(50/160)
第二章 十五
杏寿郎は病室を出た後、茶を淹れてもらおうと、蝶屋敷の少女を探して歩き回っていた。
台所近くの廊下でおさげの少女を見つけ、声を掛ける。
確か、深月は彼女のことを『すみちゃん』と呼んでいたと思い出す。
茶を淹れてもらえないかとお願いすると、すみは快く引き受けてくれた。
それに杏寿郎が礼を言うと、すみは嬉しそうに笑った。
「いいえ。深月さん、元気になってよかったですね!」
自分のことのように喜んでくれるすみに、杏寿郎も満面の笑みを返した。
すみと別れてから、杏寿郎はしのぶにも礼を言おうと彼女の姿を探す。
本当は、アオイや他の少女、隠達と、礼を言うべき相手はたくさんいるが、いちいち捕まえて声を掛けていては切りがない。
であれば、蝶屋敷の主人であるしのぶに感謝の意を伝えるのが一番いいだろう、と考えたのだ。
程なくしてしのぶを見つけ、杏寿郎は礼を言う。
「君達のおかげで深月は元気になった!ありがとう!」
突然そんなことを言われ、しのぶは少しきょとんとしていたが、すぐに「いいえ」と笑みを返した。
「私も妹達も、深月さんには救われていますから」
その言葉に、次は杏寿郎がきょとんとする。
深月を救ってくれたのは、しのぶ達だろう、と。
それに気付いてか、しのぶは続ける。
「初めてお会いしたときの深月さんは、とても暗かったですよね。それがすっかり明るくなって……そんな彼女の明るさや優しさに、救われているんです」
もしかしたら、煉󠄁獄家の方々が間接的に私達を救ってくださってるのかもですね、としのぶは微笑む。
それはつまり、深月が明るくなったのは自分や家族のおかげだという意味で、そうだったら嬉しい、と杏寿郎は思った。
「特に、なほ達は深月さんに随分懐いてますし」
その言葉に、杏寿郎はまた嬉しくなった。
蝶屋敷の以前の主人であるカナエは、いつの間にか殉職していた。
姉にも等しい存在を亡くした少女達は、その代わりというわけではないだろうが、深月のことを年上の女性として慕ってくれているのだろう。
しかし、しのぶはどうなのだろうか、と杏寿郎は考えた。
確か、カナエはしのぶと実の姉妹だ。さらに言えば、カナエと深月の年頃は近い。
殉職した実の姉と違い、深月は今も生きている。しかも新しい家族を手に入れて、幸せそうに笑っている。
それを恨めしく思うことはないのだろうか。
しのぶは、深月のことも、例の隊士のことも、嫌な顔一つせず治療していた。
謹慎中の深月のことも、快く受け入れてくれていた。
本当は迷惑だったのではないか、と心配になる。
そんな杏寿郎の考えを察したのだろう。しのぶは朗らかな笑みを浮かべた。
「私も、深月さんのことは好きですよ」
そして、「妹達も深月さんが好きなので、うちに来ていただくのもいいかもしれませんねえ」などと言うものだから、杏寿郎はさすがに少し焦った。
深月がいろんな人の救いになるのは喜ばしいことだが、誰かに取られては困る、と。
*****
しのぶと別れた杏寿郎は、病室に向かって足を進めていた。
その途中で、甲高い悲鳴が聞こえてきて、杏寿郎は駆け出す。
それは深月の声ではなかったが、深月の病室の方向から聞こえてきていた。
病室の出入口が見えると、そこにすみがへたり込んでいた。病室内で何かがあったのは確実だ。
杏寿郎は跳躍し、すみを吹っ飛ばさないよう気遣いながらも、一気に病室に辿り着く。
中を見れば、日輪刀を振り上げている隊士と、すみを庇うように立ち塞がっている深月が居て、久々に血が沸騰しそうになるのを感じた。
杏寿郎は左手で日輪刀を鞘ごと抜き、右腕で深月を抱き寄せる。振ってくる日輪刀は、鞘で弾いた。
怒りに任せて弾いたので、隊士は少し後ろに吹っ飛ばされ、壁に背中を打ってから尻餅をつく。
「何をしている?」
その杏寿郎の問い方は、一ヶ月程前の槇寿郎と同じで、隊士は極寒の地にいるかのように震え出す。
別に回答を求めていなかった杏寿郎は日輪刀を腰に戻し、隊士から深月を隠すように抱き締める。
その力が強すぎて、痛みと苦しさで深月は呻き声を上げるが、今回ばかりは杏寿郎も腕の力を緩めない。
深月はなんとかすみの方を向き、へたりこんだままの彼女を安心させるように微笑みかける。
「すみちゃん、怪我はない?」
「はい……でも……でも、深月さんが……」
「杏寿郎さんが来てくれたから、もう大丈夫だよ。しのぶさんのところに行ける?」
すみはゆっくり頷き、震える足で立ち上がって、廊下を駆けていった。途中、心配そうに何度も深月を振り返っていたが、深月はすみの姿が見えなくなるまで、笑みを浮かべたまま見送った。
すみの姿が見えなくなった頃、隊士は震えがおさまったようで、のろのろと立ち上がる。
「やっぱり!やっぱり、煉󠄁獄家に取り入ってたんだ!疚しいことがあったから、俺に怪我をさせたんだ!」
激昂して深月を責め立てる。
「いや、怪我をさせられたことは許すよ!だから、仲直りしよう!深月も俺のことが好きだろう?全部許すから……」
かと思えば、泣きそうな顔で深月にすがり付こうと近付いてくる。
杏寿郎は彼から深月を離すように、体を半回転させて深月を抱き締める腕に力を込める。
既に大分力が込められていたので、深月は息ができるぎりぎりの状態になり杏寿郎の胸を叩くが、怒りに呑まれそうになっている彼は気付いてくれない。
「この子の名前を口にしないでくれ!虫酸が走る!」
杏寿郎の怒声に、隊士は怯えて足を止める。
杏寿郎は一旦落ち着こうと長く息を吐き、冷静な声で続ける。
「君は勘違いをしている。深月は君を好きではない。この子が好いてくれているのは俺だ。君ではない。わかるか?」
隊士は、心底わけがわからないという顔をしていて、杏寿郎は彼の情緒が壊れてしまっていることに気付いた。
それでも、腹の底から湧き出る怒りを止められそうになかった。
表紙 目次
main TOP