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第三章 四
蜜璃も交えて遅めの昼餉を摂ることになり、深月と千寿郎は慌てて準備を始めた。
二人とも、杏寿郎からは「出掛けるので昼餉はいらない」と聞いていたし、まさか新しい弟子を連れてくるとは思っていなかったので、深月の帰りを待って一緒に食事を作る約束をしていた。
その為、下拵えぐらいしかしていないし、杏寿郎の分も作るとなれば量がとてつもなく増える。
深月は襷を掛けようとして、はたと気付く。
今、自分が着ている着物は、とても高価な物だと。
料理中に汚さないとも限らない。値段以前に、杏寿郎からもらった物を、汚すわけにはいかない。
「ごめん、千寿郎君。着替えてくる!すぐ戻るから!」
「そうですね。その着物はちょっと……ゆっくりで大丈夫ですよ」
千寿郎に見送られ、深月は足早に自室に戻り、できるだけ急いで道着に着替える。
紅を落とす時間も着物を丁寧に仕舞っている時間もないので、とりあえず着物は衣紋掛けに通し、紅はそのままで襷を掛けながら台所に戻る。
その途中、杏寿郎と蜜璃に遭遇し、深月は笑顔で蜜璃に話し掛ける。
「急いでご飯を作るから、少し待っててね。嫌いなものはない?」
「いいえ!ありがとう!」
でも私までいいのかしら、と眉を下げる蜜璃。
深月は蜜璃の頭を撫で、いいの、と答える。それから、杏寿郎にも笑い掛ける。
「すみません、お食事の用意を急ぎますね。失礼します」
そう言い残して去ってしまう深月の背中を、杏寿郎は蜜璃に声を掛けられるまで眺めていた。
*****
食事が始まり、深月と千寿郎は頭を悩ませた。
「うまい!うまい!」と食事を口に運ぶ杏寿郎。
「美味しい美味しい」と次々に皿を空にしていく蜜璃。
二人の食べっぷりが良すぎて、作った食事はもうなくなりそうだ。
杏寿郎だけなら予想はついたが、まさか細身の蜜璃まで杏寿郎のように──いや、杏寿郎以上に食べっぷりが良いとは思わなかった。
追加で何か作るか、と考え、深月は自分の皿を杏寿郎に差し出した。
「よければこちらもどうぞ。手を付けてないので」
「ありがとう!だが、深月が食べる分がなくなるだろう?」
「私はあまりお腹が空いていないので、後で別の物を頂きます。あと、他にも何かお作りしますね」
深月は微笑み、台所に下がろうとする。
その際、箸を止め、真っ青な顔をしている蜜璃と目が合う。
蜜璃は、軽く頭を下げる。
「ご、ごめんなさい……私が食べすぎちゃったから……」
それを見て、深月は蜜璃の側に寄り、彼女の顔を覗きこんで、優しく微笑んだ。
「『美味しい』って言ってくれて、たくさん食べてくれて嬉しい。遠慮しないでもっとたくさん食べてね」
「深月ちゃん……!」
蜜璃は嬉しそうに笑ってから、顔を上げる。
その愛らしい笑顔に、深月の笑みは深くなる。
やはり、一つとはいえ年下の女の子は可愛いものだ。
深月は蜜璃の頭を一撫でしてから、今度こそ台所へ下がっていく。
それを千寿郎が「俺も手伝います」と追っていった。
杏寿郎はちらりと蜜璃の方を見る。
彼女は、深月に撫でられた部分に片手で触れ、うっとりした表情で深月が去った方向を見つめていた。
深月を慕う人間が増えるのは嬉しいが、いつか誰かに取られるのではないかと、杏寿郎は内心少し焦る。
しかしその焦りは表に出さず、深月にもらったおかずに手を付けた。
*****
深月と千寿郎が食事の後片付けを始めると、杏寿郎と蜜璃もそれを手伝った。
その最中に、蜜璃は深月に話し掛ける。
「深月ちゃんっ!もしかして、お見合いに行ってたの?」
友達と恋の話をする気分だったのだろう。蜜璃は頬を染め、明るい笑顔だった。
一方、深月はギシッと固まり、持っていた皿を落としそうになる。幸い、皿は落ちなかったが、深月は目を泳がせる。
「えっと、その……」
「違ったかしら?お洒落してたから、そうなのかなあって思っただけなの」
蜜璃は恥ずかしそうに眉を下げる。
深月は顔を青ざめさせながら、恐る恐る後ろを振り向いた。
そして、ひゅっと息を詰まらせた。
「見合いに行っていたのか?」
彼女達の後ろに居た杏寿郎が、低い声で尋ねる。
深月は冷や汗を流し、彼の隣の千寿郎を見る。
千寿郎は気まずそうに目を逸らした。諦めろ、と言わんばかりに。
隣の兄から溢れる怒気をどうにかできると思えなかった。
深月は皿を洗い場に置き、脱兎のごとく逃げ出した。
間髪入れず、杏寿郎がそれを無言で追い掛ける。
「えっ?えっ?」
急に始まった追いかけっこに、蜜璃は困惑する。
千寿郎は、困ったように笑いながら、後片付けを再開した。
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