深月に「どうして」と尋ねられたとき、杏寿郎は何も答えられずに笑って誤魔化してしまった。

深月の想いが勘違いであれば、そのうち拒否されるだろうと思って、「嫌になったら言ってくれ」などと言ってしまった。
いつか深月に拒否されたとき、なるべく自分が傷付かないまま、なるべく彼女に気を遣わせずに、彼女を解放できるように。

きっと、いつか深月が自分から離れてしまうかもしれないのが怖いのだろう、と杏寿郎は思い至る。
深月の想いが自分の勘違いではなくとも、鬼殺隊に入ったら、深月は独り立ちしてしまうかもしれない。それどころか、自分だけでなく、深月もいつ死ぬかわからない生活になる。

杏寿郎の同期だって、すぐに殉職してしまった。彼らのように深月が死んでしまったらと思うと、怖くてしょうがない。

そうなる前に、少しでも深月に触れて独占したい、と杏寿郎の内から欲が溢れてくる。

こんなにも女々しくて、欲にまみれた事を考える自分が嫌で、このままではいけない、と杏寿郎は自分の頬を両手で叩いた。

しかし、どんなに鍛錬や任務に没頭しても、深月を見ないようにしても、彼女が視界に入る度、杏寿郎の想いと欲は募っていくばかりだった。





 




  表紙 目次

main  TOP