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第三章 十九
母子が今にも狼に食べられそうになり、深月と蜜璃はその狼どもを斬り払った。
蜜璃も狼を斬ったことに、深月は嬉しそうに微笑む。
見たところ、炎の呼吸ではなさそうだったが、異能とはいえ上位の鬼の一部を斬れたことは喜ばしいことだった。
蜜璃は、自分でもどうやって斬れたのかわからず、日輪刀を見つめる。
心臓は早鐘を打ち、体は震えていた。
そこで狼の遠吠えが響き、狼の大群が押し寄せてくる。
二方向からやってくるそれらの片方に、深月は足を進める。
「蜜璃ちゃん、そっちは任せるわ。出来るよね」
「えっ……」
蜜璃は不安そうな顔で、深月の背中と狼の大群を交互に見る。
まだ体は震えていて、汗も止まらないが、先程の杏寿郎と深月の背中を思い出す。
少しも怯むことなく、鬼に立ち向かう彼らは、格好良かった。
「……ボク!よくお母さんについてたね!えらいぞ!」
蜜璃は、キッと狼どもを睨み付ける。
「待っててね。あの悪いワンちゃん、お姉ちゃん達が追い払うからね」
そう言って、爆弾を抱えたまま駆け出す蜜璃。
それと同時に、深月も彼女とは逆方向に跳躍する。
蜜璃は爆弾を高く投げ上げ、刀をしっかり握って狼の群れに向かう。
その最中、杏寿郎の教えを思い出していた。
今まで、ただ腕の力任せに刀を叩き付けるだけだった。
杏寿郎は、刀は全身で振るうものだと言っていたのに。
しかし、今ならその教えの意味を理解できる。
蜜璃は落ちてきた爆弾を受け止め、また投げ上げてから、向かってくる狼どもに向き直る。
そして、昼間煉獄家に出向いたときのことを思い出す。
(実はあの時相談しようと思ってたんです。私、鬼殺隊に向いてないんじゃないかって)
しかし、杏寿郎も深月も、一度だって蜜璃を貶したことはなかった。
むしろ、褒めてくれるばかりで、膂力も髪色も食事の量も、全て受け入れてくれた。
蜜璃はずっと、素敵な男性を探すことと同じくらい、自分らしくいられる場所を探していたのだ、と思い出す。
(燃えるような恋心を剣に!)
蜜璃は体の柔らかさと膂力を生かし、狼どもを斬り伏せる。
それは、炎の呼吸の剣技ではなかった。
しかし初めて、杏寿郎の教え通りに刀を振るうことができた。
勢い余って転げ、地面を滑るが、落ちてくる爆弾は、何とか足で受け止める。
戦闘で息は切れ、頬は紅潮していたが、やっと見つけた自分の呼吸に興奮する蜜璃。
既に狼を斬っていた深月は、母子の側に駆け寄る。
もう暗器は今ので使いきってしまった。
蜜璃も慌てて母子に駆け寄り、怪我がないか尋ねる。
どうやら、どちらも無事のようで、深月と蜜璃は安堵の溜め息を吐いた。
蜜璃をじっと見つめる男の子の視線に気付き、深月はふっと笑って彼女の三つ編みを摘まんで軽く振る。
「綺麗な色だよね。私は好きだなあ、この色」
蜜璃は目頭が熱くなるのを堪え、にっと笑う。
「……さっきは言いそびれちゃったけど、私、桜餅が好きでね。いっぱい食べ過ぎちゃってこんな髪色になっちゃったの。ふふ……変てこだよね」
そして、男の子を安心させるように、じき隠が来ると説明する。
深月はすっと立ち上がり、踵を返す。
「じゃあ、私は先に行くね。蜜璃ちゃん、もう一人で大丈夫だよね?」
深月が微笑んで尋ねると、蜜璃は明るい笑顔で頷いた。
「うん!……お姉ちゃん達、やらなきゃならないことがあるから、もう行くね!」
蜜璃がそう言う頃には、深月の姿は既に無かった。
蜜璃も立ち上がり、母子に笑顔で手を振ってその場を去る。
彼女の背中が見えなくなる前に、男の子が口を開いた。
「ありがとう」
蜜璃は一瞬目を見開き、後ろを振り返る。
男の子は母親にも礼を言うよう促し、二人は何度も蜜璃の背中に向かって礼を言った。
それを聞いた蜜璃の目に涙が浮かぶ。
認められた。認めてもらえた。
嬉しくて溢れる涙を拭い、蜜璃は前を向いて走り出した。
*****
蜜璃と別れた後、深月は何度か狼に遭遇した。
もう暗器も毒もなかったので、使える武器は日輪刀だけだった。
槇寿郎や杏寿郎どころか、蜜璃ほどの膂力も持ち合わせていない深月にとって、毒無しでの戦闘は厳しかった。
何度か噛まれ、ふくらはぎや二の腕から血が滴るのを、隊服や靴下を破り、その布で縛って無理矢理止血する。
狼はなんとか倒したが、怪我人がまだ居る。
貴重な医療道具を、自分のために使うわけにはいかなかった。
また傷が増えた。疲労は溜まっているし、あちこち痛む。市民を庇いながらの戦闘も骨が折れる。
正直、少し挫けそうだった。
すぐ近くに泣いている子供が居る。その子の側には、怪我をした女性が居る。おそらく、母親だろう。
深月は日輪刀を鞘に戻し、目を閉じる。
そして、杏寿郎のことを思い出す。
最後に見た杏寿郎は、血を流し、既にぼろぼろだった。
それでも、一人で鬼と対峙している。狼が消えていない以上、きっと今も戦闘中だ。
彼があんなに頑張っているのに、こんなところで挫けている場合ではない。
深月は深呼吸してから目を開け、周囲を警戒しつつ、怪我人の救助や爆弾の解除に奔走した。
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