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第二章  十四


深月を押し倒したものの、杏寿郎は彼女の怪我を気遣い、優しくするように心掛けた。
あまり激しく口を吸えば深月の呼吸は乱れるし、その乱れた深月を見れば理性を保てる自信がなかった。

さすがに、蝶屋敷でまぐわうわけにはいかない。

しばらく舌を絡め、ゆっくり口内を舐め回してから、唇を離す。

いつもより優しく短い口吸いだったが、それでも互いの唾液は混ざりあい、二人の唇の間に唾液の糸が引いて、重力に負けてぷつんと切れた。
深月の口や胸元に垂れた唾液を、杏寿郎は指で拭う。

深月を見下ろせば、うっとりとした表情で杏寿郎を見上げていて、杏寿郎はその顔にぐっと息を詰まらせる。

深月は少し肩で息をしていたが、呼吸が整うと口内に溜まっていた二人分の唾液を飲み込んだ。その際、ごくりと喉がなって、それを見た杏寿郎も生唾を飲み込む。

そして、深月は嬉しそうに微笑んで、杏寿郎の首から手を離す。

杏寿郎は起き上がり、優しい笑みを浮かべてから尋ねる。

「これで、明日まで待てそうか?」
「はい、ありがとうございます。気持ち良かったです」

そのとんでもない返答に、杏寿郎はまた息を詰まらせたが、強靭な精神力で理性を保った。

深月も起き上がり杏寿郎の隣に移動して、彼の肩に凭れ掛かった。
二人で寝台の上に座りながら、また指を絡めて手を繋ぐ。

明日以降も優しくできるだろうか、と考えながら、杏寿郎は深月の髪に口付けた。


*****


二人ともしばらく話さず、ただ半身でお互いの体温を感じていた。
その心地好さに、深月がうとうとし始めた頃、杏寿郎が口を開いた。

「少し休むか?」

深月は眠そうに目を擦りながら答える。

「いえ、杏寿郎さんが任務に行かれるまでは起きてます」

その可愛らしい内容に、杏寿郎はふっと笑って、「では、茶でも貰ってこよう」と言って立ち上がった。
手が離れて、深月が寂しそうにしているのがまた可愛くて、杏寿郎は彼女の頭を優しく撫でる。

「すぐ戻る」

幼子を安心させるような声音でそう言って、杏寿郎は病室を出て行った。

深月は一人、寝台の上で眠気と戦う。
杏寿郎といると安心するので、まだ昼前だというのに、つい眠くなってしまった。しかし、任務に行ってしまう杏寿郎と少しでも長く一緒に居たいので、起きておこうと頑張る。

それでも、先程の心地好さが残っていて眠気に負けそうになる。

だから、気付かなかった。
病室の出入口に、杏寿郎と入れ替わりで別の人影が現れたことに。

その人影は、足音を殺して深月に近付く。
そして、彼女に触れようと手を伸ばす。

触れるまであと数センチ、というところで、深月は跳躍して病室の隅まで後退した。
さすがに気配に気付いて、目が覚めたのだ。しかも、その気配はとても不快なものだった。

「逃げないでくれ。こっちに来てくれ」

その気配の主は、悲しそうな顔で懇願する。

深月は怒りと警戒心を剥き出しにした目で、彼を──件の先輩隊士を睨む。
寄るな、と言いたかったが、口も聞きたくないという感情の方が勝った。

窓から逃げるか。杏寿郎が戻って来る方が早いか。
今すぐ叫べば、杏寿郎やしのぶが直ぐ様駆け付けてくれるだろう。

しかし、先輩隊士の手に握られている日輪刀が、深月を躊躇わせた。

深月の日輪刀は、煉󠄁獄家に預けている。稽古をしようと病室を抜け出した時に、しのぶに取り上げられた。
この病室には木刀すらない。暗器は少しだけあるが、隠しているのは寝台の下で少し距離があるし、弾かれたらそれで終わりだ。

しかも、今の跳躍で傷がズキズキと痛み始めた。
丁度、痛み止めが切れる頃合いと被ってしまったのだろう。

誰かを呼んだり抵抗したりすれば、きっと先輩隊士の神経を逆撫ですることになる。丸腰な上、傷が痛むのではさすがに分が悪い。

「最悪……」

深月はぼそりと呟いた。
正直、顔も見たくなかった。二度と会わずに、その存在ごと忘れ去ってしまいたかった。

先輩隊士が一歩、また一歩と深月に近付いていく。

深月は段々増していく痛みに耐えながら、思考を巡らせる。

その間、先輩隊士は待ちきれなくなったようで、自分から深月へと近付いていく。

あと二歩程度で日輪刀の間合いに入る。

深月が歯を食い縛り、しのぶに怒られる覚悟で窓をぶち破ろうとしたとき、病室に甲高い悲鳴が響いた。

「きゃあああああ!」

悲鳴の主は、もちろん深月ではない。
病室の出入口に、すみが居た。悲鳴の主は彼女だ。
彼女はお盆を持っていて、その上には急須と湯呑みが乗っていた。
おそらく、杏寿郎に頼まれて、茶を淹れてきてくれたのだろう、と深月は察する。

先輩隊士は大きく舌打ちをして、すみに向き直る。
先にすみを排除しよう、というつもりらしい。

「すみちゃん!」

深月はすみを助けようと跳躍する。その瞬間だけは、傷の痛みも、自分が丸腰だということも、忘れていた。

壁を蹴って、天井を経由し、すみと先輩隊士の間に降り立つ。

先輩隊士が日輪刀を振り上げる。

深月は日輪刀を片手の甲ではじき、すみが持っているお盆から急須を取って、先輩隊士の顔面に向かって投げつけた。
淹れたての茶が飛び散り、先輩隊士は顔を押さえながら後退っていく。

「すみちゃん、逃げて!杏寿郎さんかしのぶさんを……」

深月は言いながらすみを振り返ったが、途中で言葉に詰まる。

余程怖かったのだろう、すみは腰を抜かしてへたりこんでしまっていた。
力が抜けた彼女の手からお盆が離れ、湯呑みがコロコロと転がっていく。

そこで、傷の痛みがぶり返してきて、深月は眉をひそめる。
日輪刀を弾いたせいで、手の甲も切れていた。そちらはそんなに痛まないが、血が掌まで滴っているせいで手が滑る。
現状では、すみを抱えて逃げることは難しい。

とりあえず、すみだけは守らなければ、と深月は先輩隊士に向き直る。

先輩隊士は火傷と怒りによって赤くなった顔で、深月を睨み付ける。

「どうして……どうして俺の物にならないんだ!」

わけのわからない理由で激昂し、日輪刀を振り回す。

それをまた弾こうと、深月は拳を握り締め、それを胸の前で構えた。

その瞬間、後ろから何かに包まれて、頭上でキンッと金属がぶつかる音がした。





 




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