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第一章 三二
深月が胡蝶姉妹へ隊服について手紙を出そうとしたところ、鎹烏が行ってくれると申し出た。
こんな個人的なことで悪いと深月は断ったが、忠誠心が強いのか、鎹烏は大丈夫だと言って蝶屋敷に飛んでいってしまった。
そして、胡蝶姉妹──しのぶからの返答は、『明日にでもその隊服を持ってきてください』だった。
日輪刀が届けば任務に出向かねばならないし、話が早くて助かる、と深月はしのぶの返答の翌日に、早速蝶屋敷へ向かった。
*****
蝶屋敷に着くなり、深月は持参した隊服をしのぶに奪われた。庭に連れていかれ、そこには縫製係の隠──前田が居た。
しのぶは隊服を前田の目の前に投げ付けると、油をかけマッチで火を付けた。
あまりの手際の良さに、深月はただ見ていることしかできなかった。
「うわぁあああああ!!」
蹲って悔しそうに泣き叫ぶ前田。
彼の目の前で燃え盛る炎と、燃やされている深月の隊服。
油が入っていた小瓶とマッチを手に、鬼の形相で前田を見下ろすしのぶ。
深月が冷や汗を流す横で、カナエや蝶屋敷の少女たちもその光景を見ていた。
「あの、これは一体……?」
深月が尋ねると、困ったように笑いながらカナエが答える。
「しのぶのときも、こうやって通常の隊服をもらったらしいのよねえ」
深月はもう「そうなんですね……」と相槌を打つしかなかった。
ものすごい手段である。こんな方法、杏寿郎や深月では思い付かないだろう。
隊服が燃えカスへと変わる頃、しのぶは口を開いた。
「深月さんに新しい隊服をご用意いただけますね?」
前田は悔しそうに「はい」と返事をし、新しい包みを差し出す。
既に隊服を用意していたのか、と深月がそれを受け取ると、前田は一目散に逃げていった。
その逃げ方は、どう見ても怪しかった。
まさかと思って深月が包みを開けると、ほぼ同じ造りの隊服が入っていた。
違うところと言えば、行灯袴の長さが脚の付け根ぎりぎりから太腿の三分の一程度になったことだろうか。少しの変化であるが、丈が長くなったといえばそうである。
「ああ!やられた!」
声を上げて悔しがったのは、深月ではなくしのぶだった。
深月は当事者なのに、縫製係の人ってしぶといなあ、と思いながら、他人事のように苦笑していた。
それを見たしのぶの怒りの矛先が深月に向く。
「深月さんのためにやってるんですよ!」
「ご、ごめんなさい……」
すごい剣幕で怒鳴られ、深月は思わず謝罪する。
しのぶは、次こそは通常の隊服を持ってこさせようと策を考え始める。
深月は燃やされた隊服と、新しくもらった隊服を見て、しのぶに声を掛ける。
「しのぶさん、一旦これで大丈夫です。ありがとうございます」
「はあ!?どうして!?」
怒鳴るしのぶに、深月は申し訳なさそうに笑う。
「隊服って、安いものじゃないでしょう?」
隊服は通気性が良く、濡れにくく燃えにくい。雑魚鬼の爪や牙にも耐え得る、特別なものだ。
決して安いものではないので、何枚も無駄にするのは悪いと思ったのだ。
「露出している部分は、靴下や襦袢で隠せますし。下履きを履けば、まあどうにかなると思います」
深月は隊服を包み直し、しのぶに深々を頭を下げる。
「お手を煩わせてすみませんでした。ありがとうございました」
その様子を見て、しのぶもさすがに怒る気を無くす。
当事者である深月がそう言うなら、これ以上隊服を無駄にするわけにもいかない。
「今日は一旦止めますけど!任務に支障が出るなら、ちゃんと言ってくださいね!」
しのぶはそう言って、深月の隊服の件は終わりにした。
その後、深月は蝶屋敷の少女たちと少し遊んでから、煉󠄁獄家へ帰ることにした。
帰り際、深月の頬に残る傷を見て、しのぶは追加の薬を持たせてくれた。
帰り道の途中、深月はいくつかの店に寄り、靴下や下履きなど、隊服の下に着る物を購入した。
何かあったときのためにと、杏寿郎から金を持たされていたので、それを使わせてもらった。
任務が始まり給金を貰えたら、今までの分も含め、徐々に金を返していこうと考えながら、深月は煉󠄁獄家の門をくぐった。
蝶屋敷で少し遊んだし、買い物もしたので、思ったより随分遅くなってしまった。
深月が玄関の戸を開けると、何故か杏寿郎と千寿郎が居た。
深月は首を傾げながらも、二人に声を掛ける。
「只今戻りました……あの、どうされたんですか?」
杏寿郎も千寿郎も、返事をする前に深月に飛び付いた。
千寿郎だけならまだしも、杏寿郎にまで飛び付かれ、深月は少しよろける。
深月を数秒抱き締めた後、杏寿郎は彼女の両肩を掴んで少し離れる。目を合わせて、焦った表情で口を開く。
「どうされたんですか、じゃないだろう!帰りが遅いから心配したぞ!」
「また、深月さんが酷い目に遭ってるんじゃないかって……」
千寿郎は深月にしがみついたまま、震える声でそう言った。
二人の言葉に深月は納得する。
自分は拐われたことがあるのだ。帰りが遅ければ心配されて当たり前だ。
「申し訳ありません……その、寄り道をしてしまいまして」
深月がしょんぼりすると、杏寿郎は「何もなかったならいい」と彼女の頭を撫でた。
千寿郎は安心したように微笑み、深月から離れる。
しょんぼりしたままの深月が可哀想ではあるが、杏寿郎は深月に注意をする。今は鎹烏が居るのだから、遅くなる場合は連絡を入れるように、と。
「任務がなければ迎えに行くから。あまり心配させないでくれ!」
「すみません……でも……」
深月は素直に謝ったが、段々と苛ついてきた。
これでも厳しい修行に数ヶ月耐え、最終選別を突破したのだ。拐われた時よりも強くなっているはずだし、そもそも前から思っていたが自分は子供じゃないのだ。
以前は「期待している」などと言っていたが、杏寿郎は結局自分のことを信じてくれていないのではないか、と深月は不貞腐れる。
「杏寿郎さんって、私のこと弱いと思ってます?」
気付けば、思ったことをそのまま口にしてしまう深月。
杏寿郎は額に手を当て、呆れたように溜め息を吐く。
「そういう話をしているんじゃない!」
「そういう話でしょ!遅くなったのは悪かったけど、過保護じゃない?」
怒鳴り始める深月を見て、煉󠄁獄兄弟はまずいと思った。しかし、時すでに遅く、深月は完全に臍を曲げている。
「私が任務に行っても、同じように心配するの?ちゃんと約束したじゃない!あれ何だったの?意味無かった!?」
「深月、違うんだ……」
「何が?」
「す、すまん……」
「だから、何が!?」
経験上、このままでは平行線である。
杏寿郎が答えられずにいると、深月はそっぽを向いてしまい、玄関に上がって自室に向かう。
こうなった深月を宥めることは難しい。
杏寿郎は、蝶屋敷で深月に点滴を振り回されたときのことを思い出す。あれに比べればましと言えなくもない。
「機嫌が直るまでそっとしておこう!」
深月の背中が見えなくなってから、杏寿郎は千寿郎に提案した。
深月が怒鳴り始めてからずっとおろおろしている弟を、憐れに思いながら。
千寿郎は困ったように笑いながら、「そうですね」と答えた。
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