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お風呂に入れる話


その日の夜明け前、杏寿郎は血塗れで、左腕の骨を折って帰って来た。
それを寝間着のまま出迎えた深月は、顔を真っ青にして口を手で覆う。

「杏寿郎さん!ひどい怪我……ど、どうしましょう!お医者様を呼びますか……?」
「ほぼ返り血だから大丈夫だ!腕の手当ては隠がしてくれた!それに、これぐらいの怪我はたまにあることだから……」

今までも、杏寿郎が怪我をして帰ってくることは度々あった。人外の化け物と戦う仕事なのだ。怪我をしない方が珍しい。

しかし、骨折のような重傷は、深月が煉󠄁獄家に来てから初めてで、彼女の動揺っぷりに杏寿郎は苦笑した。

深月だって、修行を始めてから怪我をするようになったのに、自分の怪我には無頓着で、いつも杏寿郎の心配ばかりしている。

「さすがに血を洗い流したい!風呂の準備を頼めるか?」
「かしこまりました……あ、でも……」

深月は、包帯が巻かれた杏寿郎の左腕を見つめる。

「お一人で大丈夫ですか……?」

この腕では服を脱ぐのも一苦労ではないだろうか、と心配になったのだ。
深月の心配を余所に、杏寿郎は明るい笑顔で答える。

「千寿郎に手伝いを頼むから、大丈夫だ!」
「えっ……?」

深月が困惑した顔になり、杏寿郎は首を傾げる。

普段は弱っているところなど千寿郎にみせない杏寿郎だが、これだけ分かりやすく怪我をしているので、今回は隠しようがない。
湯浴みの手伝いくらいは頼もうかと思ったのだが、深月は困ったように目を泳がせている。

「千寿郎に何かあったのか?」
「いえ、その……千寿郎君は、槇寿郎様のおつかいで……明日まで帰ってこない予定なんです」

深月の返事に、杏寿郎は目を見開く。任務で不在の間に、そんなことになっていようとは。

槇寿郎も任務で朝まで帰らないだろうから、今、煉󠄁獄家には杏寿郎と深月の二人しか居ない。

その状況に、杏寿郎はどきっとしたが、とにかく風呂にはどうにか一人で入るしかあるまい。
再度、深月に大丈夫だと伝えようとしたところ、深月はとんでもないことを口にした。

「じゃあ、私がお手伝いしましょうか?」

杏寿郎の笑顔が固まる。
その固まった笑顔を見て、深月も自分がとんでもないことを言ったと気付いたらしく、みるみるうちに真っ赤になっていく。

「…………な、なんちゃって……」

深月は誤魔化すように笑ったが、杏寿郎はわざと太陽のような笑顔を浮かべた。

「では、頼むとしよう!」
「えっ……ええ!?」


*****


冗談でしたと言っても全く通じず、深月は杏寿郎の湯浴みを手伝うことになり、杏寿郎と二人で脱衣所に入る。

どうしてこうなった、と思いつつも、とりあえず杏寿郎の服を脱がせなければと覚悟を決める。

「失礼します」

深月は、杏寿郎の詰襟の釦をさくさく外していく。詰襟が終わったら、ワイシャツも同様に釦を外してしまう。
左腕を袖から抜く際少し苦労したが、上半身は特に問題なく脱がすことができた。

脚絆も外し、足袋も脱がせて、残すは袴と褌くらいだろう。

ベルトも片手で外すのは少し大変そうで、深月は恐る恐るそこに手を掛ける。

さすがに躊躇い、本当に自分が脱がさなければいけないのか、と深月は杏寿郎を見上げる。
杏寿郎は、にっこりと深月を見つめるだけで、「自分でやる」とは言ってくれない。

深月は下を向いて目をぎゅっと瞑り、震える手でベルトを外し、袴を下ろした。
杏寿郎が袴から足を抜く音が聞こえて、深月は下を向いたまま目を開ける。

しかし、顔を上げることは出来なかった。
どう足掻いても褌は無理だと思ったのだ。

どうしようどうしよう、と深月が悩んでいると、彼女の視界の端に何かが降ってきた。
それは、杏寿郎の脚の間に落ちていて、深月は顔を真っ赤にする。
今顔を上げると大変なことになると思い、動けなくなる。

「先に入って待っている」

深月が固まったままでいると、杏寿郎の声が降ってきて、彼の足は湯殿に向かっていった。

湯殿の戸が閉まる音を聞いてから、深月は再度覚悟を決めて立ち上がった。

裾を少し開いてたくし上げ、帯に差し込む。袖には襷を掛け、髪も高い位置で簡単に纏めてしまう。

動きやすい格好になったところで、湯殿の戸を開けて中に入る。

「お待たせしました」

そう声を掛けると、杏寿郎が振り向いて目を見開いた。
深月の腕も脚も遠慮無く晒されていて、一瞬だけ動揺したのだ。
ちなみに、彼は椅子に座り、腰に手拭いを掛けていた。

杏寿郎の傷だらけの背中を見て、深月は悲しそうに眉を下げる。

「杏寿郎さん、左腕を上げていてくださいね」

そう言って杏寿郎の後ろにしゃがみ、お湯で彼の体を軽く流す。
それだけでも、お湯が少し赤く染まる。

隊服を着ていたのだから、返り血が体に付いているわけがない。これは杏寿郎の血だと気付き、深月は新しい傷に気を付けながら、杏寿郎の背中を手拭いで洗っていく。

ついでに、洗いにくそうな首回りや右腕も洗っていくと、杏寿郎から時折くすぐったそうな声が漏れる。

「んっ……ふっ、深月」
「あ、あとはご自分でお願いします!」

不意に名前を呼ばれた瞬間、なんだかいけないことをしているような気分になってしまい、深月は手拭いを杏寿郎に渡した。

杏寿郎は右手で一通り自分の体を洗い、深月に手拭いを返す。
それを受け取り、深月は再度、彼の体をお湯で流す。
すると、赤くなった泡が、床に広がって流れていった。

杏寿郎は湯舟に浸かり、彼の頭を洗うため、深月は桶を持って立ち上がる。

「湯舟から頭だけ出していただけますか?」
「うむ!」

杏寿郎はいつも通り元気よく返事をし、浴槽の縁に両腕を掛けて、深月に背を向けながら、頭を彼女の方に傾ける。

目を閉じて洗われるのを待っている杏寿郎がいつもより幼く見えて、深月は思わず笑みをこぼし、杏寿郎の頭を丁寧に洗っていく。

また赤い泡やお湯が流れていく。こちらは返り血だろう。

深月は一旦湯殿を出て、新しい手拭いを持って戻ってくる。
そして、風邪を引かないように、と杏寿郎の頭を拭く。

「俺はもういいぞ!深月もそのままでは風邪を引くだろう!」

杏寿郎は肩越しに深月を振り向く。
彼女は杏寿郎を洗ったせいで、ところどころ濡れていた。
透けているわけではないが、体の形がわかるほど寝間着が肌に貼り付いてしまっている。

「大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」

そう言って、弟妹にしていたように優しく微笑む深月。自分の状態には気付いていない。
杏寿郎は体ごと振り返り、彼女の後頭部に右手を伸ばす。

「そんなに艶っぽい姿をして、何を言っている」

杏寿郎の顔が近付いてきて、深月は漸く思い出した。

目の前の彼は、弟妹でも子どもでもない。
何故か時々口付けてくる、同い年の異性だった、と。

噛み付くように口付けられて、深月は思わず逃げようとするが、杏寿郎はそれを許さない。
杏寿郎は片手しか使っていないのに、全く動くことができず、深月は観念して身を任せる。

しばらくして解放された深月は、顔を真っ赤にして震えつつ、湯殿の戸まで後退った。

杏寿郎が妙に色っぽい笑顔を浮かべながら眺めてくるので、深月は自分の体を隠すように手拭いを持ち直す。

「着替えを用意しますね!ごゆっくり!」

叫ぶように言って、湯殿から逃げるように出ていく深月。
それを見送った後、少し意地悪が過ぎたか、と杏寿郎は溜め息を吐く。

しかし、深月が甲斐甲斐しく自分の世話をしている様子を思い出し、自分の行動や言動に翻弄されていると思うと、嬉しくなって笑みがこぼれた。







 




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