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第一章  七


「すまん……」

杏寿郎は、初めて見せる真っ青な顔で、深月に詫びた。

杏寿郎曰く、槇寿郎に深月のことを話したとき、「連れてきてもいいが、鍛錬の成果が出なければ、いずれ杏寿郎の嫁にする」という条件を提示されたという。
杏寿郎は、嫁うんぬんはともかく、深月なら成し遂げるだろうと、鍛錬の成果が出ればいいのだろうと、解釈したらしい。
しかし、槇寿郎としては、どうせ鍛錬の成果など出ないのだから、さっさと嫁にしてしまえという解釈だったらしい。

深月は、気の早い父子だなあ、と心の中で思う。父子二人とも、条件の解釈が過程をすっ飛ばしている。
そもそも、杏寿郎も深月も今すぐ結婚するような年齢ではない。

「えっと……とりあえず、お世話になる以上、雑用するのは構いませんので」

事情を聞けば杏寿郎が悪いとも思えず、かと言って蝶屋敷に戻るわけにもいかず。しかも、この煉󠄁獄家以外で鬼殺を学べる場所もすぐには思い浮かばない。
深月は杏寿郎に「気にしないでください」と声を掛ける。

「あ、そうだ!弟さんは?どこにいるんですか?」

先日から、気を遣うことを覚えた──いや、思い出した深月は、きょろきょろと辺りを見回す。

深月は本来、気の利く、良いとこのお嬢様だったのだ。それが、家族を惨殺され、随分荒れていたが、落ち着きつつある。まあ、もともと気性が荒いところもあったが。

杏寿郎は気を取り直し、弟が居るであろう庭へ足を進めた。


*****


広い庭に着くと、小柄な少年が木刀を振っていた。

槇寿郎もそうだったが、その少年も、杏寿郎と同じ燃えるような髪色をしていた。
深月は「血筋であんな髪になるのかなあ」と思いつつ、その少年が杏寿郎の弟だと察する。

「千寿郎!」

杏寿郎が声を掛けると、少年は木刀を振るのを止め、こちらを振り向いた。

(表情は全然違う……)

少年──千寿郎の顔を見て、深月はそう思った。

毛色や顔立ちは父子三人そっくりなのに、表情は全くと言っていい程似ていなかった。

杏寿郎は基本的に笑顔を絶やさないし、槇寿郎は常に怒っているような表情だった。千寿郎は気の弱そうな表情をしている。

千寿郎は小走りで、杏寿郎と深月の元へやって来た。

「兄上!その方が……?」
「うむ!深月だ!深月、弟の千寿郎だ!」
「初めまして、千寿郎君。雨宮深月と申します。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたします。姉上!」

ああ、ここでも間違った情報が伝わっている。深月はできるだけ優しく否定しようとしたが、声を出すことができなかった。

千寿郎の年頃が末の弟と近く、姿が被ったのだ。弟も、深月のことを「姉上」と呼んでいた。

弟の亡骸が食べられる光景が浮かび、その音が聞こえてくる。

声だけでなく、呼吸すらままならないと気付いた頃には、深月は地面に座り込み手をついていた。

「深月!?」
「どうされたんですか!?すごい汗です!」

兄弟が焦った様子で、それぞれ声を掛けてくるが、深月は答えることができない。

「お水を持ってきます!」

千寿郎は、木刀を縁側に立て掛け、井戸へと走っていく。
杏寿郎は深月を抱えあげ、縁側に寝かせる。
まだ、深月の呼吸は整わない。うまく酸素を取り込めないようで、胸の前で強く拳を握り締めている。
その拳に片手を添え、杏寿郎は何かを決意したように、深月の瞳を見つめる。

「深月……あとで殴っていいから」

そう言って、杏寿郎は深月の口を自分の口で塞いだ。
そして、そっと息を吹き込む。

呼吸法を会得している杏寿郎と違って、深月の肺は鍛えられていない。杏寿郎は、息を吹き込む際、彼女の肺を傷付けないよう最大限の注意を払う。

口を離して、深月の様子を確認するが、まだ呼吸が整っていないようだ。
杏寿郎は再度、深月に口付けて息を吹き込む。

手を添えている深月の拳が少し震えていたが、彼女の呼吸が整うまで、杏寿郎はそれを何度か繰り返した。


*****


深月の呼吸が落ち着いた頃、千寿郎が水を汲んできた。

起き上がれるようになった深月はそれを受け取り、少しずつ飲む。

「すみません。早速ご迷惑をお掛けして……」
「いえ。大丈夫ですか?」
「はい……あの、千寿郎君、私は嫁ぎに来たのではないんです」

また「姉上」と呼ばれ、呼吸困難を起こすわけにはいかないので、深月は千寿郎に事情を説明する。
嫁ぎに来たのではなく、鬼殺の剣士になるために来たのだと。それも槇寿郎に許しをもらえず、しばらくは雑用をする旨も伝えておく。

「そうだったんですね!すみません、俺、てっきり……」
「大丈夫ですよ。お兄様以外、ほぼ全員勘違いされてましたし」

千寿郎は、顔を真っ赤にして、俯いていた。勘違いが恥ずかしかったようだ。

「ところで、兄上は一体どうされたのでしょう?」

千寿郎は顔を赤らめたまま、一心不乱に木刀を振っている兄の方を見る。
先ほど始めたばかりなのに、その回数は百を超えようとしていた。

「お兄様は……えっと、どうしましょうかねえ」

首を傾げる千寿郎を残して、深月は気まずそうな顔で杏寿郎に近付いていく。

彼に後ろから声をかけると、木刀を握りしめたまま硬直した。








 




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