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第二章 十九
深月は蝶屋敷を出る前、しのぶやアオイだけでなく、他の少女達からも「大人しくしているように」と散々釘を刺された。
さすがにそこまで言われなくても大丈夫だ、と深月は苦笑したが、蝶屋敷の少女達どころか杏寿郎や千寿郎にすら信じてもらえなかった。
「深月さんが大人しくしているところを見たことありません……」
千寿郎は、どこか申し訳なさそうにそう言った。
申し訳なさそうにするぐらいなら言わないでほしかった、と深月は思ったが、否定もできずに少し落ち込む。
深月は鬼殺隊に入ってから、大小様々な怪我をした。そのどれでも、翌日には任務か稽古を再開し、しのぶや千寿郎に何度も注意されている。
数ヵ月前に謹慎処分を食らった時も、杏寿郎の言い付けを守らず蝶屋敷に通っていた。
これでは、信じてもらえるわけがない。
深月は言い返すことができず、素直に頭を下げる。
「ごめんなさい。今回は、本当に大人しくしてるから!」
その結果、しのぶやアオイ、蝶屋敷の少女達、さらには千寿郎にまで、「本当ですか?」と声を揃えて疑われた。
何も言わなかったのは杏寿郎と、終始にこにこしているカナヲだけだった。
深月が気まずそうな顔をしていると、すみ、なほ、きよの三人が、深月に飛び付いてきた。
彼女達は深月を見上げ、泣きそうな顔で笑う。
「深月さん、元気になってよかったです」
「また遊びに来てくださいね!」
「今度は、お饅頭を一緒に食べましょう」
深月は一瞬驚いたような顔をして、ふっと微笑んだ。
すみ達は、深月の死んだ妹達よりも少し年下だ。千寿郎と年頃が近いので、末の弟くらいだろうか。
それでも、彼女達は弟妹にも負けず劣らず可愛くて、深月は彼女達を纏めて抱き締める。
「すみちゃん、なほちゃん、きよちゃん。ありがとう。皆のおかげで、私は生きてるんだよ」
そう言うと、すみ達の涙腺は決壊した。
深月は彼女達が泣き止むまで、彼女達の背中や頭を撫で続けた。
それを、千寿郎はじっと見つめていた。
しかしすぐに、なんだか胸がもやっとして、目を逸らす。
これはなんだろう、としばらく考えていた千寿郎だったが、深月をすみ達に取られたような気がしたのだ、と気付いて少し赤面する。
煉獄家の子息としてどころか、男子としても情けない、と思った。
そもそも、深月は兄の弟子であり恋人で、自分は直接関係ないではないか、と首を振る。
そんな千寿郎の様子に気付いた杏寿郎は、弟の背中に手を添えた。
千寿郎が驚いて兄を見上げると、杏寿郎は深月の方を向いたまま、珍しく小声で言った。
「案ずるな。深月は、千寿郎を本当の弟のように思っている」
「……はい、ありがとうございます」
兄の言葉に、千寿郎は眉を下げて微笑む。
今さら、誰かに嫉妬することなどなかった。
深月はいつだって、杏寿郎だけでなく、千寿郎のことも思ってくれている。
むしろ、取っ組み合いの喧嘩をする杏寿郎より、大切にされている節がある。
深月はすみ達を離すと、彼女達に改めて礼を言って、彼女達やアオイ、カナヲの頭をそれぞれ撫でた。
すみ達は嬉しそうにしていたが、アオイは恥ずかしそうにしていて、カナヲはきょとんとしていた。
しのぶにも手を伸ばしたが、「私は大丈夫です」と朗らかに断られて、深月は恥ずかしそうに微笑んだ。
「では、失礼します。もう少し、よろしくお願いします」
まだ定期的に傷を診せに来なければならない。
深月は深々とお辞儀をして、煉獄兄弟と共に蝶屋敷を後にした。
*****
久々の煉獄家の前で、深月は立ち止まり、相変わらず立派な門を見上げる。
初めてここに来たときは、この家の荘厳さに圧倒されたが、今では一番落ち着ける場所になった。
大怪我をしたときは、呼吸による止血もままならなくて、正直もう駄目かと思ったが、またここに帰ることが出来た。
それが嬉しくて、深月の頬は自然と緩む。
先に門をくぐった杏寿郎と千寿郎は、立ち止まった深月を不思議に思い、振り返る。
深月は嬉しそうに門を見上げていて、二人もつられて微笑んだ。
「深月」
「深月さん」
名前を呼ばれ、深月は正面を向く。
そこでは、杏寿郎と千寿郎が深月に向かって手を差し伸べていた。
「おかえり、深月!」
「おかえりなさい!」
二人が太陽のように笑うから、深月も満面の笑みを浮かべて、差し伸べられた手を取った。
「只今帰りました!」
杏寿郎の大きな手。千寿郎の少し小さな手。
そのどちらも温かくて、深月は二人の手をぎゅっと握る。
杏寿郎と千寿郎も、彼女の手を握り返す。
もう、深月が遠いところに行かないように、と願いをこめて。
*****
帰宅してから、深月は何もさせてもらえなかった。
稽古はもちろんのこと、食事の支度も、掃除も。
洗濯物を畳むことすら止められ、杏寿郎に叱られた。
「療養中だろう!」
「これくらい大丈夫ですよ!」
「だめだ!」
杏寿郎に奪われた洗濯物を、深月は負けじと取り返すが、またすぐに杏寿郎に奪われる。
深月が不貞腐れて杏寿郎を見上げると、杏寿郎は深月の髪に手を伸ばし、優しく撫でた。
「深月が無理をしないか心配なんだ」
眉を下げて笑う杏寿郎に、深月はぐっと息を詰まらせる。
そんな顔をされては、言うことを聞きたくなってしまう。しかし、やはり過保護だとは思うので、顔を背けてまた別の洗濯物に手を伸ばす。
「洗濯物を畳むのに、無理なんかしませんよ……」
杏寿郎は洗濯物に伸ばされた深月の手首をそっと掴んで制止し、彼女の耳に口を寄せて囁く。
「少しの間でいいから、俺を安心させてくれないか?」
耳にかかる吐息に、甘く優しい声に、深月はぴくっと震えてから硬直する。
ずるい、と思いながら、深月は唇を噛み締めた。
杏寿郎はわかっているのだ。
深月が、乞うように囁く杏寿郎の声に弱い、と。
杏寿郎は、深月が固まったのを確認して、目を閉じてから彼女の頬にすり寄る。囁くように名前を呼べば、触れている手や頬がふるふると震える。
杏寿郎には見えないが、深月は今、耳まで真っ赤だ。
深月は小さく溜め息を吐いてから、体と同じく震える声で答える。
「わかりました……少しだけ、ですね」
「ああ。少しだけでいい」
深月の返答に満足した杏寿郎は、深月から離れる。
そこで、真っ赤になった深月が目に映り、にこっと笑う。
「まだ早いが、湯の準備をしたから、湯浴みしてくるといい。背中を流そうか?」
「結構です!一人で入れます!」
「遠慮するな!」
「遠慮じゃありません!」
深月は真っ赤なまま立ち上がって、杏寿郎と距離を取った。
そのまま自室に行き、着替えを準備してから湯殿に向かう。
途中、千寿郎に会って、買い物に出掛けると聞き、着いていこうとしたが、断られた。
「兄上に怒られちゃいますよ」
そういう断り方をされては、着いていけない。
深月は大人しく千寿郎を見送ってから、再度湯殿に向かった。
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