(25/160)
第一章 二五
杏寿郎が深月に口付けるようになってから数ヶ月。
杏寿郎からの接吻は頻度が少しだけ減ったが、稽古は日に日に厳しくなっていった。
杏寿郎が任務で不在の日も、深月は手を抜かずに毎日鍛錬を続けた。
そんなある日。
深月は稽古の前に、真剣な面持ちの杏寿郎に呼び出された。
先に杏寿郎の部屋で待っているように言われ、深月は彼の部屋で大人しく座っていた。
表情からして、何か大事な話があるのだろう、と深月は緊張しつつ杏寿郎を待つ。
少しして、杏寿郎が部屋に入ってきた。彼の腕には、長い桐箱が抱えられている。
「待たせたな」
心なしか元気が無さそうに言って、杏寿郎は深月の前に桐箱を置き、自分も座る。
そして、その桐箱の蓋を丁寧な動作で開ける。
桐箱には、一振りの刀が入っていた。
深月は刀と杏寿郎を交互に見る。
「これって……」
「君に貸す、最終選別用の日輪刀だ」
持ってみなさい、と言われ、深月はゆっくりと日輪刀を持ち上げ、刀を鞘から抜く。
燃えているような赤い刀身だった。きっと、炎の呼吸に適した刀なのだろう、と深月は思う。
軽く構える深月を見て、杏寿郎は尋ねる。
「問題なく握れるか?」
「大丈夫です!ありがとうございます!」
明るく笑う深月と違って、杏寿郎は少し辛そうな顔をしていた。
自分のことを心配してくれているのだろうと気付き、深月は日輪刀を鞘に収めて、困ったように笑う。
深月も、最終選別については説明を受けている。
生け捕りにされた鬼が閉じ込められている藤襲山で、七日間生き残らねばならないのだ。
それは、決して容易なことではない。毎回、多くの人が命を落とすとも聞いている。
日輪刀を受け取ったということは、自分も明日には最終選別に向けて出発することになるのだろう。
帰ってくるつもりだが、必ず帰って来れるとは限らない。
深月は少し悩んでから、杏寿郎に伝えるべきことを伝えておこうと考えた。
日輪刀を自分の前に置き、深月は両手をついて深々と頭を下げる。
「今まで、お世話になりました」
「死にに行くみたいな言い方はよせ」
杏寿郎の辛そうな声が降ってきて、深月は顔を上げる。
「もちろん、死ぬつもりはありませんが……でも、今のうちに杏寿郎さんにお伝えしたいことがあります」
「聞かない!」
「えっ……」
「聞かない!!」
杏寿郎は腹から声を出し、深月の言葉を拒否する。
深月が「でも」や「いや」などと言いかけても、全てを遮って、少しも話を聞いてくれなくなってしまった。
杏寿郎は深月から目を逸らし、苦しそうな顔で言う。
「深月はきっと、俺に二度も救われて、勘違いをしているだけだ」
深月が何を思って、何を言わんとしているか、わかっている口振りだった。
その上で深月の想いを否定し、聞いてもくれない杏寿郎に、深月は胸の奥でふつふつと怒りが湧くのを感じる。
「それだけ分かってて、どうして……!」
それには答えず、杏寿郎は残酷なことを口にする。
「どうしても言うのなら、最終選別には行かせない。言わないなら、最終選別に行ってもいい」
「何それ……なんで、そんな意地悪言うの!?」
深月の怒りはどんどん大きくなり、杏寿郎に対して久々に声を荒げる。
「私の気持ちを知ってて……勘違いだって思ってるくせに、
接吻してたの!?そんなこと言うの!?」
つい先刻まで、杏寿郎が自分の気持ちを利用していても構わないと思っていたのに、深月の口から出たのはそれを責める言葉だった。
杏寿郎は傷付いたような顔になり、何かを言おうと口を開く。
「深月、俺は……」
「もういい!最終選別に行くから!聞いてくれなくていい!」
今度は、深月が杏寿郎の言葉を遮る。
深月は両の拳を膝の上で握り締め、目の前の日輪刀を見つめる。今にも泣き出しそうだが、意地だけで堪えていた。
死ぬかもしれない場所に行くなら、杏寿郎に気持ちを伝えておこうと思ったが、それは許されなかった。
それでも、深月は杏寿郎に気持ちを伝えるより、最終選別に行くことを優先した。
杏寿郎と恋仲になるより、杏寿郎のような剣士になりたいのだ。
「日輪刀、お借りします。ありがとうございました」
深月は再度頭を下げた。
日輪刀を持って、杏寿郎の部屋を出て行こうとしたが、敷居を跨いだところで杏寿郎に腕を掴まれ、一瞬足を止める。
泣いてしまいそうだから、彼の顔は見たくなかった。
深月は杏寿郎の腕を振り払い、廊下を駆けていく。
杏寿郎は、走り去る深月の後も追わず、俯いてしまう。
その際、視界に入った敷居が、自分と深月の境界線のような気がして、杏寿郎は片手で目元を覆った。
*****
深月は自分の部屋に戻ると、日輪刀を抱き締めるように持ってうずくまり、堪えていた涙を溢れさせた。
声を押し殺して、静かに涙を流し続ける。
一体、杏寿郎の行為は何だったのだろうか。
杏寿郎も自分に対して、ほんの少しでも好意を持ってくれているのではないかと思っていた。そうじゃなくても、自分の気持ちを利用しての行為だったと思っていたのに、その気持ちを伝えることすら許してくれないとは。聞きたくもなかったのか。
深月はごしごしと袖で涙を拭う。
杏寿郎に想いを伝えられたら、もし最終選別で命を落としても後悔しないと思っていた。別に受け入れてほしかったわけではない。ただ、聞いてほしかっただけなのだ。
でも、告白か最終選別のどちらかしか選べないのであれば、最終選別を選ぶしかなかった。
深月が今一番優先したいのは、剣士になることだったのだ。
明日には、藤襲山へ発たねばならない。
深月は日輪刀を部屋に置いて、槇寿郎と千寿郎に挨拶をしに行った。
*****
深月と言い争うのはいつぶりだろう、と杏寿郎は溜め息を吐く。
随分と、酷いことを言ってしまった。
やはり、勘違いではなかった。深月は、自分に想いを伝えようとしていた。
だが、深月の気持ちを聞いてしまったら、彼女を最終選別へ行かせたくなくなると思い、聞かないという選択をしてしまった。
深月はきっと立派な剣士になると思っていたのに、いざ最終選別に行かせるとなると怖くなり、やっぱり深月は普通の幸せを掴んだ方がいいのではないかとまで思ってしまった。
以前、蝶屋敷でも似たようなことを言って、怒らせてしまったというのに。
しかし、今は蝶屋敷の時と状況が違う。
杏寿郎だって、意味もなく残酷なことを言ったわけではないのだ。
もし、深月が告白を優先するようであれば、剣士を諦めさせて、自分が彼女を娶ろうと思っていたのだ。元々『鍛錬の成果が出なければ杏寿郎の嫁にする』という条件で、彼女を煉󠄁獄家に迎え入れたのだから、一応筋が通らないこともない。
しかし、深月は最終選別を優先した。
今にも泣き出しそうな顔で、でもとても怒っていた。
『私の気持ちを知ってて……勘違いだって思ってるくせに、
接吻してたの!?』
自分を責める深月の言葉が、杏寿郎の耳に木霊する。
結局、彼女を一番傷付ける形になってしまった。
明日には最終選別に行かせねばならないし、深月はもう言うことを聞いてくれないだろう。
本日の彼女の鍛錬は休みにしよう、と杏寿郎はゆっくりと部屋を出る。
しかし、深月は一向に捕まらず、結局千寿郎に言伝てを頼むことになった。
表紙 目次
main TOP