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緑の鈴を貴女に願う 三 十一歳
「今日は十一歳くらいでしょうか。順調ですね」
しのぶは、深月を安心させるために、優しい声音で告げる。
深月はというと、昨日までより困惑が顔に出ていた。
現状を受け入れ難くなってきたのだろう。
幼い方が深く考えずに済んだので、現状を信じやすかったし、受け入れやすかった。
体に伴って成長した深月の精神では、現状を信じ難いし受け入れ難い。
こんなことが現実に有り得るか、という疑問が強く浮かんでしまう。
しかし、彼女の脳内には、幼児化してからの記憶があり、『自分は本当はもう大人で、今は若返ってしまっている』ということは事実だ。
こんなに受け入れ難いのに、現実に起こっていることなんて。
深月は困惑しつつも、しのぶに尋ねる。
「私、本当は何歳なんでしょうか?」
「十八歳ですよ。このまま行けば、あと三、四日程度で戻れるでしょう」
あと数日の辛抱です、としのぶは笑顔のまま続ける。
それを聞いても、深月の表情は晴れない。
自分は、本当なら十八歳。
ここ数日の記憶があるのに、どうしても信じられない。このままだと、気が狂いそうだ。
まだ幼さを残す深月の顔は、これ以上無いくらい強張っていた。
昨日までは明るく笑っていたのに、としのぶは困ったように笑う。
強張ったままの顔でしのぶを見つめ、深月は恐る恐る口を開いた。
「あの、何か私にできる仕事はありませんか?」
*****
本日も、杏寿郎は深月の見舞いのため、蝶屋敷へと訪れる。
しかし、彼女は診察室にも病室にも居なかった。
深月が居たはずの病室で杏寿郎が首を傾げていると、後ろから声を掛けられた。
「深月さんなら庭ですよ」
杏寿郎は振り返って、少し下を見る。
彼の胸の位置くらいの高さから、しのぶが見上げてきていた。
「今日は十一歳くらいのようです」
しのぶは眉を下げつつ、深月の様子を伝える。
精神の成長により、現状に困惑していた、と。
それを聞いて、杏寿郎は「むう」と考え込む。
深月が順調に戻っていることは喜ばしいが、困惑して元気をなくしているのは可哀想だ。
気晴らしになるかわからないが、菓子でも買ってこようか、と杏寿郎が考えていると、どこからかはしゃぐ声が聞こえてきた。
杏寿郎としのぶは、声が聞こえる方へ足を進める。
そこは庭で、アオイ、なほ、きよ、すみの四人と深月が洗濯物を干していた。
アオイ達にとって炊事洗濯は日課のようなものだが、深月はもちろん違う。
何もしないでいると気が狂いそうだったので、アオイ達の手伝いをさせてもらっているのだ。
幼少期に家事を叩き込まれているので、手伝いくらい造作もない。
十一歳の深月にとって、アオイは少し年上で、なほ達三人は同年代だ。
どうやら波長が合うらしく、楽しそうにはしゃいでいる深月となほ達を、アオイが眉を吊り上げて注意している。
注意された深月達は、声を抑えてできるだけ静かに洗濯物を干す。
しかし、時折くすくすと抑えきれない笑い声を漏らす。
元気になった深月を見て、しのぶは安心したように笑い、彼女達を労うべく声を掛ける。
しのぶに気付いた少女達は、嬉しそうに彼女を取り囲み、にこにこと彼女に話し掛ける。
深月も恐る恐るといった様子ではあるが、その輪に加わる。それに気付いたしのぶが優しく頭を撫でると、深月はパッと顔を明るくさせた。
それらを少し遠くから眺めていた杏寿郎は、胸の奥が痛むのを感じた。
微笑ましい光景を見ているはずなのに、彼の顔から笑みが消える。
今見ているような光景が、深月にとって正しい幸せだったのではないか、と思ってしまった。
剣士になった深月を否定するつもりはない。
彼女の強さも優しさも、努力する姿勢も、杏寿郎が愛した深月の一部だ。
しかし、本来であれば、深月は商家のお嬢様で。
何不自由なく暮らして。友人とはしゃいで。
剣など持つこともなく。良い縁談を貰って。
家族を失う悲しみも恐怖も、味わう必要などなかった。
あの細い身体に、大小様々な傷跡を残すこともなかった。
そこまで考えて、杏寿郎は思考を振り払うように首を振る。
こんなことを考えては、覚悟を決めて生きている深月に失礼だ。
杏寿郎は笑顔を作り、深月達の方へ歩いていく。
「深月、おはよう!調子はどうだ?」
そう声を掛けて、深月の前で膝を折る。
しのぶより小柄な十一歳の深月に、自分の上背は威圧的だろう、と配慮した結果の行動だ。
深月は杏寿郎を見下ろし、一瞬固まる。
そして、記憶を辿るように口元に手をやる。
ここ数日のことを思い出しているのだろう。
十一歳の深月にとって、杏寿郎は数日前に出会ったばかりの男性だ。
あまり印象に残っていないのかもしれないが、結構世話を焼いたのに、と杏寿郎は顔に出さずに少々落ち込む。
数秒待つと、深月は合点がいったような顔になり、杏寿郎に笑い掛ける。
「杏寿郎……だよね。最近、私のお世話をしてくれてるよね。ありがとう」
その可愛らしい笑顔と定着した呼び捨てに、杏寿郎の心臓は高鳴る。
しかし、深月とはいえ、相手は子供だ。
杏寿郎は必死に自分を落ち着かせ、深月に太陽のような笑顔を返した。
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