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第二章  十七


衣服を整え、診察室を出ても、深月の顔はまだ少し赤かった。

気まずそうにしている杏寿郎と深月を見て、しのぶが助け船を出す。

「深月さんは怒ってるわけではないですよね?ちょっと恥ずかしかっただけですよね?」

深月が小さく頷き、困ったような顔で杏寿郎を見上げると、杏寿郎は深月に軽く頭を下げた。

「すまなかった!しかし、初めて見るわけでもないのに……」
「わあああああ!!」

しのぶの前でなんてことを言うんだ、と深月は杏寿郎の口を勢いよく塞いだ。あまりにも勢いがよかったため、平手で打ったときのようにバシンと音がした。

せっかく治まりつつあった深月の頬は、また真っ赤に染まる。
恐る恐るしのぶを振り返れば、いつものように朗らかな笑顔を浮かべていた。

深月は恥ずかしさから冷や汗を流し始め、なんとか弁明せねばと口を開く。

「しのぶさん、これはですね……」
「確か、お二人は恋仲ですよね。でしたら、自然とそういうことにもなるでしょう」

理解のありすぎるしのぶの言葉に、深月は余計恥ずかしくなった。
杏寿郎の口から手を離し、自分の顔を両手で覆う。診察室を出てからのやり取りをなかったことにしたい──否、診察室に杏寿郎が入ってくるのを阻止するところからやり直したい、と溜め息を吐いた。

しのぶは朗らかな笑顔のまま、杏寿郎に深月の怪我について説明する。

手の甲の傷は深くないので、明日煉󠄁獄家に帰る予定はずらさなくていい。その代わり、傷薬を出すので、こまめに塗るように。
少し無茶をしたようで、背中から脇腹の傷が開きかけていたが、こちらも問題はない。しばらく痛みがあるだろうから、無理はさせないように気を付けてほしい、と。

「深月さん。ちゃんと療養してくださいね」
「はい……」

最後に、深月に念を押す。深月は顔を出し、しのぶの目を見て返事をする。

杏寿郎にも伝えたし、深月は目を見て返事をしてくれたし、無理をすることは多分無いだろう、としのぶは安心する。

「定期的に診察にいらしてください。任務に復帰できるかどうかは、その都度お伝えしますから」
「はい。よろしくお願いします。ありがとうございます」
「ありがとうございます!」

深月は深々と頭を下げ、それに合わせて杏寿郎も頭を下げる。

しのぶは、「いえいえ」と返し、目を細めた。
願わくは、目の前の二人がこの先ずっと幸せでいられるように、と思いながら。


*****


翌日。深月は煉獄家に帰るのが待ち遠しくて、朝早くから身支度をしていた。
髪を整え、槇寿郎に仕立ててもらった着物に袖を通す。
それは、偶々だった。千寿郎が持ってきてくれた着替えが、偶々杏寿郎に仕立ててもらったものではなく、槇寿郎に仕立ててもらったものだった。

深月にとっては、どの着物も平等にお気に入りだ。
毎日着ても飽きないが、基本的には隊服か道着で過ごすので、着物に袖を通すのは謹慎中か療養中くらいだが。

丁度着替え終わった頃訪ねてきた人物に、深月は驚愕した。

「槇寿郎様……おはようございます……」

間抜けな声と顔で挨拶をする深月。
槇寿郎は、深月の着物を見てから、険しい顔で病室に入ってくる。

何をしに来たのだろう、何か言わねば、と考えながら、深月は槇寿郎に椅子を差し出す。

「私、本日、帰れることになってまして……杏寿郎さんと千寿郎君が迎えに来てくれると……」
「知っている」

槇寿郎は深月の話を遮り、彼女の肩を押して寝台に座らせてから、自分も椅子に座って腕を組む。
それから、険しい顔のまま何も言わなくなってしまい、深月はどうしたのだろうと首を傾げる。

基本的に、用もないのに槇寿郎が深月に近付くことはない。その用も、腹が減ったとか酒を買ってこいとかばかりだ。あとは説教されるときぐらいだろうか。
実際、槇寿郎は一度も見舞いに来なかったと聞いている。柱は忙しいのだから、と深月は気にもしていなかったが。

深月も槇寿郎のことを尊敬はしているが、さすがに無言で同じ空間に居るのは気まずい。
早く誰か来ないか、と考えていると、漸く槇寿郎が口を開いた。

「例の隊士は、罰としてみずのとまで降格させた。減給処分だ。それから、岩柱の元で鍛え直している」
「そうですか……」

鬼殺隊としては、妥当な処分だろう。
貴重な剣士を辞めさせるわけにはいかないし、かといって今までの待遇を続けるわけにもいかない。
深月は岩柱のことを詳しく知らないが、杏寿郎の教えでさえあれだけ厳しいのだ。柱ともなれば、きっとそれ以上のきつい修行を強いられるのだろう。

でも、彼が罰を受けて嬉しいかと言えば、そうでもなくて、深月は困ったように眉を下げた。

「あんまり嬉しくないものですね」
「お前を喜ばせるための罰ではない」

槇寿郎の厳しい物言いに、深月はくすっと笑った。
それはそうだ。罰はあの隊士を更正させるためのもので、深月のために決めるものではない。

「あの人も、いつか本当に大切にできる相手を見つけられるといいですね」

深月は少し俯いてそう言った。
自分は彼の想いに応えることはできなかったし、彼の想いは歪んでいた。だが、あの隊士だって、きっと命懸けの任務の中で心が壊れつつあったのだろう。
彼がまともに戻って、いつか自分にとっての杏寿郎のような相手を見つけられたら、今度は上手くいくだろう。

しかし、その相手が自分でないことは確かで、深月は顔を上げて笑う。

「まあ、私はあの人嫌いですけどね」

一度できてしまった溝は、なかなか埋まらない。

槇寿郎は一瞬驚いたように目を見開き、しかしすぐに険しい顔に戻って溜め息を吐いた。

「そういうことを、外では言うなよ」
「はい」

さすがに大丈夫ですよ、と深月はにこにこ笑う。
そして、槇寿郎に深々と頭を下げた。

「ありがとうございました。あの日、助けてくださったのは、槇寿郎様ですよね」
「俺は何もしていない。お前があいつの腕を砕いたんだろう」

深月は顔を上げ、槇寿郎を見る。しかし、槇寿郎はそっぽを向いてしまっていた。
それは照れなのか、呆れているのか。わからなかったが、深月は隠の言葉を思い出していた。

『自分達だけでは、雨宮さんを手当てできませんでした。炎柱様が雨宮さんを押さえていてくださったから、止血ができたんです!』
『そのまま、雨宮さんを蝶屋敷まであっという間に運んでくださって……』
『あの隊士も、炎柱様を見た途端すごく大人しくなりました』

やはり、槇寿郎が助けてくれたのだ。
深月はふわりと微笑んで、首を横に振った。

「槇寿郎様が、私を助けてくださったんです。私は隠の皆から、そう聞きました」

槇寿郎は横目で深月を一瞬だけ見て、ふんと鼻を鳴らした。

「勝手に言っていろ」

そして、また黙ってしまう槇寿郎。

深月はとりあえず、自分の怪我の具合について、槇寿郎に報告した。もしかしたら、杏寿郎や千寿郎から聞いていたかもしれないその話を、槇寿郎は最後まで聞いてくれた。





 




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