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緑の鈴を貴女に願う 一 五歳
その夜、深月は油断していたわけでもなく、普段通り、真剣に任務に臨んだ。
鬼の首を斬り落とす直前に、鬼が血鬼術らしき煙を放った。
それは、深月にとって決して避けられないものではなかった。
しかし、彼女は背後の仲間に気付く。
階級が低く、震えながら立ち尽くしている仲間に。
深月の脳裏に、かつての光景が浮かぶ。
先輩隊士に嵌められ、囮にされた隠を庇ったときの光景だ。
あの時の隠と同じように、その仲間の顔は恐怖に染まっていて、深月は仲間を突き飛ばした。
そのせいで避けることが叶わず、深月は煙に包まれていく。
薄れ行く意識の中、仲間を抱えて逃げればよかったかも、と深月は自分の判断間違いを後悔した。
*****
血鬼術によって、ありえない姿へと変わってしまった深月を見て、杏寿郎は硬直する。
ここは蝶屋敷で、深月は寝台の上にちょこんと座り、布団にくるまって顔だけ出し、不安そうに周囲を眺めている。
その姿は、五歳くらいの幼女だった。
「胡蝶、深月は一体どうしたんだ!?」
杏寿郎は、しのぶの方を振り向き説明を求める。
しのぶはいつも通りの朗らかな笑顔で、深月に何が起こったのか説明を始める。
「見ての通り、深月さんは血鬼術により、幼児化されてらっしゃいます。私も隠の方や鎹烏から聞いたのですが……」
その鬼は、深月に首を斬られる直前に血鬼術らしき煙を放った。深月は付近の仲間を庇い、それを一身に浴びた。
鬼が灰となって崩れていくと同時に、深月の体もどんどん縮まっていき、隠は深月が溶かされていると思い、焦りに焦ったらしい。
しかし、深月の収縮は途中で止まり、彼女は幼女になってしまった。
年齢とともに記憶も退行しているようで、彼女は鬼殺隊はおろか、鬼のことすらわかっていない。
隠は錯乱状態で、深月を蝶屋敷まで連れてきたのだった。
ここまでが、昨夜から今朝にかけての話だ。
「鬼はもういないですし、薬を飲んで、日の光を浴びれば、そのうち戻るでしょう」
そこまで言って、しのぶは困ったように眉を下げる。
「ただ、深月さんにとっては、突然知らない人から知らないところに連れて来られた、という状況なので、警戒してしまっているんですよ」
彼女の視線の先には、いつの間にか完全に布団に入り込んでしまった深月が居る。
杏寿郎は「なるほど!」と返事をしたものの、心中では動揺していた。
深月の年齢よりも、記憶が退行している方が問題だ。
今の深月は、杏寿郎のことを覚えていない。
それも衝撃だったが、あの惨劇の夜を覚えていないことがより衝撃だった。
血鬼術が解けると、深月はこれから、あの夜のことを思い出すだろう。また、あの惨劇を体験するのだろう。
それが、とても心配で不安になった。
杏寿郎は、深月が入っている布団に手を伸ばす。
とりあえず、出てきてもらわねば、食事も与えられない。
「深月、出ておいで。腹は減ってないか?」
優しく声を掛けると、もそもそと深月が布団から顔を出し、首を傾げた。
「おにいさん、なんでわたしのなまえをしってるの?」
その小動物のような愛くるしさに、杏寿郎は言葉を詰まらせる。
彼やしのぶの後ろでは、蝶屋敷の少女──すみ、なほ、きよの三人が、かわいいかわいい、とそれぞれはしゃいでいる。
返事をしない杏寿郎を不思議に思い、深月が布団から出てくる。子供用の着物を纏った彼女がとても愛らしく、杏寿郎は思わず彼女の頭を撫でる。
それに驚いた深月は肩を跳ねさせ、寝台の向こう側に降りて隠れてしまう。
「すまん!驚かせたな!」
「……おにいさん、だあれ?」
深月は寝台の縁から少しだけ顔を出し、警戒心丸出しの表情で杏寿郎に尋ねる。
杏寿郎は深月と目線を合わせるように屈んで、寝台越しに太陽のような笑顔を向ける。
「俺は煉󠄁獄杏寿郎だ!」
「きょうじゅろう?」
「……っ、ああ!」
子供特有の高く愛らしい声で名前を呼ばれ、杏寿郎は一瞬言葉に詰まったが、なんとか平静を取り戻して返事をした。
深月はまた首を傾げ、頭の中で目の前の青年の名前を繰り返す。
れんごくきょうじゅろう。れんごく、きょうじゅろう。
なんとなく馴染みのある名前に思えるが、聞いたことはない。知らない人だ。その知らない人が自分の名前を知っていて、笑いかけてくる。
他にも、知らない女性や頭巾を被った怪しい集団も居る。
もしかして、人拐いだろうか、と深月は眉を下げる。
「うちはびんぼうなので、おかねはもらえません!わたしをうっても、もうけはありません!だれにもいわないので、おうちにかえしてください!」
泣きそうな顔で、深月は精一杯叫んだ。何かあればこう言えと、両親に言われていたからだ。
その言葉に少なからず傷付いた杏寿郎は、悲しそうに眉を下げる。
婚約者にまでなったのに、忘れられた上、人拐いと思われてしまった。
これはかなりきついだろう、と察したしのぶが「大丈夫ですか」と尋ねると、杏寿郎は「大丈夫だ!」と何もないところを見ながら答える。
寝台の向こう側で震える深月を見て、杏寿郎は安心させるように優しく微笑んだ。
「俺は……俺達は、悪い人ではない。君を拐ったわけでもない。ただ、事情があって、君は今家に帰れない。わかるまでちゃんと説明をするから、こっちに来てくれないか?」
深月はその声音と笑顔に、何故かとても安心して、寝台によじ登って反対側まで移動した。
両手を杏寿郎に伸ばせば、彼は嬉しそうな笑顔で抱き上げてくれる。
「信じてくれてありがとう」
柔らかく微笑む杏寿郎。
彼につられて、深月も小さく笑った。
「では、お菓子でも食べながらお話しましょうか」
しのぶが朗らかに言うと、すみ達三人が、「お饅頭を持ってきます」と病室を出ていった。
その後、深月に餌付けをしながら──もとい、お菓子を与えながら、杏寿郎やしのぶは事情を説明した。
鬼がいることや血鬼術のこと、今の深月のことなど。
家族の惨劇については、さすがに伏せた。
深月には、杏寿郎やしのぶが嘘を吐いているように見えなかったし、心のどこかでそれを知っている気がした。
そして何より、家に帰っても家族には会えない、という漠然とした恐怖があった。理由はわからないが、家族はもうどこにも居ないのだ、と思った。
とりあえず深月はそれらの話を信じることにした。
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