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第三章 二三
数週間ぶりの煉獄家の門前で、深月は少し後込みする。
千寿郎はきっと心配してくれているだろうし、槇寿郎は怒っているかもしれない。
家事も千寿郎に全て押し付けた形になってしまって、今更だが合わせる顔がない。
不安そうな顔の深月を見て、杏寿郎はふっと笑う。
「大丈夫だ。父上も千寿郎も怒ってなどいない。ほら、帰るぞ」
深月の手を引いて、半ば無理矢理門をくぐらせる。
そして、槇寿郎の元でも千寿郎の元でもなく、深月の部屋に向かう。
「あの、杏寿郎さん?槇寿郎様や千寿郎君のところに行かなくていいんですか?」
杏寿郎が、明らかに自分の部屋に続く廊下を進むので、深月は困惑する。
悪いのは自分自身だが、家出紛いのことをしたので、先に二人に謝罪しに行った方がいいのではないか、と焦る。
しかし、杏寿郎は歩みを止めず、ぐいぐい深月の腕を引く。
深月の部屋の前に着くと漸く止まり、深月を振り返る。
「開けてごらん」
「えっ……はい」
自分の部屋なのに杏寿郎に促され、深月は困惑しながら障子を開ける。
部屋に入って、すぐ息を呑んだ。
「杏寿郎さん、これって……」
部屋の中のあるものを見つめたまま、深月は杏寿郎に声を掛ける。
杏寿郎は照れたように笑い、深月の背中に手を添える。
「深月への贈り物だ」
部屋の隅に掛かった、見覚えのない着物。
その手前に小さな飾り机があり、その上には箱に入った簪と紅。どちらも箱の蓋は脇に置いてあって、見ればすぐ中身がわかるようにしてあった。
三つとも、決して安いものではないだろう。
着物に至っては、昔杏寿郎が仕立ててくれた物の数枚分に相当するのではないだろうか。
総額を考えると目眩を起こしそうだったが、どれも自分が好む色や柄、飾りで、深月は頬を紅潮させる。
しかし、何故今になってこんなものを、と疑問に思い、杏寿郎を振り返る。
「あの、でも、どうして……?」
「以前、任務を共にした隊士に聞いたんだ」
その隊士が、恋人に着物と簪を送ったこと。
それには、求婚の意味があったこと。
女性は、そういう表現が好きなのだ、と聞いたこと。
それらを説明して、杏寿郎は深月の手を握る。
「品物を選ぶとき、柄にもなく悩んでしまった。気に入ってくれるといいのだが……」
「気に入りました!嬉しいです!」
これらに求婚の意味があることは知らなかったが、杏寿郎が自分のために悩んでまで選んでくれた、という事実が嬉しくて、深月は間髪入れずに答える。
杏寿郎は微笑んで、だったら、と口を開く。
「俺と結婚してくれるか?」
「えっ……いや、それは……」
贈り物が嬉しいのと、自分が杏寿郎に相応しいかは別の話だ。
深月が目を泳がせると、杏寿郎は小さく溜め息を吐き、その場に正座した。
そして、すぐ側を指差し、深月も座るよう促す。
深月は恐る恐る杏寿郎が指示した場所に正座する。
「さて、話をしよう。まず聞きたいのだが、深月は俺との結婚が嫌なのか?」
「嫌ではないです。むしろ、嬉しいです……」
「じゃあ、どうして拒むんだ?」
空気がぴりっと張りつめたような気がして、深月は冷や汗を流す。
藤の花の家でもそうだったが、いっそ怒鳴ってくれ、という気分になる。
杏寿郎は怒っているわけではないが、少し苛ついていた。
深月は結婚を嫌がっていない。贈り物も、高いからといって怒らず、喜んでくれた。突き返す気配もない。
では、何がそんなに深月を悩ませるのか。
何だかんだで見当はついている。おそらく、家柄や世間体、傷跡などを気にしているのだろう。
しかし、ちゃんと深月の口から聞きたかった。そして、それらを全て解決して、深月を安心させたかった。
杏寿郎はじっと深月を見つめて、返答を待つ。
深月は観念して、口を開く。
「私は家柄が良くないので。杏寿郎さん、ご自分が名門一族のご長男だって自覚あります?」
「ある!しかし、それと深月とは関係ない!」
「あ、ありますよ!何言ってるんですか!」
あまりにもはっきりと言われ、深月は焦る。
大いに関係あるだろう、と。
名門の長男が、結婚相手の家柄を気にしなくてどうする。
杏寿郎の妻になる者は、それ相応の格が求められるだろうし、いずれ跡取りも産まねばならない。
しかし、深月は月のものが不順だ。妊娠調節なんかしたことないのに、杏寿郎の子を身籠ったことがない。もう何年も肌を合わせているのに、だ。
しかも、身体には大小様々な傷がいくつもあって、もし傷物を娶ったなんて噂が流れたら、世間体も良くない。
槇寿郎だって、煉獄家の将来のことを考えれば、結婚など許すはずがない。
そんなことを一気に捲し立てて、深月は少し息を切らしながら俯く。
杏寿郎はそれを黙って聞いていた。
最初から最後まで、ちゃんと頷きながら聞いていた。
そして、一言。
「うむ!全く問題ないな!」
「どうしてそうなるの……!?」
わけがわからない、と深月は畳に突っ伏した。
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