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杏寿郎が何か言ったような気がして、深月は顔を上げる。そして、驚い目を見開く。
杏寿郎が、いつの間にか近くに居たからだ。
別に、彼と顔が近くなったからと言って、普段ならそこまで驚かない。
ただ、今の彼は深月に向かって身を乗り出していて、頬を赤らめながら彼女のことを見つめていた。
深月のすぐ横の畳に片手を突いて、もう片方の手は彼女の頬に添える。
「きょ、じゅろ……?」
幼馴染みの様子がおかしいことに気付き、深月は後退しようとするが、頬に添えられていた手が後頭部に回されて、首を動かせなくなる。
「深月」
杏寿郎の声や瞳には熱が籠められているが、深月はそれが何なのかわかっていない。
それでも、近付いてくる杏寿郎の顔は、身の危険感じるには充分だった。
深月は反射的に目をぎゅっと瞑って、
「だ、だめ!!」
バシッ、と大きな音を立てながら、杏寿郎の口元を両手で押さえた。
恐る恐る目を開ければ、不満そうな杏寿郎と目が合う。
このまま手を離せば、杏寿郎がまた近付いてくるかもしれないので、深月はおろおろと目を泳がせる。
彼の神経を逆撫でしたくはないが、ずっとこの体勢でいるわけにもいかず、意を決して口を開く。
さっきまで杏寿郎に対して怒っていたはずだが、彼の行為にびっくりして、怒りはどこかへ飛んでいってしまったようだ。
「きょ、杏寿郎も男の子だから、その……そういうことに興味があるのはしょうがないけど、だめだよ!」
「ん?」
杏寿郎の目から不満そうな雰囲気が消え、きょとんとした顔になる。
杏寿郎が深月の後頭部から手を離し、乗り出していた上半身を元に戻せば、深月の手が自然と離れる。
深月は手を下ろし、杏寿郎をちらちら見ては目線を横に逸らして、説明を付け加える。
「杏寿郎にとって一番身近な女子って私だもんね。それに、さっきパ……」
パンツ、と言い掛けたが、なんだか恥ずかしいので言い直す。
「スカートの中、見ちゃったから、興味湧いちゃったんだよね?でも、付き合ってもないのに、こういうことしちゃだめだよ……」
「んん?」
杏寿郎は首を傾げる。
深月の言い方だと、まるで自分が女子なら誰でもいいと思っているみたいではないか。
たまたま深月の下着を見たから、そういう気分になって、彼女に手を出そうとしているみたいではないか。
少なくとも、深月はそう思っているのだと気付いて、杏寿郎は項垂れる。
それを見て、さらに勘違いした深月は続ける。
「そういうことは好きな人と、付き合ってからした方がいいと思うの。私だって、杏寿郎が嫌いなわけじゃないよ!でも、初めてだし、杏寿郎とはそんなんじゃないし……あ、男の子だと考え方違うのかな」
杏寿郎は、『初めて』という情報の処理に一瞬手間取ったが、深月の言う『初めて』はおそらくキスのことだろう、と結論付ける。彼女が平気でキス以上の行為について話すとは思えない。
それはともかく、どんどん勘違いを深めていく深月を、杏寿郎は手で制止する。
「深月、待ってくれ。そうじゃない」
溜め息を吐いて、顔を上げて、深月の目を見つめる。
「下着を見たのは謝る。キスしようとしたのも……すまん。君の気持ちを考えていなかった」
深月は小さく頷く。
あ、やっぱりキスしようとしてたんだ、と改めて認識すると、なんだかどきどきしてきて、顔に熱が集中する。
徐々に紅潮していく深月の頬を眺めながら、杏寿郎は真剣な顔で告げる。
「だが、俺は深月とキスしたいと思ったんだ。異性なら誰でもいいというわけではない」
「へっ?」
真剣な杏寿郎と違って、深月は間抜けな顔と声になる。
杏寿郎は深月の両手を取って優しく握る。
その際、まだ少し警戒している深月がびくっと肩を跳ねさせたので、杏寿郎は困ったように眉を下げる。
「俺は君が好きだから、君が欲しくなったんだ」
そう言って、深月の手を持ち上げ、その甲にそっと口付ける。
それから、深月の顔を見れば、頬どころか耳や首まで真っ赤にしていた。
「え、きょうじゅろ、私のこと……え?」
やはり気付いていなかったか、と杏寿郎は眉を下げたまま笑う。
深月はしばらくぽかんとしていたが、視界の端に千寿郎を捉えた瞬間、ばっと立ち上がった。
もちろん、スカートの裾が翻らないように押さえながら。
「千君のお布団持ってくる!」
そう言って、深月は逃げるように居間を出て行った。
杏寿郎は千寿郎を見る。彼はまだ小さい寝息を立てていた。
確かに、深月のカーディガンを掛けているだけでは心許ない。赤ん坊用の布団で寝かせてやるべきだろう。
しかし、このタイミングでとは。
杏寿郎はくつくつと笑って、あの幼馴染みをどう攻略しようか、考えを巡らせた。
*****
所変わって、煉獄家近くの道路。
宇髄、冨岡、伊黒は一緒に帰っていた。
その帰路の途中、ふと伊黒が宇髄に尋ねる。
「最近、雨宮にちょっかいを出しているようだが、どうした?心変わりでもしたのか?」
それを聞いて、冨岡がおろおろし始める。
「宇髄は、雨宮のことが好きになったのか?煉獄とどちらを応援すれば……」
「違えわ!」
宇髄は即座に否定して、ふうっと溜め息を吐く。
「あいつら、何にも進展しねえじゃん」
杏寿郎は関係性を壊すまいとしているし、深月は杏寿郎のことを幼馴染みとしか認識していない。
だから、深月にちょっかいをかけ、杏寿郎共々からかうことにした。
「そうすれば、煉獄が俺に嫉妬して行動起こすかもしれねえだろ」
「それは随分荒療治だな」
伊黒は呆れたように言ったが、中学で再会してからの彼らを見る限り、少し荒いくらいが丁度いいのかもしれない、と思った。
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