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緑の鈴を貴女に願う  四 十三歳@


翌日も、杏寿郎は深月の見舞いに来ていた。

深月が血鬼術にかかってからというもの、杏寿郎はほとんど寝ていない。
夜は柱としての警備や任務、昼間は深月の世話。

一応、休憩もしているし、食事も摂っているが、疲労は蓄積している。
それでも、他人の前では疲れを見せないし、深月にはできるだけ笑顔を見せるようにしている。

しかし、杏寿郎は今、心が折れそうだった。

彼の目の前には、怯えた表情をしている深月が居る。

ほんの数十秒前、杏寿郎が顔を覗かせるなり深月は病室の壁際まで後退った。
それを杏寿郎が追い掛けたところ、彼女は「来ないで!」と悲痛な叫び声を上げた。

深月の頭を撫でようとしていた杏寿郎の手は、行き場をなくして宙をさまよう。
既に大分近付いていたので、あと一歩で手が届く距離に居るのに、深月は触れることすら許してくれない。

こんなに明確に拒否をされては、さすがの杏寿郎も笑顔のまま固まるしかなかった。

何かしただろうか、と内心焦るが、心当たりなどない。
昨日まで、いや、今日もだが、深月はまだ子供の姿だ。そんな彼女に如何わしいことはしていないし、する気もない。
もちろん、彼女に暴力を振るうようなこともしていない。

理由もわからず怯えられ、拒否され、折れそうな心を、杏寿郎はなんとか持ち直した。

「すまん。怖がらせたか?」

二、三歩下がって床に膝をつき、深月を安心させるように微笑む杏寿郎。

深月はそんな彼を怯えた目で見下ろし、すぐに視線を逸らす。目もできるだけ合わせたくない、といった様子だった。

そこまで怯える深月が心配になって、杏寿郎は辛そうに眉を下げる。

そこで、廊下から足音が聞こえてきた。

杏寿郎は出入り口の方を振り向き、深月はその隙にさらに部屋の奥へと移動して縮こまる。

程なくして、しのぶがやってきた。
先程の深月の叫び声を聞き付けたのだろう。

膝をついている杏寿郎と部屋の奥で縮こまっている深月を見て、しのぶは困ったような顔になる。
そして、杏寿郎に尋ねる。

「煉獄さん、深月さんに何かされましたか?」

疑っているというより、念のために確認しておこう、という声だった。
杏寿郎が子供の深月に何かするとは、しのぶも思っていなかったが、深月の様子は明らかにおかしい。

「何もしていない……と思う!」

本当に何もしていないのだが、深月の怯えっぷりに杏寿郎は自信を失くす。

それを聞いて、しのぶは「そうですよね」と言いながら、深月に近付いていく。

深月は近付いていくる足音にも怯え、肩を震わせる。
しのぶは深月から少し離れたところにしゃがみこんで、優しく笑ってみせる。

「深月さん。私や煉獄さんのことは覚えていますか?私達は、貴女に危害を加える気はありませんよ」

深月は恐る恐るしのぶを見て、震える唇を開く。

「覚えてます……貴女達がいい人だって、わかってます。でも……」

ゆっくりと話す声は、体や唇と同じように震えていた。

「自分より大きい人が怖くて……」

そこまで言って、深月の目に涙が溜まる。

混乱しているようだった。
彼女には、昨日までと同じようにここ数日の記憶がある。その記憶の中で、杏寿郎やしのぶに優しくしてもらったことも覚えている。

しかし、この深月にとって、自分より大きい人──特に男性は、恐怖の対象なのだ。

杏寿郎やしのぶがその理由を知るわけもなく、二人は首を傾げる。

少しの沈黙の後、杏寿郎は立ち上がり、深月に近付いていく。
それに気付いた深月は杏寿郎を見上げ、反射的に逃げようとして、でも足に力が入らなくて尻餅をつく。

「ちょっと、煉獄さん!」

しのぶは慌てて杏寿郎に声を掛けるが、彼は止まらない。

杏寿郎は深月の目の前でまた膝をつくと、彼女を優しく抱き締めた。
腕の中で震える深月の頭を、優しく撫でるようにぽんぽんと叩く。

「大丈夫だ。俺達は、君に酷いことをしない。よければ、話を聞かせてくれないか?」

明日になれば、深月はまた成長する。こんなに怯えられるのも、きっと今日だけの我慢だ。
本当は、今日の深月をそっとしておいて、明日の成長を待った方がいいのだろう。

しかし、杏寿郎には、怯えた深月を放っておく、ということがどうしてもできなかった。

深月は杏寿郎に抱き締められ、初めこそ怖かったが、彼の優しい声や腕に安心してきて、いつの間にか体の震えも止まっていることに気付く。

杏寿郎の胸に手を添え、彼を見上げれば、彼は柔らかな笑みを返してくれる。

杏寿郎ならこの不安を解消してくれるのではないか、と深月は彼にすがり付いた。





 




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