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篝火草は赤く@



第二章の冒頭に入れる予定でしたが、
物騒な話が続くなあ、と思ってカットしたお話です。



その日はよく晴れた朝で、洗濯日和だ、と思いながら深月は出掛けた。

杏寿郎に仕立ててもらった着物を着て、槇寿郎にもらった袴を履いて。
その姿は一見、どこぞの女学生のようだ。

だが、行き先は学校ではない。以前住んでいた家だ。
鬼に家族を殺され、末の弟を食べられ、杏寿郎と出会った場所だ。

惨劇の夜以降、その家を管理し売りに出していた親戚は、深月を拐って襲い掛けた件で捕まっている。
その後、また別の親戚が管理していたが、高齢だった為亡くなり、その息子から今後どうするか相談したい、と手紙が来たのだ。

彼らは、深月にとって会ったこともない、遠すぎる親戚で、正直親戚と言われてもピンと来ないくらいだ。

一応、手紙の内容を疑いはしたが、隠がしっかり調べてくれて、事実だとわかったので出向くことにした。

出向いたところで、深月にあの家は管理しきれない。
頻繁に掃除をしに行く暇もなければ、維持するだけの金もない。人が住まねば、家はすぐに寂れる。
きっと、改めて売りに出すことになるだろう。
それでも深月が出向いたのは、最後に家を見ておきたかったから。

惨劇の記憶だけじゃない。家族との思い出が詰まった家を。

道中、ふと杏寿郎に外出先を伝えていなかったことを思い出す深月。

槇寿郎と千寿郎には伝えたが、杏寿郎は遅い任務帰りで湯浴みをしていたため、特に声を掛けずに出て来てしまった。

今頃、勝手に外出したことに怒っているだろうか。
もしそうだったら、帰宅後が面倒くさそうだ。

その面倒くささも愛しくて、深月はくすっと笑う。

彼のことだ。外出の内容を知れば、深月に着いてきただろう。
しかし、今日だけは着いてきてほしくなかったので、杏寿郎に伝えなくてよかった、と深月は溜め息を吐く。

もし、杏寿郎が一緒だったら、泣いてしまいそうだった。

そんなことを考えているうちに、以前の家に着き、開かれている門をくぐる。

既に親戚が来ているのだろう。
庭に向かえば、冷や汗が溢れてきたが、深月は歩みを止めなかった。


*****


湯浴みを終えた杏寿郎は、深月の姿が見えないことに気付く。
千寿郎に何か知らないか尋ねると、彼は不思議そうに首を傾げた。

「深月さんから何も聞いてないんですか?」

父上も御存知のようでしたが、と続く千寿郎の言葉に、杏寿郎は少し衝撃を受けた。

自分だけ知らされていないとは。ほんの少しだったが、なんだか寂しくなった。

千寿郎から、深月は以前の家に行っていると聞き、杏寿郎は心配になった。

あの惨劇があった家。そんな場所で、深月は辛くないだろうか。
そして、おそらくあの家を売りに出す話になるだろうとのことだった。
深月にとって、あそこは家族を失った場所であると同時に、家族の思い出が詰まった家だ。本当に、手放していいのだろうか。

自分と父──主に父のだが、その給金があれば、あの家を買うことぐらい難しくはない。
だが、深月はそんなことを望まないだろう。深月を一人であの家に住まわせる訳にもいかないし、父を充てにしている時点であまり現実的な話ではない。

杏寿郎は己の無力さに、深い溜め息を吐く。

いつの間にか、昼餉の時間になっていて、空が曇っていた。
昼餉を終える頃には、雨が降り始め、あっという間に地面の色が変わる。

「深月は、傘を持って出ただろうか」

杏寿郎の呟きに、千寿郎もそういえば、と深月を心配する。

「いえ。朝は晴れていましたし……大丈夫でしょうか」
「迎えに行ってくる!」

杏寿郎は迷わず、傘を一本持って家を飛び出した。


*****


深月を出迎えた親戚は、まだ若い男性だった。
亡くなった親戚は高齢だったはず、と深月が困惑していると、それを察した男性は困ったように笑って説明した。
どうやら、遅くに産まれた息子らしい。

危うい商売をしているわけでも、金に困っているわけでもない彼は、家を売りに出すのが心苦しい様子だった。

しかし、深月は精一杯の笑みを浮かべ、売ってくれと頼んだ。

「誰かに住んでもらって、守ってもらいたいんです。この家が、失くなってしまわないように」
「そうですか……わかりました」

男性も笑顔を浮かべ、家を売ることは決まった。

その後、深月は家の中を見せてもらった。
元は自分の家なのに『見せてもらう』というのも変だったが、今は管理者が親戚なので仕方ない。

家には、いつも誰かが居た。
両親、弟妹、女中に使用人。

みんな、大好きだった。
家族は、もう誰も生き残っていない。みんな殺された。
住み込みだった女中や使用人は、何人か生き延びたらしいが、田舎に逃げてしまったと聞いた。

父の商売は、従業員が継いで、場所を移したらしい。
それはそうだろう。家族も使用人も殺された家なんて、縁起が悪くて客が寄って来ない。
誰も何も知らない場所で、やり直した方がいい。
店の看板を継いでくれただけでも、有難い話だ。

つまり、この家にも新しい店にも、深月の居場所はない。

深月は唇を噛み締め、泣きそうになるのをぐっと堪える。

やはり、杏寿郎は居なくてよかった。
もし居たら、今頃彼の胸に飛び込んで、子供のように泣き喚いていたことだろう。

深月は胸の前で拳を握り締める。

目を閉じて、杏寿郎を、槇寿郎と千寿郎を、鬼殺隊の仲間を思い浮かべる。

自分の今の居場所はそこなのだ、と再確認してから、長年過ごした家に別れを告げた。


*****


あまりに辛そうな深月を見て、親戚の男性は送ると申し出た。
深月はそれを断ったが、男性の礼儀正しい態度に、断り続けるのも悪いと思い、最終的にお願いすることにした。

その帰り道。ぱらぱらと雨が降り始め、男性は深月を近くの塀の軒下に避難させた。

「素敵なお召し物を濡らしてはいけませんから。少しお待ちください」

そう言って、男性はどこかに行ってしまった。

どうしようか、と深月は悩む。
男性にこれ以上迷惑を掛けるのは申し訳ないが、杏寿郎や槇寿郎にもらった服を濡らしたくないとも思った。

結局、しばらく待っていると、男性は傘を持って戻ってきた。

「すみません、一本しか借りられなくて……」

男性は傘を差し、その下に深月を招き入れる。
怪しい素振りはないし、身元も隠が調べてくれたので保証されている。

深月は特に躊躇うことなく、その傘に入った。

それから、同じ傘の下で、深月は男性と少し話をした。

今は幸せだということ。職業は明かせなかったが。
煉獄家はいい人ばかりで、恋人も居るので、辛くも寂しくもないこと。

それに安心した男性も、自分のことを少し話した。

妻子がいること。上の娘が深月に似ていて、成長したら深月のような女性になるだろう、と思ったこと。
娘と深月を重ねて、深月が心配になったこと。

それを聞いて、深月は男性に対して、家族思いの人だな、と思った。
しかも素直だ。どこぞの炎柱とは大違いで、深月はくすくす笑う。

笑い終わって、ふと前を見ると、雨の中に杏寿郎が立っていた。
珍しく和装で、傘を差し、見開いた目で深月と男性を見ていた。

雨が降り始めたから迎えに来てくれたのだ、と深月は笑顔を浮かべる。

しかし、杏寿郎は眉間に皺を寄せて、ばしゃばしゃと音を立てながら、深月と男性に向かってくる。
泥が跳ねて裾を汚していたが、一切気になっていない様子だった。


*****


深月を迎えに出た杏寿郎は、家から少し離れたところで深月を見つけた。

自分が贈った着物と父が贈った袴を身に纏い、見知らぬ男性と同じ傘に入っていた。

誰だ、と一瞬考えたが、すぐにそんなことどうでもよくなった。

深月が男性と話ながら、楽しそうに笑っている。
自分でも、父でも、弟でもなく、見知らぬ男性と。

一気に頭に血が上って、杏寿郎は大股で深月と男性に近付いていく。

怯えている深月の表情は視界に入らず、彼女の腕を掴んで引き寄せる。
傘から傘に移る際、深月の髪や着物が少し濡れる。無理矢理引き寄せられて体勢を崩したので、足が縺れて袴の裾にも泥が跳ねる。

「恋人を送っていただいて感謝する!あとは俺が連れ帰りますので!」

それは全く感謝している声色ではなく、深月は杏寿郎を咎める。

「杏寿郎さん、失礼ですよ!親切で送ってくださったのに!」
「いえいえ、大丈夫ですよ。私はこれで失礼します」

男性は気を悪くした様子はなく、それどころか杏寿郎と深月が微笑ましいといった様子で、去っていった。

「帰るぞ」

短く言って、杏寿郎は深月の腕を引いて歩き出す。

その歩く速度は速く、深月は着いていくのに必死になる。
あまりにも速いから、裾の汚れを気にしている暇もない。

「ちょっと待ってください!杏寿郎さん!速いです!聞いてます?ねえ!」

一旦止まってほしくて、深月は杏寿郎に声を掛けるが、返事は一切なかった。
歩む速度も変わらず速いままだ。

深月は諦めて、煉獄家まで大人しく手を引かれることにした。


 




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