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第二章  十一


深月が大怪我をしてから、もう一ヶ月程経った。

例の隊士はある程度回復するなり、藤の家で療養すると蝶屋敷を出ていってしまったらしい。
おそらく、しのぶに恐れをなしてのことだろう。

そのおかげで、杏寿郎はその隊士に一言も文句を言えないまま、募らせた怒りを任務で発散していた。

深月は、未だに目覚めていない。



その日も、杏寿郎は任務帰りに深月の見舞いに来た。

「……おはよう」

深月に笑い掛けるが、彼の声からいつものような元気は感じられない。

しのぶや少女達の懸命な治療により、深月の血色は大分良くなった。
顔の腫れもすっかり治って、しのぶの話によると内臓の損傷も少なく、左腕の骨ももう少しで完全にくっつくだろう、とのことだった。
それでも、回復してきたとは到底言えない。

今日は何を話そうか、と考えながら、杏寿郎は寝台横の椅子に座る。

深月の右手を両手で握って、彼女の寝顔を見る。
寝息は穏やかで、握っている手も温かい。

深月が生きているという事実に、杏寿郎は安心する。
自分が任務に行っている間に、ひっそりと死んでしまっていないか、心配で仕方がない。

ふと、杏寿郎は深月の唇に触れる。

長く眠っているのに、そこは以前のように手入れが行き届いていた。
唇だけではない。髪も、頬も、爪も、長く眠っているとは思えない程綺麗だった。

きっと、蝶屋敷の少女達が、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれているのだろう。

次に、柔らかい髪に手を伸ばし、優しく撫でる。

その際、今まで身動ぎもしなかった深月が、一瞬動いたような気がして、杏寿郎は椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がる。

数秒見つめるが、深月はやはり動かない。

杏寿郎は自分の情けなさに眉を下げて苦笑し、深月に顔を近付ける。

「早く、君の笑顔が見たいものだ」

そう言って、深月の唇に触れるだけの接吻を落とす。
久々の接吻だったので、少し長めに触れ続ける。

しばらくして唇を離し、杏寿郎は倒してしまった椅子を戻そうと振り返る。

「ん……」

背後から声が聞こえて、杏寿郎は持ち上げかけていた椅子を床に落としてしまう。

振り向くと、深月がぼんやりと目を開けていた。

目頭が熱くなるのを堪えて、杏寿郎は深月の顔をのぞきこむ。

「おはよう!深月!」

太陽のような笑顔で元気よく挨拶をすると、深月は嬉しそうに微笑んだ。


*****


深月は、寝台で上体を起こし、帯より上の服を脱がされ、包帯も取られ、しのぶに背を向けていた。

深月が目覚めたと聞いて、しのぶ達が診察に来たのだ。
ちなみに、心配だからと居座ろうとした杏寿郎はしのぶに追い出され、廊下で大人しく待っている。

「はい、もういいですよ。戻してあげてください」
「はい。深月さん、失礼します」

しのぶに促され、なほが深月の体に包帯を巻いていく。

「ありがとう、なほちゃん」

服も戻してもらった深月は、なほに微笑みかける。
なほは嬉しそうに「いいえ」と返す。

深月はまた寝台に寝かされ、それになほが優しく布団を掛ける。

傷は痛むが、大分塞がっていて、左腕にも違和感が無かった。しかも腹が異常に減っていて、心なしか体は細くなっているのに、動きが重い。
深月はしのぶに尋ねる。

「私、どれくらい眠ってたんですか……?」
「一ヶ月程です。煉󠄁獄家のご兄弟が、毎日お見舞いに来られてましたよ」
「そうですか」

一ヶ月とは、随分寝たものだ。
しかも、その間に蝶屋敷の人達に世話になり、杏寿郎達に心配を掛けてしまった。

「しのぶさん。なほちゃんも、他のみんなも、長い間ありがとうございます」

寝ているので頭は下げられないが、深月はふわりと微笑んで礼を言った。
それに対して、なほはまた嬉しそうに笑う。

「いえいえ!そういえば、特に、お兄様の方はすごく深月さんのことが大切みたいで……」

そして、杏寿郎が見舞いに来る度、深月に話し掛けていたことや手足を擦ってくれていたことを伝えた。

それを聞いて、嬉しいやら恥ずかしいやらで、深月は少し頬を赤くする。

一方、しのぶは困ったように笑った。

「煉󠄁獄さん、大変だったんですよ」

何がだろう、と深月は首を傾げる。

しのぶは、怪我人である例の隊士に灸を据えようとしていた杏寿郎のことを話した。

そして、深月が蝶屋敷に担ぎ込まれて来たときの、槇寿郎のことも。



槇寿郎は深月を抱き抱えて来て、蝶屋敷の少女達に預けた。
そして、とりあえず帰宅しようとしたとき、深月に腕を砕かれた隊士もやって来た。

何をしに来たかと思えば、腕の治療に来たらしい。

事情を知らないアオイが、その隊士も診察室に案内しようとしたところ、槇寿郎は隊士の首根っこを掴んで引き倒した。



「『こいつも治療する気か』って、アオイが怒鳴られたそうです。愛されてますねえ」

しのぶがからかうように言うと、深月はさらに赤面して布団を顔まで被った。

あの父子は、育ちが良く礼儀正しいはずなのに、どうしてああも激情型なのだろうか。
自分を思ってくれるのは嬉しいが、しのぶやアオイに迷惑を掛けたことが恥ずかしくなる。

「すみません……」

布団の中で深月は謝罪する。
しのぶはくすっと笑って、「私もアオイも気にしてませんよ」と返した。

それから、しのぶは廊下の杏寿郎を呼びに行く。

足音が増えたことに気付き、深月が布団から顔を出すと、蕩けた表情の杏寿郎と目が合った。
どきどきしている間に、杏寿郎は近付いてくる。

「では、私達は失礼します。深月さんはまだまだ安静にしていなければいけませんので、刺激の強いことはされないでくださいね」

そう言って、しのぶはなほを連れて病室を出て行った。

しのぶの不穏な言葉と、個室に二人で残されたという状況に、深月は若干身の危険を感じた。

それはともかく、眠っている間に杏寿郎が話し掛けたり手足を擦ってくれていたと聞いたことを思い出し、深月は杏寿郎に礼を言わねばと口を開く。

「杏寿郎さん、ありがとうございます。いつも来てくださってたんですよね」

しかし、話を聞いているのか聞いていないのか、杏寿郎は深月の口を自分の唇で塞いだ。





 




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