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第二章  十六


杏寿郎は冷静な声だが、内心怒り狂っているようだ。

「深月を許すなど烏滸がましい。君の許しも、恋情も、深月は必要としていない。そもそも、君は仲直りできるほど深月と親しくない」

容赦ない物言いで、隊士を責め立てる。
それが癪に触ったのか、竦み上がっていたはずの隊士は立ち上がり、また日輪刀を振り回そうとする。

「杏寿郎さん、ごめんなさい」

深月はそう言って、杏寿郎の隊服の釦を一つ引きちぎり、隊士の手に向かって投擲した。

釦は見事に隊士の親指に当たり、その骨を折った。
日輪刀ががしゃんと音を立てて床に転がる。

「ぐあっ……なんで!なんでだ!俺はこんなに想っているのに!」

親指を押さえ、隊士は怒鳴るように叫ぶ。

こんなに深月が好きなのに。深月に相応しいのは自分なのに。深月は全く想いを返してくれない。煉󠄁獄家の人間には、柔らかい笑みを向けるのに。

そのようなことを一通り叫んだ後、隊士は涙を流し始める。
しかし、その涙は杏寿郎の神経を逆撫でするだけだった。

「君は深月の何を知っている?この子が何に喜んで、何に悲しみ、何に怒るのか、微塵も知らないだろう」

隊士はまた竦み上がり、杏寿郎は構わず話を続ける。

「君が深月に相応しいだと?ふざけるな!深月は君のせいで、一ヶ月目を覚まさなかった!隠は責任を感じて心を曇らせ、俺の弟は悲しみに打ちのめされた!そんな人間、深月どころか他の誰にも相応しくない!」

冷静だった声は、どんどん大きく荒くなっていった。
杏寿郎は一旦小さく息を吐き、努めて冷静な声に戻す。

「深月や煉󠄁獄家を侮辱すれば、深月を傷付ければ、深月を手に入れることができるとでも思ったか?そんな腹いせに負けるほど、俺達は弱くない」

隊士は何か言いたげに口をぱくぱくとさせていたが、結局何も言えずに悔しそうに口をつぐんだ。

杏寿郎は呆れたように溜め息を吐く。

「俺と深月がどういう関係か、まだわからないのか?」

そう尋ねられても、隊士は何も答えない。
余程鈍いのだろう、まだわからないらしい。だからこそ、深月の心中を察することができず、彼女を傷付けることができたのだろうが。

杏寿郎は再度、溜め息を吐く。

「こういう言い方は嫌いだが、君にも分かりやすく言おう。深月は俺の女だ。君の所有物には一生ならない」

そこまで聞いて、漸く隊士は絶望を顔に浮かべる。
彼にとって一番欲しかった物は、手に入らない。

杏寿郎は追い打ちをかけるように、一旦深月を離し、羽織を脱いでから彼女に被せる。
そして、羽織の上から深月を抱き締め、彼女の額に口付ける。

隊士は、その羽織に見覚えがあることに気付く。
深月がいつも身に纏っている羽織だ。あれは、杏寿郎の物だったのだ。

隊士も、深月の実力は知っている。
決して、煉󠄁獄家に取り入ったから得た階級ではないと分かっている。
分かっているからこそ、杏寿郎の抱擁も接吻も嫌がらない深月を見て、杏寿郎が『俺の女』と言い表した二人の関係が、嘘ではないと理解する。

「そんな……そういう関係だって知ってたら、お前のことなんか好きにならなかったのに……」
「その程度であれば、君は深月のことを好きではないな!」

杏寿郎がはっきりと言い捨てたところで、廊下の奥からバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。

すぐに、しのぶや隠達が到着する。

しのぶはすぐに杏寿郎の腕から深月を奪い、彼女の手の甲を軽く止血してから、診察室まで引き摺っていった。

隠達は、深月が大怪我した際に居合わせた者ばかりだ。
怒りを露にしながらも、隊士の側に転がっている日輪刀を見て、彼らの何人かは息を呑む。

「大丈夫だ!深月が親指を折ったから、日輪刀は満足に握れない!」

杏寿郎は隠達を安心させるように笑い、隊士に向かっていく。
彼の日輪刀を拾い、鞘を奪ってそれに収める。日輪刀を隠の一人に預けてから、隊士の腕を後ろに回させて拘束する。

そこで、杏寿郎の顔からすっと笑顔が消える。
隠達には彼の背中しか見えず、隊士はうつむいていたため、誰も彼の顔を見ていない。
それでも、笑顔が消えた瞬間に、病室の空気が一気に重苦しくなったのを感じた。

「君の犯した罪をしっかり償うといい……それと、今後、深月に近付いたら容赦しない」

剥き出しの敵意を向けられ、隊士はガタガタと震える。歯の根が合わず、ガチガチと音が鳴る。

「わかったか?」

杏寿郎が尋ねると、隊士は何度も頷いた。
杏寿郎の顔は見れなかった。見たら、失禁しそうだった。

「わかりました……二度と、近付きません……すみません、すみません……」

失禁は免れたが、隊士は全身から冷や汗を流す。

深月の見た目や剣技に惹かれたのは事実だった。
しかし、一向に手に入れることができなくて、彼女を貶めて傷付けて自分を振ったことを後悔させてやろうと思った。
だが、そもそも手に入れようとしたのが完全に間違いだった。

隊士は、この日一つだけ学んだ。
煉獄家の長男を敵に回してはいけない、と。

杏寿郎は震え続ける隊士を無理矢理立たせ、彼も日輪刀と同様に隠へ預ける。
隠達は縄を取り出し、隊士の腕どころか足も上半身も縛り上げた。縄で親指が固定されているのではないか、というくらい強めの縛り方だった。

隠達を見送ってから、杏寿郎は診察室へ向かう。

深月の怪我は浅いと思ったが、実際はどうだったのだろうか。怒りを優先してしまい、きちんと傷を見てあげられなかった。

後悔しながら、杏寿郎は診察室に入る。

「深月、大丈夫か!」
「え、ちょっと待って……」

深月は杏寿郎の声を聞き、慌てて制止したが、既に遅く杏寿郎はがっつり診察室に足を踏み入れていた。

診察室の中では、上半身を晒した深月居て、杏寿郎は硬直する。

しかも、傷を見せるためにしのぶに背中を向けているため、深月は杏寿郎の方を向いている。
片腕で軽く隠していただけの胸を、深月は両腕で隠して背中を丸めた。
そのせいで、寄せられた胸の谷間を杏寿郎が見易くなるとはわからずに。

杏寿郎はじっと深月の胸元を見つめ、その視線に気付いた深月は顔を真っ赤にしてわなわなと震える。
彼女の後ろでは、しのぶが困ったように笑っていた。

「早く出て行ってください!」

先程、杏寿郎の腕に収まっていたときの可愛さはどこへやら。深月は腹から声を出して怒鳴った。





 




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