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第二章 十
例の隊士は深月に腕を砕かれ、深月と同じく蝶屋敷に治療に来ているらしい。
彼がいるという病室を訪れる杏寿郎だったが、直前でしのぶに止められた。
「一応、彼も怪我人です。ある程度回復するまで待ってください」
しかし、杏寿郎は額に血管が浮き出るほど怒っており、諦めようとしない。
「怪我は自業自得だろう!俺は、彼が二度と深月を視界に入れることも出来ないよう、灸を据えてやらねばならん!」
「今は駄目です。強行するなら、深月さんを面会謝絶にしますよ」
しのぶが困ったような笑顔で言うと、杏寿郎は押し黙った。さすがに、深月の顔を見れなくなるのは困る。
杏寿郎の様子を見て、しのぶは「大丈夫です」と自分の腕を指差す。
「麻酔は使わず、切開して骨を整えましたから。しばらくは動く気力もありませんよ」
朗らかに笑うしのぶ。
惨いことをやってのけたとは思えないその笑顔に、杏寿郎の怒りはほんの少しだけ収まった。
*****
杏寿郎は深月の病室に戻り、寝台横の椅子に座り、寝台の上でやはり少しも動かない深月を見つめる。
すぐ側では、泣き疲れた千寿郎が深月の右手を握ったまま、寝台に凭れ掛かって寝ていて、杏寿郎は弟の頭を優しく撫でる。
千寿郎は、深月のことを本当の姉のように慕っている。
あの隊士が、深月をこんな目に遭わせただけでなく、千寿郎にこんな顔をさせた原因だと思うと、腸が煮えくり返るのを感じた。
しかし、しのぶにも止められたので、今はあの隊士を責め立てたいのをどうにか堪える。
長く息を吐き、杏寿郎は隠の話を思い出す。
深月は、煉󠄁獄家のために怒り、その結果問題を起こしていた。
深月自身に対する誹謗中傷には、何もせずに我慢していたのに。
そして、一切弁明することなく、あらゆる罰や説教を、全て受け入れていた。
とにかく、煉󠄁獄家の人間の耳に噂が入らぬよう、それだけのために。
人のために怒れる、強く優しい彼女を愛したのは自分だが、もっと頼ってほしいとも思った。
煉󠄁獄家を貶める噂などで、槇寿郎も杏寿郎も傷付いたりなどしない。むしろ、深月を貶める内容だと怒っていただろう。
千寿郎は傷付いたかもしれないが、それで心が折れるような弱い子でもない。
「深月……」
目を覚まさない恋人の名前を呼び、杏寿郎は眉をひそめた。
彼女はどうやら、今も全集中の常中を使えているようだ。
初めにこの姿を見たときは動揺してしまったが、常中を使えているなら、回復力は増すだろう。
いつになるかはわからないが、きっと、いつかは目覚めてくれる。
それでも、彼女の体に新しく増えた傷は消えないだろう。
左腕は骨が飛び出ていたと聞いたし、背中から脇腹にかけての傷は毒に侵されていたようだ。
どちらも、跡が残らないような軽傷ではない。
まともに戦えば、深月にとっては大きな怪我もなく倒せる鬼だったはずだ。
だがしかし、隠を囮にされたせいで、まともに戦えず、こんなに怪我をしてしまった。
そこで吐き気がしてきて、杏寿郎は口を片手で覆う。
隠が細かく教えてくれた、あの隊士の言動と行動に、不快感を覚えて、胃がひっくり返りそうだ。
一体どれくらい経てば、自分はあの隊士に怒りをぶつけることができるのだろう。
杏寿郎は歯を食い縛り、深月の顔を見つめ続けた。
*****
深月は一週間経っても、二週間経っても、目を覚まさなかった。
しのぶや蝶屋敷の少女達は、一生懸命深月の世話をした。
包帯を替え、体を拭き、頭を洗って、着替えさせる。点滴の確認も怠らず、傷は小まめに診て、少しでも跡が残らないようにしのぶ特製の薬を塗る。
傷跡は確実に残るので、気休めでしかなかったが、それでも誰も薬を塗るのを止めようとはしなかった。
煉󠄁獄兄弟や隠達は、ほぼ毎日見舞いに来ていた。
特に杏寿郎は、時間が許す限り深月の側に居た。
何度も名前を呼び、任務や家のことを話し、腕や足の血流が滞らないよう擦ってやった。
「深月。たくさん甘やかしてやるから、早く起きてくれ」
そう言って、杏寿郎は深月の右手に自身の左手の指を絡めて少し持ち上げてから、その甲に口付ける。
深月の目が覚めたら、何でも言うことを聞いてあげるつもりだった。
普段の深月は何も欲しがらないが、食べたい物も欲しい物も、何でも買ってあげよう。
今回の件で怒ったりはしない。むしろ、立派に活躍したことを褒めて、撫でてあげよう。
深月は杏寿郎に褒められることが何より嬉しいのだと、杏寿郎は知っている。
「任務に行ってくる。終わったら、また来るからな」
深月の手を寝台に戻し、杏寿郎は立ち上がる。
そして、深月の額にそっと口付けてから、病室を後にした。
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