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杜若の日


「え、杏寿郎さんって今日がお誕生日なんですか?」
「ああ!」

驚いた顔になる深月に、杏寿郎はいつものように笑顔を見せる。

今日は深月が煉獄家に来てから初めて、杏寿郎の誕生日を迎えたのだ。
それは祝わねば、と深月も笑顔になる。

「おめでとうございます!杏寿郎さんのお家では、どんな風にお祝いするんですか?」
「ん?」
「えっ?」

杏寿郎は不思議そうな顔になり、深月は困惑する。
お互いがお互いの反応に違和感を覚え、暫し硬直する。

沈黙を破ったのは、杏寿郎の方だった。

「深月の家では、わざわざ誕生日を祝うのか?」

『わざわざ』という言葉が、全てを物語っていた。
煉獄家では、わざわざ個人の誕生日を祝わないのだ。

「母が、西洋の文化が好きな人だったので……」

深月の母が言うことには、西洋では個人個人の誕生日を毎回祝うらしい。
その母の希望に従って、父の商いが成功してからは、深月の家では誰かの誕生日が来る度にお祝いしていた。
使用人や女中までを個人個人祝うことはできなかったが、彼らについては誕生日が近い家族と纏めて祝っていた。

贈り物やご馳走を用意したり、町まで出てケーキを買ってきたり、遊んだり。
とにかく、誰かの誕生日は楽しいことをする日という認識だった。

しかし、よくよく考えたら、鬼狩りの名門一族に個人の誕生日を悠長に祝う暇があるとも思えない。

それに、女学校に通っていた時の友人も、『誕生日を個人で、ましてや使用人の分まで祝う家なんて稀だろう』と言っていた気がする。

自分の家が珍しかったのだと思い出し、深月は恥ずかしそうに頬を染める。

「すみません、うちは祝うのが当たり前だったので……」
「深月の家は楽しそうだな!だが、俺は言葉だけで十分嬉しい!ありがとう!」

杏寿郎は太陽のような笑顔でそう言って、どこかへ言ってしまった。

杏寿郎の姿が見えなくなってから、深月は小さく息を吐く。

言葉だけでも喜んでくれたなら、それは何よりだが、なんとなく寂しい気がした。
家族の誕生日を祝うというのは、本当に楽しかったし幸せだったのだ。

もう祝えないかと思うと寂しくて、その穴埋めを杏寿郎でしようとしたことに情けなくなる。

(杏寿郎さんだって迷惑だよね)

煉獄家では祝わないのが普通なら、深月の家と同じように祝われても困るだろう。
それに、杏寿郎は今夜も任務がある。祝っている時間は無い。

でも、やっぱり、少しぐらいなら。

そう思って、深月は買い物に出掛けた。


*****


その日の昼餉に並んだおかずを見て、槇寿郎は怪訝な顔になった。

いつもよりおかずの種類が多いし、量も多い。
しかも、中には見たことがない料理もあって、手を付けるか悩む。

ちらりと息子二人を見れば、彼らも見覚えのない料理に戸惑っている様子だった。

それらを作った張本人の深月はというと、さっさと台所に下がろうとしていた。

「おい、待て。これはなんだ?」

槇寿郎に呼び止められ、深月は気まずそうに笑いながら、料理の説明をする。

「牛鍋はご存知ですよね。これがポークカツレツで、こっちがオムレットで……」
「料理の名前を聞いてるんじゃない。どうしていつもの飯じゃないんだ」

少し怒ったような声に、深月はびくっと肩を跳ねさせる。

槇寿郎にとって、料理の名称などどうでもよかった。
さすがに西洋の料理だということはわかるし、それらは費用が嵩むとも聞いたことがある。
いつもの食事で充分なのに、何故急にこんなものをたくさん作ったのか。食費はどうしたのか。

そういうことが聞きたいのだ。

深月は槇寿郎の考えを察し、申し訳なさそうに頭を下げる。

「食費は、私の分を減らしてますので、大丈夫です。その、作ってみたくなりまして……」

本当は、杏寿郎の喜ぶ顔が見たくて作ったのだが。

深月が母から教わった西洋の料理は、それまで食べたどの料理とも違って、とても美味しかった。
牛鍋だって、たまにしか食べない肉料理だ。

祝うことはできなくても、誕生日くらいいつもより美味しいものを家族でたくさん食べてほしい、と思ったのだ。
深月にとって、家族と食べるご馳走は、幸せそのものだった。

でも、それを口にすると、杏寿郎に気持ちを押し付けることになる気がして、「作ってみたくなった」などと言ってしまった。
こんな言い訳で許してもらえるとは思えない。

「あの、申し訳ございませんでした。お気に召さないようでしたら、作り直します」

深月がしょんぼりした顔でそう言うと、槇寿郎は呆れたように溜め息を吐いた。

「別に食わんとは言っとらん。次からは、先に報告しろ」

食費が嵩んだくらいで家計が傾く稼ぎではない。
ただ、事前の相談無しにこういう料理を大量に作ったことは、咎めておかねばいけない。

しかし、槇寿郎はそれ以上深月を咎めることはなく、食事を始めた。

父に合わせて、杏寿郎と千寿郎も食事を始める。
そして、槇寿郎は驚きに目を見開き、杏寿郎と千寿郎は目を輝かせた。

「うまい!深月、うまいぞ!」
「西洋の料理ってこんな味がするんですね!」

杏寿郎と千寿郎に笑い掛けられ、深月は安心したように微笑んだ。
槇寿郎も箸を止めないあたり、まあまあ気に入ってくれたのだろう。


*****


深月が台所で片付けをしていると、背後から名前を呼ばれた。
振り向くと口に何かを突っ込まれ、くぐもった声を上げる。

「んんっ!?」

困惑しつつも、口に突っ込まれたのはポークカツレツだと気付き、両手が塞がっていることもあり、深月はそれを咀嚼した。
そして、こんなことをしてきた杏寿郎を見上げる。
彼はにこにこと笑っていて、いくつかの料理が乗った皿を持っていた。

「何するんですか」
「深月は食べていないのだろう?」

杏寿郎は口角をさらに上げて、少しずつ残しておいた料理を、深月の口に差し出す。

先程、深月は『食費は自分の分を減らした』と言っていた。
一緒に食事を摂っていないので見てはいないが、彼女の食事は杏寿郎達と反比例して、さぞ質素だったことだろう。

せっかく作ってもらった美味しい料理を、深月だけが食べられないのは嫌で、こうして少しずつ残しておいたのだ。

「ほら、これも食べなさい」
「杏寿郎さんが召し上がってください。お行儀が悪いですよ」

深月は頬を赤くして、片付けを再開する。
食べさせてもらうなんて恥ずかしくて、これ以上はご遠慮願いたかった。

杏寿郎はめげずに深月の口元に料理を差し出し、さらには彼女の唇にそれを押し付ける。

「深月。本当にうまいんだ!食べてくれ!」
「んーっ!もう!」

容赦なく押し付けられるそれに根負けして、深月は口を開けた。
その途端、杏寿郎は嬉しそうな顔になり、深月の口に箸を突っ込む。

次々に口へ運ばれてくる料理を食べながら、我ながら上手く作れたものだ、と深月は自画自賛する。

皿の上の料理がなくなったことにより、杏寿郎は満足そうに頷く。
皿と箸を流しに置いてから、空いた手で深月の頭を撫でる。

「俺の誕生日を祝ってくれたのだな!ありがとう!」

バレていた。いや、あんな話をした後なのでバレて当然か。
深月は赤かった頬をさらに赤くして、小さな声で「いいえ」と答える。

その様子が可愛らしくて、杏寿郎は目を細める。

「深月の誕生日はいつだろうか?君の誕生日も祝おう」

深月が返事をする前に、杏寿郎は何かを思い付いたような顔になる。

「そうだ!千寿郎の誕生日も祝おう!許しが出れば、父上の誕生日も……深月、良いことを教えてくれてありがとう!きっと、毎年楽しくなるぞ!」

深月は少し呆ける。

まさか、杏寿郎がこんなことを言ってくれるなんて。
おそらくだが、彼にも彼の家族にも、誕生日祝いは必要ない。
今まで個別に祝っていなかったのだ。今後も祝わなくとも何ともないだろう。
それでも、『誕生日を祝おう』と言ってくれているのは、自分の家族との思い出を、尊重してくれているからではないだろうか。

そう考えると嬉しさのあまり泣きそうになって、深月は誤魔化すように顔を背ける。

「槇寿郎様のお許しは出ないと思います」
「うーん。そうだな、その時はこっそりご馳走を作ろう!」
「ええ?何ですか、それ」

結局祝うんじゃないですか、と言って、深月はくすくす笑う。

笑いながらも、それはとても楽しそうだ、と期待に胸を膨らませた。







 




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