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第二章 十八
怪我の話も終わり、深月が一方的に蝶屋敷のことを喋り続けていると、急に槇寿郎が立ち上がった。
さすがに鬱陶しかっただろうか、と心配する深月だったが、槇寿郎は険しい表情のままで、別に怒っている様子はない。この顔はいつものことなのだ。
「先に帰る」
ぶっきらぼうにそう言って、槇寿郎は羽織を翻す。
深月は慌ててそれを追い掛ける。あと一つだけ、言い残したことがあった。
「あの、私、しばらく任務に出れません!家事もあまりできません!復帰するまで穀潰しになると思います……でも、復帰したらまたお給金を納めますので……」
まだ煉獄家に置いてください、と言い掛けて、深月は言葉に詰まった。
凄い形相で槇寿郎が振り返ったからだ。
怒っているのだろうか。穀潰しは置いておけないと言われるだろうか。そうなったら、蝶屋敷に置いてもらえるだろうか。
そんなことを考えて、深月の顔から血の気が引いていく。
槇寿郎はずんずんと深月に近付き、彼女の頭を片手で鷲掴みにした。
「追い出したりせん!そんなくだらんことを言う暇があったら大人しく寝ていろ!」
そう怒鳴って、深月を離してから、溜め息を吐く。
「それと、こういう日は杏寿郎の着物を着るべきだろうが」
呆れたように呟いて、槇寿郎は足音も立てずに病室を出ていってしまった。
それから三十秒と経たないうちに、杏寿郎と千寿郎が病室に入ってきた。
「深月、おはよう!」
「お迎えに来ました!」
にこにこと笑いながら顔を出す兄弟は、病室の真ん中で呆然としている深月を見て、首を傾げた。
「何をしているんだ?」
「槇寿郎様が……」
「父上がどうかしたのか?」
杏寿郎は会話しながらも、深月の肩を掴んで寝台まで押していき、座らせる。
深月は呆然としたまま、杏寿郎の手に従う。
不思議そうに見つめてくる杏寿郎と千寿郎を見て、深月は今しがた起こったことを頭の中で整理する。
おそらくだが、槇寿郎が急に帰ると言い出したのは、杏寿郎と千寿郎が来る気配がしたから。深月を見舞っているところを見られたくなかったから。
そういうところは、相変わらず素直じゃない。
しかし、それまでは深月の話を嫌な顔もせず、ずっと聞いていてくれた。
そして、穀潰しになるかもしれない自分を、追い出さないと言ってくれた。くだらない、と。
言葉の意味に理解が追い付くと、なんだか嬉しくなった。
頬を紅潮させる深月に、千寿郎は何かあったのかと尋ねる。
「今日のは、内緒」
ぶっきらぼうな二人目の父との時間は、煉獄兄弟には悪いが宝物のように胸に秘めておこうと、深月は微笑んだ。
*****
槇寿郎は一人帰路に着いていた。
蝶屋敷では危なかった。もう少しで、息子達に見つかるところだった、と安堵の溜め息を吐く。
別に深月を見舞うこと自体は疚しいことではないが、普段あれだけ放っている彼女のことを急に見舞ったと知られるのは、恥ずかしかった。
(元気そうだったな……)
槇寿郎は、ころころと表情を変えてお喋りをする深月を思い出す。
左腕の袖から、骨が突き出ていた傷跡が見えたが、顔色はすっかり良くなっていた。
あの隊士にまた襲われたと聞いたが、怯えた様子もなかった。
楽しそうに、蝶屋敷の少女達の話をしていた。
やはり、剣士になったとはいえ、深月は年頃の娘だ。同性の友人くらい、欲しいだろう。
それが、毎夜毎夜鬼を斬り、関わる相手と言えば、煉獄家の人間、同僚の剣士、隠くらいだ。女性は圧倒的に少ない。
本当は、蝶屋敷に置いていた方が、彼女は幸せなのではないか、と思ったこともある。
しかし、杏寿郎との仲を思えば、今さら他所にやる気にはなれなかった。
だというのに、深月は『穀潰しになるかも』と、余計な心配をして、慌てて槇寿郎を追い掛けてきた。まだ大人しくしていなければいけないのに。
槇寿郎は再度溜め息を吐く。こちらは安堵ではなく、呆れたような溜め息だ。
いくら普段から突き放しているとはいえ、深月が穀潰しになった程度で追い出されると思い至ったことに呆れた。
そんなことで追い出すのであれば、数年前に彼女を引き取ることすら許さなかっただろう。
槇寿郎はふと、ここ数年で杏寿郎と深月が喧嘩していた場面を思い出す。
普段冷静な杏寿郎は声を荒げ、深月も負けずに食って掛かり、ひどいときは組み手にまで発展していた。
投げ飛ばされても、引き倒されても、諦めずに杏寿郎に向かっていく深月は、本気で杏寿郎を倒そうとしていた。
数ヶ月前に問題を起こしたときも、一ヶ月前に大怪我をしたときも、鎹烏から聞いた昨日の事件のときも、深月は勇敢にも戦ったと聞いている。
先輩隊士や姿が確認できない鬼相手にも全力で、日輪刀を振り回す相手には丸腰で。
そこまで考えて、槇寿郎は深く長い溜め息を吐いた。
たまに、息子の女の趣味を疑うときがある。
いくらなんでも勇敢すぎるだろう。あのままでは命がいくつあっても足りない。
あの娘は、あれだけ気が強いを通り越して気性が荒いのに、どうしてああいうところだけしおらしいのか、と。
件の隊士の方が、まだ『怯える』という情緒を持っていた。
昨日、あの隊士は縄でぐるぐる巻きにされて、鬼殺隊本部に連行された。
槇寿郎もその場に呼び出されて、当主と隊士の会話を聞いていた。
あの隊士は、反省しているというより落ち込んでいるようで、槇寿郎は腸が煮えくり返った。
あれだけのことをしていて、微塵も反省しないのか、と。
当主から彼の処遇をどうしたいか聞かれ、槇寿郎は当主の意のままに、と答えた。
その代わり、彼を一発だけ殴った。かつて深月を殴り飛ばした時より、ずっと強い力で。
自分にそんな資格はないと思ったのに、気付けば手が出ていた。
*****
自宅に着いた槇寿郎は、玄関の戸を開ける。
『槇寿郎様!お帰りなさいませ!』
深月の明るい声が、響いた気がした。
彼女はまだ蝶屋敷に居るので、もちろんそれは気のせいだが。
将来煉獄家の嫁になるかもしれない彼女が居ない間、家が随分静かに思えた。
それももう終わりかと思えば、少しだけ頬が緩んだ。
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