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第三章  九


翌日。任務が長引いた深月は、昼前に漸く帰り着いた。

「ただいまかえりましたあ」

へろへろの情けない声を出し、玄関に入る直前で倒れこむ。
それを見つけた千寿郎は、慌てて深月に声を掛ける。

「深月さん、湯浴みされてください!どろどろじゃないですか!」
「お腹空いた……」
「お食事も湯浴みの後です!」
「はい……」

深月はなんとか起き上がる。

今回の鬼は厄介だった。
謎の粘液を出すし、気色悪いし、粘液の効果なのか透明にもなって、斬るのに一苦労だった。
その上、周辺の村の子供を結構な数拐っていたので、彼らを親元に返すのは大変だった。
その作業は途中で隠に任せてきてしまったが、深月が担当した最後の一人が、なかなかやんちゃな子だった。

親元に帰れるとわかった途端大はしゃぎ。
大はしゃぎついでに沼に落ちた。

その子を助けるため、深月も沼に飛び込んだので、どろどろになった。
咄嗟の判断で、日輪刀だけは近くの隠に預けたが、羽織も隊服ももう着れないだろうし、暗器は洗浄して毒を塗り直さなければいけない。

これは今夜も任務があったら間に合わないかもしれない、と深月は溜め息を吐く。

そのまま玄関に入ろうとすれば、千寿郎から申し訳無さそうに止められた。

「すみません。先に井戸で泥を落としてきてください」
「はーい……」

確かに、このまま家に上がったら、廊下が大変なことになる、と深月は庭経由で井戸に向かった。


*****


「深月!?」
「きゃああ!深月ちゃん、どうしたの!?」

深月が庭を通りすぎる際、稽古中の杏寿郎と蜜璃は彼女を見つけ、焦った様子で駆け寄ってきた。

全身どろどろで、足元も覚束無い彼女を見れば、無理もない。

肩を貸そうとしてくれる二人を、深月は手で制した。

「だめです。汚れちゃいます。井戸で泥を落としたら、湯浴みするので」

力なく言って、深月は重い足取りで井戸に向かう。

井戸には辿り着いたものの、水を汲む元気もなく、深月は立ち尽くした。

泥を落とさねば家に入れない。家には入れなければ湯浴みができない。湯浴みができなければ食事ができない。

朦朧とする頭でぐるぐると同じ事を考える。しかし手は動かない。

深月がしばらく立ち尽くしていると、杏寿郎と蜜璃が様子を見に来た。心配してくれたのだろう。

立ち尽くす深月を見て、蜜璃は井戸に駆け寄り、水を汲み始めた。

「深月ちゃん、疲れてるのね!私に任せて!このまま掛けちゃっていいのかしら?」
「お願い」

深月が頷くと、蜜璃は汲んだ水を彼女の頭から勢いよく掛けた。
泥がなかなか落ちないので、何回か繰り返した。

ある程度泥が落ちると、深月は蜜璃にお礼を言って、湯殿に向かった。

その後ろ姿にいつもの元気はなく、心配にはなったが、杏寿郎は稽古を再開するよう蜜璃に言った。

蜜璃もそれに従い、しばらく稽古を続けていたが、やはりどうしても深月が心配になった。

「あのう、師範!深月ちゃんは大丈夫でしょうか!」

蜜璃にとって、あそこまで元気がない深月は初めてだった。

杏寿郎も、口元に手を当てて思案する。
少しばかり任務が大変で長引いた程度で、深月があそこまで疲弊するとは思えない。もしかしたら、体調が優れないのかもしれない。

「うむ!甘露寺、様子を見に行ってやってくれ!それと、着替えも持っていってもらえるか!」

深月は湯殿に直行していたので、きっと着替えを持っていっていないだろう。
あれだけ疲弊した状態で、一人湯浴みをしている、というのも心配だった。

自分が見に行ってもいいが、きっと深月は怒るだろう。
同性の蜜璃の方が適任だ、と杏寿郎は考えた。

「はいっ!」

蜜璃の力一杯の返事を聞いてから、杏寿郎は彼女を深月の部屋へ案内した。

この時、杏寿郎は深月の傷跡のことをすっかり忘れていた。いや、正確には忘れてはいなかったが、特に問題だと思っていなかった。


*****


深月の部屋で着替えを用意した蜜璃は、そっと湯殿の戸を叩く。

深月の部屋にあった着替えは、主に隊服か道着で、それ以外は高価な着物と寝間着だった。
杏寿郎と相談の上、湯浴みや食事後にすぐ眠れるように、と着替えは寝間着にした。

「深月ちゃん。大丈夫?」

返事はなかった。
もう上がってしまったのだろうか、と蜜璃は首を傾げる。

しかし、脱衣所には深月の羽織も隊服もあるし、日輪刀も暗器もある。
他のものならまだしも、日輪刀だけは置いていかないのではないだろうか。

そう考え、蜜璃は少し声量を大きくし、再度湯殿の戸を叩いた。

「深月ちゃん!深月ちゃん、大丈夫?」

やはり、返事はなかった。

蜜璃は持ってきた着替えを脱衣所に置き、恐る恐る湯殿の戸を開ける。
そこに、深月の姿はなかった。

桶も椅子も床も濡れていて、湯気が立ち込めている。着替えや日輪刀のこともあるし、深月が湯浴みしたのは確かだ。
ふと湯船を見ると、縁に手拭いが掛かっていた。

その不自然な掛かり方に、まさかと思い、蜜璃は湯殿に飛び込む。

湯船を覗けば、深月が沈みかけていた。

「深月ちゃんっ!!」

蜜璃は深月の脇の下の手を入れ、勢いよく引き上げる。

蜜璃にとって深月はとても軽く、腕の力だけで充分すぎるほどだった。
そのため、二人の間に少しの距離ができ、深月の背中が蜜璃の視界に入ってきた。

その痛々しい傷跡に、蜜璃は息を呑んだ。





 




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